そうして今日も、かみさまは眠る 木陰

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そうして今日も、かみさまは眠る 木陰

 濁っていく。やつれていく。 まだまろさを残し、幼い印象を与える頬が痩け、目元が窪み、いつも楽しげに弧を描いている唇が干からびていくのが分かった。そんな姿は、見たくない。鼻の奥がツンと痛み、喉がじわりと熱を帯びて痛み、吐き気がして、もう見たくないのに目は逸らせない。そんな己の状態が、此れから起こる未来なのだと、事実なのだと表すようで悔しさに涙が溢れる。ぽたりと落ちる涙はきっとしょっぱいものでしょう。スープにでも入れて味付けをしたら良い、きっと美味しい。その毒に蝕まれて地獄に堕ちてしまえ。 大切な者が居るのだ。語る夢があるのだ。だから、こんなところに、あんな所に居てたまるか! 許されない、赦されない。世界を作った神とやらが、釈迦やら仏やらがゆるしを与えようとも、この私が、決して! 吼えるように、噛みつくように水分で揺蕩う景色の中睨み付ける。 その光景の、なんとうつくしいことか。絶望に身を落としたというのに、気高い獅子のように牙を剥き、心を向ける姿。きっと暫く、見られるものではない。 ふむ。小さく落とされた心臓を直に撫でるような本能か鳥肌を立たせる声は、この空間では異質で。まるでモザイクが掛かったように何故か霞んではっきりと見えない姿の誰かが、声を転がすように笑ってその口を開く。 「     、             ?」 * 美しい赤が空を彩っている。目に染み付くようなその色は、きっとどんな空よりも美しく、決して忘れないだろう。そして、忘れたくないとも、思った。いいや、忘れてはいけないのだと。音は無い。空が、暗くなっていく。世界が闇に落ちていく。体がふぅわりと浮かび上がっていくと同時に、意識はぷつんと途切れた。 ピピピッ ピピピッ 目覚ましのアラームが何度も起床を促してくる。加えて起床を促してくる声に、ようやくふかふかと体を包み込み今日も今日とて穏やかな眠りを届けてくれたベッドに別れを告げた。洗顔に着替え、用意された総菜パンを口に突っ込み、今日の講義を思い出していく。今日はあの講義があるから、あの教科書を、資料を、といった風に。鏡の前で最低限髪を整えて、時間を時々テレビでチェックしながら歯を磨いた。 「世界の滅亡まで、一週間を切りました」 アナウンサーが淡々と他のニュースと同じく読み上げていく。世界滅亡。なるほど、一大事だ。危うく口の中いっぱいの歯磨き粉を飲み込むところなくらいに。あまり予言だとかUFO、幽霊の類には興味が無いけれど、まだ本格的に働いていない頭への話題には丁度良いだろうと耳を傾けて居るも、その耳に横入りするのは洗い物をする母親の声。 「環(めぐる)! お父さんがゴミ出し忘れたから代わりに行ってきて!」 「ん~」 もごもごと歯ブラシを咥えたまま返事をして、テレビを消す。今日は月曜、燃えるごみの日である。 「零奈(れいな)さーん、おはようございまぁす」 「ん、はよ」 ゴミ出しを終えて、一度家の前まで戻り、更に進んで行く。駅とは逆方面。辿り着くのは、大きく豪勢なお屋敷の前。門の周りを掃除している人に朝の挨拶をして軽く頭を下げつつ慣れた足取りで門から少し離れたところにある玄関まで進み、ガラガラと音を立てながら横開きのドアを開ける。丁度靴を履いているタイミングだったらしく腰を掛けていた姿に目を合わせるようにしてしゃがみ朝の挨拶。後ろで鞄を持っているお手伝いさんにも、頭をもう一度下げておいた。 ほんのり小麦色の艶やかな、すべりの良さそうな肌。