そうして今日も、かみさまは眠る 木陰

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世界は、今日も赤い。まるで、あぁ、終末のような色だ。腕の中が重い。ふと視線を落とせば、ぐったりと力ない肢体が腕の中で横たわっている。顔は、滲んで良く見えない。自分が泣いているからだと分かった。揺り動かしても、声を掛けてもぴくりとも動かないその体は冷たい気がする。その身体さえも真っ赤なのは、この夕日のせいだろうか。それとも、他の何かのせいなのだろうか。 抱きしめる。強く、つよく。少しでも体温が移りやしないかと一抹の望みを掛けて。 そんな想いも空しく、今日も世界は歪んでいく。暗く落っこちていく。 耳が痛いほどに鳴り響いていたのは、自分の叫び声だった。 ピピピッ ピピピッ もう四日も、記憶のない嫌な夢に苛まれている。その上今日は朝から零奈さんから体調を崩したから休むと連絡があった。最近はきちんと授業に出ていたし、多分サボりではないだろう。心配だからお見舞いに行くというのに来るなの一点張りなのが少し怪しいけれど。バイトも結局無いし、大学が終わったら彼女の家に顔を出そうか。好きな店のプリンでも買って行ってあげよう。よし、と気を取り直して、また起きたらしい地震やなにやらのニュースを聞き流しながら支度を始めた。 「……次に紹介するのは、『かみさまの寝物語』です」 眠気を誘う、ゆったりとした教授の声に、スライドを映すために薄暗い教室。午後の授業な上、あまり興味はないものの取ったコマなため更に眠気は増す一方である。なんで取ったのやら……誰かに勧められたのだったっけ。眠気でぼんやりとした授業の中、教授の声で説明がなされていく。授業前に配られたレジュメに視線を落とす。 『かみさまの寝物語』。とあるところに、一人のかみさまが居た。そのかみさまは、ずっと、ずぅっと眠っていた。眠りから目を覚ますと、かみさまは、世界を壊す邪神へと姿を変える。さて、他の神様は困ってしまう。折角作った世界を、神とは違い不自由で、哀れで、非力で、そうして愉快な人間の営みを見るのは、存外楽しいものであったので。だから、世界を壊してしまうかみさまに、寝てもらう必要があった。しかし同じ神、滅ぼすには手がかかる。そうだ、眠っていれば穏やかなかみさまなのだから、眠っていて貰おう。確か、人の文化に眠らない幼子に寝物語をして寝かしつける文化があったはずだと、その神様は思い出した。故に、神様は人間を一人選ぶ。かみさまが眠りを続けるため、寝物語を語る人間を。 かみさまの眠りを支える眠りの為の従者は、語り続ける。その体がどんなに疲れ、枯れ果てても。その声が尽きるまで。声が尽きれば、世界は壊されてしまうから。声が尽きれば従者は変わる。神様が選ぶのだ。声が尽きるその前に、世界が壊されるその前に。今日も世界が続くのは、どこかでかみさまが眠り続けているからかもしれない。 「日曜日に、世界が滅亡するそうですから、今回はこのお話を選んでみました。従者様の代替わりなのかもしれませんねぇ。……それでは、今日の授業はここまで。リアクションペーパーを前に提出した方から帰って良いですよ」 にっこりと笑う教授の言葉が、何となく頭に残る。寝物語が途切れるから世界が終わるだなんて、随分簡単に無くなってしまう世界だ。神様というのは恐ろしいらしい。 眠さで回らない頭で何とか文章を組み立てていく。その身が朽ちるまで、世界を守る重圧に耐え、語り続ける一人の従者。選ばれたくないな、と、単純にそう思った。 「土曜っすか? 俺は暇ですけど」 「なら出掛けよう」 「いいですけど、体調大丈夫なんですか。いい加減入れてくださいよ」 「無理、駄目」 「なんで」 「……すっぴんだから」 「ダウト」 零奈さんのご自宅、私室の前、廊下にて。