カーテン越しの客人 六奈

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カーテン越しの客人 六奈

病室の窓からは、今日も青空が見えていた。  長年見続けた景色に思うことは無く、かと言って話し相手もいなかった。家族はおらず、友人もいない。隣のベッドは空室だった。  いつものように退屈しのぎに小説を手に取った時、看護師達が病室に入って来た。用があるのは私ではないようだった。1人の看護師が、私のベッドの周りのカーテンを閉め切った。  カーテンの向こう側で、人が右往左往する音がしばらく続いた。私が小説を一通り読み終えた頃、ようやく私のカーテンが開いた。  隣のベッドはカーテンで囲われていた。 「こんにちは」  声が、カーテン越しに聞こえた。 「こ……こんにちは」 「今日から、お世話になります」 「よろしく……おねがいします」  返答としてそれでよかったのかはわからなかったが、声の主は満足そうだった。  私と声の主の仲は特に良くも悪くもならないまま、数週間が過ぎた。  声の主には、気がつくといつも来客がおり、朝から晩まで声の主は会話を続けていた。明日の天気はどうのといった、内容のない会話ばかりだった。  今日も朝から会話が盛り上がっていた。 「ふうん。君は本をあまり読まないのか。それなのに、読書感想文を書かなきゃならないと。 何がおすすめになりそうかなぁ……ねえ、お隣さん。お隣さんは、何かおすすめの本とかあるかなぁ」 「おすすめ? そんなこと急に言われても……」 「頼むよ、私の幼なじみのためなんだ」  面倒臭いなと思いながらも、私は返事をしていた。 「あまり本を読まないのなら、短編集の中から話を探すといいんじゃないかな」 「短編集。なるほど。 ……うん。うん。 幼なじみがありがとうだって」  隣人の幼なじみは、あまり声を張らないようで、隣人はその分声を張り上げた。 「短編か……お隣さんはどんな短編が好き? 私は……こんな状況だからかな、短編といったら『最後の一葉』を思いつくよ」  病室の窓から見える木の葉が枯れ落ちた時に死ぬのだと思っていた病人が、老人が壁に描かれた絵を最後の葉だと思って生き延びる話だ。 「残念だけど、ここからじゃ木の葉は小さすぎて見えない」 「そいつは残念……ああ、丁度こういうシチュエーションの話があったね。 隣のベッドの人から外の景色を聞く話だ。 様々な風景を聞かせていたけど実は全て作り話で、窓から外はレンガの壁しか見えないって話」  そんな話もあったような気がすると思った。 「何?……うん。……ああ、そう。 お隣さん、おかげで幼なじみは少し本に興味が持てるそうだよ。 ありがとう」 「ど、どういたしまして」  なんとなく感謝を素直に受け取れなくて、私は窓から空を見上げた。  日に日に、隣人の来客は増えていった。  ある日は親戚、ある日は出身校の同級生、ある日は知り合った友人。  隣人はとにかくよく喋り、私を会話に参加させた。  そのたび、私は私のベッドの周りの誰もいない空間を強く感じた。  私に来客はいない。そのことを、隣人が来てから私は強く思わされる事が多くなった。   「ところで、今のお天気はどんな感じかな」  私の心を知ってか知らずか、隣人は今日も友人との会話に私を混ぜる。 「へえ、明日、私の誕生パーティーをしてくれるのか。嬉しいね。 そうだ、お隣さん。お隣さんも参加しないかい?」 「いえ、遠慮しておきます」 「それは残念。 ……そうだ。明日の天気が気になるな。お隣さん、外の天気はどんな様子だい?」 「カーテンを開けて、自分で見ればいいじゃないか」 「それは……それは無理だ。私は顔にひどい火傷を負っていてね」 「……そう」 「どうだい、空は晴れているかい」 「お客さんに聞けばいいじゃないか」 「……ケチらずに、教えてくれよ。 友人はひっこみじあんでね。空を見上げられないのさ」  面倒だと思いながらも、私は空を見た。  今日も無駄に綺麗な青空が広がっている。  青空ですよ、と言おうとして、ふと、悪い心がよぎった。 「ちょっと雨が降って来そうですね」 「そっか……」  その晩、容体が急変し、あっけなく隣人は死んだ。  カーテンが空いたままの隣のベッドは妙に広く感じられた。  私は何気なく、看護師に言った。 「お隣さんのお葬式っていつですか」 「お葬式……?あの患者さんに、お葬式を開いてくれるような人はいませんよ」 「えっ……!?だって、毎日客が来ていたじゃないか」 「客……?あの患者さんは入院以来一度も来客はありませんでしたよ。いつも会話していたのに、気づかなかったんですか?」  看護師は心底不思議そうな顔で言い、用事を済ませると去っていった。  キツネに化かされたような気分で、改めて隣のベッドを見る。  思い返せば、隣人の客人の声を、私は聞いたことがなかった。足音も、病室のドアを開ける音も、聞いたことがない。  全ては隣人の妄想でしかなかったのだ。  私は存在しない妄想を憎んでいたのだ。  一晩のうちに曇った空から雨が降りだし、病室の窓に水滴を弾き始めた。
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