俯いて靴を履いているせいで前に落ちてきている肩甲骨ほどまで伸びている髪は暗い茶色でブルネットっていうお洒落な響きがあったはずで、緩やかにウェーブがかっていて、毛先はくるん。可愛らしい。手が掛けられているのだと男の俺でもわかる質の良い、顔に掛かる髪を手の甲で軽く避け視界をあけてやる。そうすると、なんでもないかのように世話を焼かれた零奈さんはさんきゅ、と呟くのだ。 彼女の名前は零奈さん。俺のお隣さんで、一個上の一応お姉さんで昔からの付き合いだ。幼馴染というものに当たるのだろうか。しかし彼女はイイトコのお嬢さんというやつなので学校は残念ながら被っていたりはしない。初めて被ったのが、ようやくたどり着いた大学という学び舎だ。俺は家の近くで、良い就職先に着くためネームバリューがあるっていう理由で、零奈さんは俺と同じく家から近いという理由と、その大学はネームバリューがあるだけあってそこそこ良い大学だからって感じ、らしい。治安も良いし、心配性なお兄さんのお墨付きだそうだ。 とんとんとつま先を床について、鞄を受け取ると長い髪を揺らしながらさっさと迎えに来た俺を追い越して行ってしまう背中を、俺も慣れた足取りで追いかける。全く、自由なオヒメサマなものだ。 「零奈さん、今度一年の必修で中テストあるんですけど、取ってあったりします?」 「探せば何処かにあるんじゃないの。今日部屋で探せば」 「やーりぃ。んじゃ、またあとで!」 気兼ねのない会話は慣れていて、心地よい。ラッキー、と心の中でガッツポーズしながら、確り彼女の授業の部屋まで送り届けてひらりと手を振る。 あ、珍しい。 いつもは見向きもせずに部屋に入ってしまうのに、機嫌が良いのだろうか。長い睫毛に縁どられた双眸をふ、と細めた後俺と同じように、手入れがされ水仕事をしなさそうな綺麗な手がひらつき、教室に消えていった。 「なんか生徒まばらじゃない?」 「そうっすね……。あれじゃないですか、世界滅亡」 学年必修でなく、学部で取る科目ということもあり、対象の学年が多いせいで何時もは結構多めの人で席も埋まっているというのに、今日は比較的まばらだ。休講の連絡はないはずだし、人身事故などのニュースも特に入っていなかったはずなのだけれど、と首を捻る。きょろりと見まわすと、一個下で何かとこちらを慕ってくれている大神君が腕を振って席を空けてくれる。有難く隣の席に腰かけて聞いてみると、ニュースでも聞いた話題が飛び出してくる。 「大神君てそういうの信じるタイプだったっけ?」 「俺はあんまり。……けど、今回は結構深刻らしいんで、うちの学年でも信じてる奴とか多いですよ」 「ふーん?」 いつからそんな話が湧いて出たのやら。世界滅亡。何度聞いても身に馴染みが無い言葉は耳を通り抜けていってしまうものである。その後、やはりいつもと変りなく教室に訪れた教授に、いつも通りレジュメを貰い、いつも通りそこそこ眠い講義が始まった。 世界滅亡なんてないかのように、俺を取り巻く世界はいたって平凡、平常に通り過ぎていくのである。人生って、そういうもん。 * 音が、聞こえた。チャイムの音だ。五時を知らせる、こどもを家に帰す音。空は相変わらず、筆でべったりと塗ったようなあかい色。相変わらずって、なんでだろう。前にも、見たからだろうか。それはそうか。だってここは、家の近く、昔、あの人と過ごした場所なのだから。 頬が、濡れる感覚がする。赤が滲み、世界が揺らぐのが分かった。胸を占めるこの感情は、瞳から流れ出すものを生む感情は、悲しみなのだろうか。それとも、息が出来ないほどのこの苦しみなのだろうか。それとも、それとも、滲む赤に等しい、誰に対してか何に対してかも分からない、だけれどしかと残る怒りだろうか。 