お見舞いに来てここまでは来られたというのに、部屋には何故か入れて貰えない。プリンがあると釣っても冷蔵庫に入れておけと言われるし、すっぴんなんて今さらだ。大体すっぴんでも零奈さんの綺麗さには変わりはないし、先ず零奈さん自体が気にする性質でもない。 素気無く返すと不満示すようにドアにクッションが当たる音がする。普段口が達者なくせに、こういうところは案外子どもっぽいのだ。 「ねぇ、零奈さんどうしたの。俺なんかしました?」 「……してない」 「ならなんで」 「なんでも」 大分頑なだ。これでは何をしても開けてはくれないだろう。しかし、心配は心配。こういう時の零奈さんは大抵何かを隠している。昔初めてのストーカーに遭っていたり、体育の授業中に怪我をしたのに隠していたり、いつもは流す女子生徒からの悪口で喧嘩したと思ったら俺のことが言われたのが原因だったり。そういう人だから。 「零奈さん、あんた、俺に何隠してんの」 「なにも、隠してない」 「……土曜日出掛けませんよ」 「ッ、それは……だめだ」 「あぁもう! ほんと! あんたって人は……!」 こういう時は長年の付き合いを恨むしかない。声に滲むさみしさに、縋りに気付いてしまう。気付いたら最後、その声を振りほどくことはできない。 「土曜日」 「出かけますよっ、これで良いんでしょ!」 「ん」 「んっとにも~……じゃあ今日は帰るんで」 「気を付けて」 「はぁい」 聞き出したい気持ちはある。しかし今はまぁ取り敢えず、して欲しいことが言えるのでひとまずは大丈夫だろうと自分を納得させた。 「今日の授業のレジュメもお手伝いさんに渡しておくんで。『かみさまの寝物語』っつー話だったんですけど、零奈さん知ってました?」 「……さぁ、知らないな」 「なんか今にぴったりなやつでしたよ~」 今度こそ座り込んでいた廊下から腰を上げ、体を伸ばしながら立ち上がる。明日は祝日、なにも用事は無いし、家でだらだらしようか。もう一度挨拶をして、プリンとレジュメを預けに行く。 * 声が聞こえた。悲痛な声だ。そんなに叫んで、どうしたのだろう。喉を痛めてしまいそうな程、喉から絞り出した声で、そんなことしないで欲しいと思う。今すぐに行って、抱きしめてやらないと。しかし困った、体が動いてくれやしない。早く行ってあげないと、大丈夫だと、手を握ってあげないと。誰かもわからない泣き叫ぶ声の主だというのに、気持ちだけは急いていく。 今日も、空は赤い。塗り潰したような真っ赤な空は、終わりによく似あうものだった。早く、行きたいけれど、やっぱり体は動かない。そんな間にも世界は崩れていって、くらりくらりと輪郭が崩れていって、そうして、絶望に満ちた泣き叫ぶ声と共に、ぶつんと音を立てて、暗転する。 ピピピッピピピッ 今日も、恐らく変な夢だった、いつもとは違い焦燥感というよりも、申し訳なさが勝っているけれど。 今日は祝日、大学も休みで何もすることがない。零奈さんにまた聞き出しに行っても良いかとも思ったけれど、今日から明日の朝にかけて妃先輩とお泊り会をするらしい。また世界滅亡が可愛らしい言い訳に使われている。 最近は色んな店も休業したりと閉まっている店も多い。世界的に信じ切られ、皆が皆世界の滅亡に恐怖を抱いているというのは、やはり少し実感がわかない。大神君が言っていた大きな地震や暴動なども覚えがなくて調べてみたけれど、本当にあったようだった。結構大きな騒動になっていたようだったが、全く記憶になくて困惑してしまう。そこまで記憶力が薄いわけでもなければ、ニュースを見ないというわけでもないのだが。 「環~、今日暇なの?」 何度かのノックに間延びした返事をすると、母が顔を出し柔らかく笑う。 「大学も休みだし、特に用事はねーかな」 「それじゃあお昼何が良い? 明日はお父さんもお母さんも外に出ちゃうし、日曜日はどうなるかわからないでしょ? 