清ら松風、月影に謡う 【壱】

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 遥かな過去、夏の暑さで食欲が失せてしまった私を気遣い、小さくちぎった青梅の(かす)漬けを手ずから食べさせてくださった光成お兄様の姿が。  甘え半分で「もう要らない」と突っぱねる度、根気よく優しく食べさせてくださっていた。温かく嬉しい幼少時の思い出。 「仕方ないわよね。わかるわ」 「え?」  差し出してくれた青梅を素直に口を開けて含み、咀嚼し始めた私に、ふっと苦笑が向けられた。  何が、〝仕方ない〟のか。脈絡のない話題転換に首を(かし)げると、相手の苦笑が穏やかな笑みに変わった。 「『わかる』って言ったの。お兄様はあんなに素敵なお方なのですもの。類稀(たぐいまれ)な美貌と知性に、蔵人所随一の弓の腕前。それに加えての私たちへの温かな慈愛。そんなものを兼ね備えてる人に恋してしまったら、もう他に目は向かないわ。仕方ないから、篤子はずっとお兄様を好きでいていいのよ」 「珠子……」  光成お兄様と瓜二つの美しい容貌が、真っ直ぐに私に向けられている。すべらかな頬に、甘栗子(あまぐり)の膨らみの曲線を、ぷっくりと丸くつけて。  これは、たぶん左右に一粒ずつ、口に含んでるわね。  どうりで、本来なら心に響くはずの良い言葉が、くちゃくちゃっという咀嚼音と一緒に聞こえてきてたんだわ。全く、もう。神妙で感動的な雰囲気が台無しよ!  この子が、珠子。『大納言家の絶世の美女』として都中の貴公子から懸想文(けそうぶみ)が届く、たおやかな姫君の本性は、わりと雑な自然体だ。
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