分からないまま、世界はやがて黒に染まり、暗転して、消える。 ピピピッピピピッ 最近、妙な夢を見る。あまり覚えていないけれど、朝起きると心臓は痛いくらいに脈打っていて、寝間着は汗でぐっしょり、頭も重い。思い出そうとしても頭痛が広がるだけで思い出せず、顔色にまで出ていたのか、いつものように迎えに行った零奈さんやお手伝いさん達にまで心配される始末。 「バイト、入れすぎなんじゃないの」 「いやいや寧ろ逆なんすよ聞いてください! 昨日急に店当分閉めるって言われて!」 「わかったから食事中に大声出さない」 昨日、帰宅して暫くしてきた連絡。なんと掛け持ちしているバイト全てが店を日曜まで閉めると言い出したのだ。全く、バイトをなんだと思っているのか。こっちは稼ぎが掛かっているというのに。零奈さんからの注意は大人しく聞いて口をつぐむけども、思い出して不満が止まらない。ぶすくれていると、思わずといったように噴き出した零奈さんがくすくすと声を漏らして笑っている。 「……人の不幸がそんなに楽しいですか」 「いいや? 見事な膨れ面だと思って」 昨日と同じように、いつもより人の少ない食堂。零奈さんが席で待っている間に適当に見繕って買ってきたローストビーフ丼(卵トッピング)を掬っていたスプーンから手が離れ、ほっそりとした指が俺の頬をつつく。からかう指先に反発するように頬へ空気を溜めて膨らませば、一層零奈さんは愉し気に笑って俺の頬をつついた。そんな様子に毒気が抜けてしまって、ふすりと空気を抜く。折角の昼食だ、美味しく食べないと損だろう。そう思って食事を並んで買ってくる駄賃代わりにと奢って貰ったハンバーグ定食(ご飯大盛り、チーズ、目玉焼きトッピング)を食べにかかる。 「零奈先輩、環先輩、お昼ご一緒しても良いですか!」 「大神か、良いよ」 「お隣どうぞ~」 トレーに深皿を乗せて此方に寄ってくる後輩がそわそわと口を開くのを微笑ましく見守り、隣を開ける。大神君のお昼は醤油ラーメンらしい。良い香りにハンバーグを食べつつもお腹が減ってしまう。ラーメン良いな、一口貰おうかしら。ハンバーグ一切れと交換こね、よかろ。あ、メンマつけてくれた、やったね。 「休んでる人やっぱり多いですね」 「くだらないな」 「けど暴動とかも起きてるらしいっす。日本だけじゃないみたいですし……」 「結構大変なんすね~」 「最近地震とか変な山火事とか多いじゃないすか、あれも滅亡のせいらしいとかなんとか」 「あぁ、最近のニュースそんなのばっかり」 「ですね」 二人の会話に時々入りながらもぐもぐとハンバーグを食べる。肉汁があふれてきて大変美味しい。地震に山火事、暴動、なんとも物騒なことだ。 「そんなニュース、話題になってましたっけ」 俺には、一つも覚えが無いけれど。 「結構話題になってましたよ、ですよね、零奈先輩」 「まぁ、それなりには」 「ニュースとか毎日一応見てるはずなんだけどなぁ……」 「ほら、さっさと食べる。昼休み終わるから」 急かされるままに時計を見てみると、確かにあまり時間がない。冷め始めたハンバーグを食べながら目の前の零奈さんを視線だけで何となく見上げると、ぱちりと視線が合う。口に頬張りながら話すと叱られるので首だけ傾けると、零奈さんは一瞬だけ、ほんの少しだけその綺麗な瞳を揺らめかせた後、瞬きの間にその気配を消し去って食べる方に意識を向けてしまう。気のせい、だったのだろうか。なんだか改めて尋ねるには、その瞳の揺れめきがどうにも危うくて。尋ねたら、触れたらその肩も腰も細いような華奢な身体ごと壊れてしまいそうで。俺は何も聞けずに、手を振っていつものように教室へ見送ることしか出来なかった。 * 世界はやっぱり今日も赤い。その中に、ひとり、此方に背中を向けている。あの背中は、見たことがある。けれど、あれ、誰だったっけ。 今日も家に帰す音楽は流れていて、涼やかな風が頬を撫でる。一人で、先に進んでしまうその背中を追いかけたくて、でも、届かなくて。名前を呼べば、届くだろうか。あの人は、あの人は誰だ。夕焼けに肌を真っ赤に染めて、決して此方を振り向かないつよいひと。綺麗で、格好良くて、それでいて可愛いところもあって。我儘で自分勝手で、マナーなんかには凄く確りしているのに案外口が悪くて、足癖も悪かったりして、けれどちょろいところだとか、甘いところがあって。そんな、そんな俺の、だいすきな、 伸ばした手は、届かない。届いて欲しいのに、もう届けようとした先には、誰も居ない。世界は今日も渦巻き、掻き消され滲み、歪んで。そうして、暗転していく。 ピピピッ ピピピッ また、変な夢を見てしまった、気がする。夢の内容を覚えていない所為で気がするとしか言えないのだが、それでも、ただ嫌な夢であったということだけは覚えているのだ。 夢の余韻に浸っていれば、その分時間は過ぎていく。起床を促す母の声になんとか返事をして、重たい体を起こす。カーテンを開ければ、月曜日と変わらず、真っ青な晴天だ。今週はずっと天気が良いらしい。地球が滅亡するなんて到底信じられないような、そんな穏やかな青空をぼんやりと見ながら、俺は大学へ向かう支度を始めた。 「今日、妃(きさき)が飯食べようって。私は教授に少し聞きたいことがあるから、先にカフェテリアで一緒に待ってて」 「はぁい。妃先輩こっちに居るの珍しいですね?」 「授業の関係で来たんだってさ」 「なるほど」 妃先輩、というのは零奈さんの同級生だ。中高が同じであり零奈さんのお友達。基本的に気難しい零奈さんの数少ないお友達なのだからすごい。文化祭や時々のお迎え、買い物に付き合わされたりと何かと俺も接点を持たせて貰っている。零奈さんに負けず劣らず美人な彼女もまた、なんというかまぁ、それなりに他に比べると我は強く。類は友を呼ぶとかいうやつの表れなのだろう。実際いつも口喧嘩のようなことはしている……というのに何かと一緒に居るのだけれど。そんな妃先輩は、同じ大学ながら違う学科なため普段は別キャンパスなのだ。零奈さんが居るこっちのキャンパスに来たから一緒に食べるお誘いなのだろう。 先に行っていろと言う零奈さんの言葉通り、食堂とはまた別にある、少しおしゃれめなカフェテラスに向かえば、なぜか一際周囲より雰囲気が豪奢な席が一つ。訪れている生徒が少ない上に、雰囲気からか避けられていて更に浮いていた。そんな様子に苦く笑みを溢しつつ声を掛ける。 「妃先輩、お疲れ様です」 「あら、環。零奈は後から来るんだったわね」 「らしいっす。妃さん何にします? 零奈さんの分も頼まれてるんでついでに持ってきましょうか」 「気が利くじゃない。けど結構よ、光狩(ひかり)が買いに行っているの」 「げっ、光狩君居るんすか……」 「貴方本当に苦手ねぇ……」 光狩、というのは妃先輩の後輩。つまり零奈さんの後輩でもあり、学年は俺と同じ。彼もまた別キャンパスに居る生徒で、俺が少し……いや大分苦手な相手である。零奈さんも苦手そうにしていた。だってぐいぐい来るから。 「環くん、お久しぶりだね! 会えてとても嬉しいよ」 「うわっ! 背後に立たないでって俺何度も言ってるはずなんだけど!」 「おや、それは申し訳ないね」 「絶対に思ってねぇ……これだから……」 後ろからかかった声に、思わず飛び上がる。多分三センチくらいは浮いた。