折角だからパーッと美味しいものにしようかと思ったの」 そういえば明日はそれぞれ実家に帰るらしいのだったか。俺は零奈さんと過ごすので断ってしまったけれど、父も母も怒ることなどせずに、寧ろ当たり前のことかのように笑っていた。二人とも信じているのかはわからないけれど、折角だからと豪勢な食事にするらしい。 うぅん、と少し悩むけれど、あまりぴんと浮かぶ料理はない。 「あー……ピザとか?」 「もう、安上がりなんだから~……。お父さんはお寿司が良いっていうから、ピザとお寿司頼もうか」 「あ、あと筑前煮。母さんのアレ好き」 「ふふ、お父さんも同じこと言ってた。じゃあお使い頼んじゃおうかな、スーパーはやってたから、材料買ってきて頂戴」 「うーっす」 きょとんとした後で、母は嬉しそうに、鈴を転がすような声で笑った。どうせ暇なのだから買い物くらいしに行って良いだろう。軽く頷いて、買い物のメモを受け取り相変わらず世界の終わりそうにない青空の元スーパーへと向かう。人通りはそれなりに多く、友達や恋人、家族連れ。皆、あまり悲壮感はない。楽しそうに、至って普通に過ごしている。やはり、地球が滅亡するとは思えなかった。 ぐらり。 そう思った途端、地面が大きく揺れる。所々から小さな悲鳴が上がり、次々と皆がしゃがんでいくのに習って俺も慌ててその場にしゃがみ込む。そこそこ大きな揺れが続いた後、暫くして揺れが収まる。これが、頻発する地震というやつだろうか。周囲の人々は、先ほどまでより少し表情に翳をさしながらも、段々と立ち上がり歩いていく。慣れている、様だった。 ぴこんっ、とポケットに入れていたスマホの通知音。画面を見ると零奈さんからのメッセージだった。 『大きい揺れ来てたけど、大丈夫』 「え、珍しい」 普段態々聞くのは自分のほうからだというのに、珍しい確認に思わず声に出してしまう。 「大丈夫っすよ、と……」 文字に加えてスタンプも送っておけば、直ぐに既読がつき『それなら良い』とだけ素っ気なく返ってくる。心配したくせに、素直じゃない人だ。 確か今日は妃先輩とお泊りで一緒に居るだろうに、送ってくれたメッセージに自然と口元が緩む。それと同時に、最近のらしくない行動に違和感、心配があるのも確かだ。特に昨日の一件の所為で、疑問はつのるばかり。最近何かあっただろうかと思い返してみても特に何も思い浮かばない。地球滅亡は零奈さんも本気にしていないようだったけれど、案外気にしているのだろうか。 そんなことをぼんやりと考えていれば、突然気配もなくぽんと肩に手が乗る。 「環くん、奇遇だね!」 「うわぁぁ!?」 一昨日きいた、苦手な奴の声で、背後から名前を呼ばれる。叫び声を上げながら飛び退き振り返ると、悪びれることなくにっこりとまるでお手本のような笑みを浮かべた光狩君が其処に立っていた。 「なんで君が此処に居んすか!」 「此処の辺りに少し用があってね」 ぎゃん、と威嚇するように聞いてもなんのその。こういうところも苦手だ。苦手! 「ふむ、何かお困りの様だ。僕で良ければ相談に乗るよ?」 「結構っす」 「僕と君との仲じゃあないか!」 「う、うざい……!」 どう断っても引かない態度に肩を落として額を押さえる。話す気はないと分かりやすく無視をしてスーパーの方へ足を進めても、ぴったりと隣をついてくる始末。仕方なく、本当に仕方なく口を開く。 「……最近少し零奈さんの様子がおかしいから、それで」 「ふむ、なるほど……。スーパーはこっちじゃなかったかな」 「あ、え、うん。それだけっすけど」 慣れ親しんだ道だというのに、進んだ道を呼び止められてハッとする。そんなに零奈さんの所為で心此処にあらずなのだろうか。道を戻りつつ、隣を歩いているはずの彼にちらりと横目に視線を送るもそこには誰も居なくて。ぎょっとして振り返ると、曲がり角の辺りにまだ立っていた。 「君は、君の思うように進めば良いよ」 「え?」 