振り返れば人の良さそうな笑みを浮かべて、栗色のストレートな髪をさらさらと揺らしながら二人分のトレーを確り持っている光狩君の姿が。一気に体力ゲージを削られるやり取りを交わしていればようやく妃先輩が嗜めてくれたので、嬉々として抜け出し昼食を買いに行く。今日も零奈さんの財布を預かっているので、彼女の好みそうなものと自分の食べたいものを適当に見繕う。大体俺の予想はちゃんと的中する。何年一緒にいると思っているのだ。 零奈さんはアスパラと生ハムのパスタ、俺はオムライスランチにしてテーブルへと戻る。まだ零奈さんは来ていない。 「こっちも随分人が少ないのね、アレの影響かしら」 「みたいっすね」 「嘆かわしいことだ……」 妃先輩たちのキャンパスも大分休んでいるそうだ。地球の滅亡は日曜日、あと四日。正直、そんな予感はしない。今日も平凡な日常の一部で、来週も普通に同じ日々が続くのだと俺は思いきっている。 「私のところは妹たちが怯えきっていてね。土曜日からは父の実家に帰ることにしたわ」 「そういえば妹さんいましたもんね」 「地球最後の日は何をするか、なんて話題で持ちきりよ」 「俺のところは何も話してないんですよ~……」 あぁけれど確か父も母も一度実家にそれぞれ帰ると言っていたっけ。晩御飯の時にそう言われた気がする。零奈さんがいつ来るかわからないので昼食を食べ始めながらする会話は、昨日と同じく地球滅亡。最近はこんな会話ばかりだ。 「僕のところも日曜日は家族共に過ごそうといった感じだね。僕はあまり気にしていないのだけれど」 「本気にしてる人がこんなに多い方が俺的にはびっくりっつーか」 「皆なんだかんだ言って、この世界に愛着があるということだろう」 「自分はないような口振りでまぁ……」 こういう少しすかしたところが苦手なのだ。思わず呟くと、光狩の少し人より色素の薄い瞳が三日月型になってそわりと口を開く。こういう時は、アレが始まる時だ。妃先輩は慣れているようで、またかといった様子で自分のサラダを食べている。 「『世界五分前仮説』、というのを知っているかい?」 「『世界五分前仮説』?」 「世界は実は五分前に始まったのかもしれないという仮説のことだよ、名前通りね」 光狩君はその手の話が好きだ。宇宙人やら陰謀説やら、なにかと好き勝手俺に吹き込んでくるのも苦手なところの一部で、何よりその妃先輩たちと並んでいても遜色のない顔面の圧と、どこか妖しい雰囲気を持って、まるで本当にありそうな程に話してくるからいけない。 朗々と語られた説明を聞くに、哲学における懐疑主義的な思考実験の一つらしい。誰によって提唱されたかは直ぐに忘れてしまった。なんでも、この仮説は確実に否定することが出来ないらしい。俺たちは過去を過ごして此処に居るだろうと、こうやって知り合って、話して、昼食を食べているだろうと反論したけれど、愉快気にその口元が笑みを浮かべるので言葉に思わず詰まる。 「その記憶が、本物だと証明出来るかい? 偽の記憶を植え付けられているとしたら? 五分前に世界は作られ、僕たちに偽の、それまでの記憶を植えこんで、そうして此処に暮らさせているのかもしれない」 「そんなこと言ったら……」 「おい、うちの環いじめるな」 「零奈さん!」 のし、と頭に乗る重さ。零奈さんが俺の頭に顎を乗せて凭れているらしい。そこで喋られるとつむじが少し痛いです。けど光狩君の話は止めてくれてありがとうございます。 本当に、いつも、なぜか彼の言葉に引き込まれてしまう。中学生一年生の時、出会ってしょっぱなからきさらぎ駅かなんかの話をされた時なんかは、帰りの電車に乗る時零奈さんの手を離せなかった。未だにその時の話はからかわれるネタになっているので本当に嫌いだ。 