「君の選択は、君の想いで動く未来は、きっと愉しい未来だ」 「……光狩君、何のこと言ってんの。また俺で遊んでる?」 「僕は、君の、君たちの作る未来が、終末が、楽しみなだけさ」 逆光で、表情が良く見えない。にこりと相変わらずお手本のように弧を描く口元だけは何故か鮮明で。耳の奥で、なぜか音楽が聞こえた。帰宅を促す、この町のチャイム。 「一つ、助言をするとしたら、そうだな」 「……光狩、君」 「日記帳、だろうか」 ぴんと、人差し指を立てて静かに紡ぐ声は、耳鳴りのように歪に響く耳にするりと滑り込む。喉が、嫌に乾いて声が出しにくい。親密ではないものの、苦手だとしても8年の付き合いだというのに、まるで、彼が知らない人のように、不気味さを持って感じてしまう。そんな感覚を振り払うかのように口を開けるも、彼の方がやはり先だった。 「僕の用事はこっちなんだ、それじゃあね」 地面に根を張ったように体が動かない。曲がり角の向こうへと消えた背中に、すぐ消える足音。ぐるぐると彼の言葉が頭の中で回っていて、その場に蹲る。深呼吸を何度か繰り返して、立ち上がる。最近はわからないことが多くて、それでも日常と変わらなくて、それでも世界は日曜日に滅亡するらしくて。 明日、きっと明日に。零奈さんに会えば、そうすれば、何かわかるはずだ。逃げるかのように思考を抑え込むと、重たい脚でもって、スーパーへと向かった。 「いただきまぁす」 「いただきます」 手を合わせて、三人で食卓を囲む。テーブルには所狭しとピザや寿司、そしてリクエストの筑前煮が並んでいる。ピザは俺の好きな照り焼きとマルゲリータ、それと確か期間限定のやつ。ピザを食べたり、寿司を食べたり、時々筑前煮。短時間でも味がしっかりとしみ込んでいて美味しい。 「環、顔色が悪いぞ」 「帰ってきてからそうねぇ」 「え、あ、そう?」 特に何も変わったつもりは無かったというのに、やはり親というのはわかるのだろうか。しかし説明するのも難しく口ごもっていると、母が小さく笑う。 「やっぱり環も不安になってきた?」 「日曜か」 「……まぁ、そんなところ。母さんたちは、どう思ってんの」 今まで一度も聞いてこなかった。そう尋ねると、母さんと父さんは一度顔を見合わせた。 「昔にも、こういう予言はあったが、結局世界は滅びなかった。しかしまぁ……母さんと結婚して、お前が産まれて、此処まで大きくなった。孫くらいは見たかったが、まぁ終わっても父さんはあまり不満はない」 「私はやっぱり残念だわ。私たちとは違って、環にはこれから沢山の未来があって、色んな事が起きるんだから」 白髪の目立ってきた髪を掻きながら話す父と、頬に手を当てて眉尻を下げながら笑う母。二人は終始穏やかで、残念がりはすれども世界の滅亡に怯える気配はない。こんな両親の間の子どもだから、俺も実感がわいていないのだろうか。 「世界が本当に終わるか、わからないけどね」 ぱくり、と大トロを美味しそうに頬張った母は、やはり穏やかに、けれど確りと言葉を紡ぐ。不安定だった俺の心を、すぅっと静めるみたいに。 「環が、これが良いって、環が幸せだって思えるような道に進んでくれると良いなって思うの」 「……孫が見たいとは言ったが、それは父さんたちの勝手な想いだ。結婚しなくても、子どもを産まなくても良い」 「そうよぉ、世界一周しても良いし、なりたい職業についていいの。環の幸せは、お母さんたちの幸せなんだから」 「お前の幸せを、意思を、求めなさい」 力強い声に、ぴんと背筋が伸びる心地がする。先刻、光狩君が言っていた、進みたい道に進めば良い、という言葉に似ているのに、父と母の言葉は、ゆっくりと伸びる道しるべのようで。 「世界が滅亡する、間際でも?」 「もちろん」 言いたいことは終わったとばかりに食事を再開させる二人の様子に肩の力が抜けた。 * 世界は、やっぱり赤い。耳に馴染んだ音楽を乗せる強い風が、辺りの木々を揺らしている。此処は公園だ。昔、あの人と二人でよく遊んだ。その真ん中に、俺は膝をついていた。ブランコが風にあおられて小さく揺れている。所々色の剥げた遊具は、カラフルなはずだけれど、赤い夕陽に照らされて色を変えていた。 ぽっかりと、腕の中が空いている。誰かが、居たはずの空間。そこだけがぽっかりと。 この腕の中に、一体誰が居たんだろう。俺は何で、泣いているんだろう。 分からないまま、赤は黒に変わり、意識はどぷんと、底へ、底へと沈み、暗転したところで、消えた。 ピピピッ ピピピッ 大学に行く日よりも、今日は少し遅い。既に父も母も家を出ているようで、一階に人の気配はない。行けないのだから手土産の一つや二つ、俺が用意すべきだっただろうか。そんなとりとめのないことを考えながら、零奈さんと出掛けるにあたって隣に並んでも恥ずかしくない感じにはしないといけない。零奈さんなまじ美人さんなんだから、ばちばちにキメる訳ではないけれど、最低限ぴしっとしないと。今日も変な夢を、見ていた。心に穴があいたような、体の内側に冷たい風が吹く感じ。 しかし今日は零奈さんと出掛ける日だから、うだうだしているのは嫌だな、と、思うので。 「いってきまーす」 今日も、空は青い。 「零奈さん、どこ行きます?」 「……映画館」 「見たい作品でも?」 「そんな感じ」 普段とは少し違った系統の、白いふんわりとしたワンピースに身を包んで、高い位置に髪を結っている。白と小麦色のコントラストが良いよ思う。メイクもいつもより優しめで、いつもはお姉さんって感じだから今日は可愛らしく感じる。ヒールもいつもであれば俺と同じくらいになるまで、もしくは少し高くなるまでの高さのヒールだけれど、今日は目線が少しだけ下にあるくらい。話す時に視線を向けてくるときにちらりと見上げてくる感じが、素足の時、家でのんびりしている時なんかと被って、これはこれで落ち着く。 チケットはもう取ってあるらしく、ある程度の余裕をもって映画館に向かい、零奈さんのリクエストでキャラメル味のポップコーンとジュースを買ってくる。あまり食べないくせに映画を見る時はいつも買いたがるのだ。俺が食べるから良いけども。おいしい。 「零奈さん、段差気ぃつけて」 「ありがと」 薄暗い映画館。慣れているし今日はヒール低いし、というか零奈さん器用だから大丈夫だと思うけれど、それとやりたいこととは違って。ポップコーンとジュースを乗せたトレーを片手に、空いた手を差し出すと俺よりも小さなしっとりした手が乗っかる。あ、爪も可愛くしてる。妃先輩とのお泊り会楽しかったんだろうか、聞いてみよう。尋ねてみると案外楽しそうにそわそわと答えてくれるので。 座席に座って暫くすると、宣伝も終わり映画が始まる。 それは、恋愛映画だった。あんまり零奈さんはこういうのを見ない気がするので珍しく思いつつも段々と映画に引き込まれる。ありきたりではあるけれど、世界とその、好きな人、どちらを取るか。 『お前のために、世界を失ったって良い! でも、世界のためにお前を失うなんて、そんなことは、絶対に嫌なんだ!』 膝の上に乗った手が、強張った気がした。一番の映画の山場だからだろうか。その手につられてそっとスクリーンから目を離して表情を窺うと、グロスを乗せた綺麗な唇を噛んで見つめている。傷がついてしまうからやめてほしくて、何かを耐えるようにじっとスクリーンを見つめる視線の理由が他にもある気がして、心臓が握りしめられる心地になる。 その後は、零奈さんの表情が頭から離れなくて、映画にはあまり集中できなかった。 「……映画、面白かったですか?」 「うん、良かった」 「なんか、気になったこととか」 「ふ、なにそれ。普通に、感動した」 「そう、すか」 「お昼、此処行きたい」 映画が終わって、館内にざわめきが戻る。表情の理由が知りたくて、それとなく聞き出そうとしても小さく笑うだけで終わってしまう。