「まーたからかわれて」 「んもう、笑わないでくださいよ! ほら早く食べて!」 「零奈遅いじゃない、早くなさい」 「はいはい」 零奈さんが来たことで話題は終了、このあと二人はショッピングに繰り出すそうなのでその話へとシフトしていく。基本的にお互い素直でない二人がショッピングとは、都合の良い言い訳に使われている気がするぞ、世界滅亡よ。 零奈さんの相変わらず綺麗な手が、こんな大学のカフェテリアの中でさえ綺麗に、音もたてずにスプーンとフォークを取ってパスタを絡めていき、あまり大きくない一口を食べていく。食べるのに前に垂れてきて邪魔そうだったから、いつの間にかこういう時のためにと持ち歩くようになっていた髪ゴムでそっと後ろに回り痛くないように一つに結んでいく。零奈さんの髪は柔らかい猫っ気で、触ると気持ち良い。本人は癖が面倒だと言っていたけれど、素直じゃない本人の性格と相まって可愛いといったものだ。 たくさんのことを、覚えている。たくさんの、零奈さんとの当たり前がある。積み重ねてきた思い出がある。それも全て、作られた記憶だというのだろうか。 全身が整っていて、うつくしい人だ。多分この人と幼い頃から一緒にいるせいで、俺の美人のハードルが大分高い。世間で美しいと謳われる女優なんかを見ても、零奈さんの方が頭のてっぺんから足のつま先まで綺麗だと思ってしまう。 頭の良い人だ。地頭も良くて何もしなくてもすこぶる成績は良く、授業もあまり真面目には取り組んでいないけれど知識欲旺盛で、色んなものを吸収して研究している人だと、努力の人だということを知っている。 強気で、実際に強くて、けれどよわいところの残る人だ。口調も荒く、自我が強い所為か敵を作りやすい。更にそのルックスやらが相まって女子には僻まれ、男子には大層おモテになる。詳しくは知らないけれど、妃先輩や光狩くんから聞くに告白もたくさんされていたそうだ。此処でも勿論そうだけれど、今は俺が威嚇するお陰でなんとか少しはマシに出来ているかもしれない。お役に立てて何よりですよ。 女子からの僻みも煩いハエがいるな、くらいに思っているのだろう。実際に手を出されるような馬鹿は流石にいなかったようだ。それに、健全にモテる分には良い。人を魅了して止まない人だから。 しかし、厄介なのがいるのも事実で。ストーカーまがいのことをされたり、変な手紙や隠し撮りが送られてくることなども少なくは無かった。妹が大好きなお兄さんによってきちんと相手ごと処分はされていたし、零奈さんもよくあることだと肩を竦めるばかりで。それでも、俺は知っていた。変なメールが続いている時は通知音が来るたびに肩がびくつくこと、ポストを開ける時手指が少し震えていること、強く強く抱きしめて、漸く体の力が抜けること。よわいところが、確かにある人なのだ。 だから、守りたいと思う。強がりで不器用なその人を、分かっていたいと思う。いつまで経ってもお姉さんな、俺なんてちっとも必要なさそうなのはわかっているけども、隣に居たいと思うのだ。 そうやって俺が思うことが、全部まがい物の記憶からなんてさらさら御免である。よし。気分も上向きに戻ったところで、昼食を終えたお嬢様方二人と荷物持ち一人を見送る。俺はこれからもまた授業だ。光狩くんは苦手だけれど、きちんと騎士は務めてくれる信用がある。 「それじゃあ、楽しんで」 「ん、行ってくる」 校門までお見送りに出てひらひらと手を振る。どうやら今日も機嫌が良いらしい、ひらついた零奈さんの手に頬が緩むのを感じながら、次のコマの教室へと向かった。
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