此処、とスマホの画面を見せられて、さっさと行こうとしてしまう手首を、思わず掴んで引き留めた。 「零奈さん、やっぱりあんたさ」 「環、……な、行こ。デートの時間、もったいない」 「デートッ!?」 「っふ、はは! 驚きすぎ」 俺の言葉を遮って向けられた言葉に素っ頓狂な声が思わず漏れる。そんな俺の反応が大層面白かったようで、肩を揺らしながら笑うその姿に、脱力してしまった。 「もー、行きますよ!」 「はいはい」 ずっと笑っているものだから、段々揶揄われる気恥ずかしさやらで、今度は俺から先に進む。手首は、掴んだままで離せなかった。 その後は零奈さんが行きたがるところでランチを食べたり、ショッピングをしたり、カフェに行ったり、ショッピングモールの上にある水族館に入ってみたり。普段であればあんまりぶらぶらしないでやりたいことをしたら帰って家でだらだらしたがるのに、今日は帰りたがったりせずに、まるで本当のデートかのように時間が過ぎていく。 「零奈さん、そろそろ帰ります?」 「……もう少し」 片手に零奈さんと、それと今日は俺の分までコーディネートされた服が入ったショッピングバッグ。明日世界が終わるのに、って笑ったら、ばーかって笑われた。零奈さんの疲れが少し見えてきて、映画館からなんとなく繋いだ手を引いて、慣れた近所の道を歩く。何度かくんと腕を引っ張られて、道が正される。着いたのは、小さい頃よく遊んだ公園だった。ブランコに腰かけた零奈さんが、子どもみたいに足を揺らしてブランコを揺らす。つま先が着いちゃってて、擦れて地面に線を描いていく。 「零奈さん、綺麗な靴、汚れちゃいますよ」 「靴だけ?」 「はいはい零奈さんも綺麗です」 「明日終わるから良いんだよ」 存外楽しそうな零奈さんにつられて、並んで腰かけてゆっくりと揺らす。昔、一緒に遊んだみたいだった。俺が転んで怪我をすると、ばかだなぁって笑いながら絆創膏を貼ってくれたのを覚えている。一個しか変わらないのに、今では俺の方が面倒見てるのに、それでも、ずーっと変わらない。追いつきたいのに、零奈さんはずっと、先を歩いたまま。いつになったら、横に並べるのだろう。 「環、手」 「え?」 「手、こっち」 ブランコの揺れを穏やかにした零奈さんが小さな手を出す。つられてその手に手のひらを重ねると、逆と言われて手の平を差し出す。そうすると、零奈さんは本当に少ししか荷物の入っていない小さな鞄から何かを取り出す。 「はい、これ」 「これ、って……ピアス?」 「最近開けたから」 零奈さんが開けたいというので、何故か俺まで付き合わされたピアスの穴あけ。耳朶にはまだピアスはつけてない。 「……お揃いに、してみた。デートの記念みたいな。…つけるかは好きにしたら良い、けど」 「……今日なんなんすかぁ……」 「要らないなら返して」 「貰います!…お揃いってことは、零奈さんもあるんですよね?」 「……そりゃあ」 「んじゃつけさせて」 零奈さんには、いつも振り回される。ピアスだって急だったし、急に夜コンビニいくって言われたり、酷いときは大学帰りに温泉旅行に連れていかれたりした。今日だってそうだ。零奈さんにあっちこっち振り回されている。 渡すときはすんなり寄越したくせに、自分の分はそろりと寄越してくる零奈さんの分の包装を剥がして、お揃いらしいピアスを手に取った。シンプルなデザインだ。淡い翠色の石。あまり宝石には詳しくなくて、痛くしないように気をつけてつけながら何の石なのか訊ねる。 「グリーンフローライト」 「聞いたことねぇや……」 「だと思った。……はい、環のも」 名前を聞いてみても結局分からなくて、正直にそれを伝えたら案の定笑われる。交代でブランコに腰掛け直し、貰った同じ色の石が嵌め込まれたピアスを渡して着けてもらう。鏡なんかは持ってないけれど、零奈さんが満足げに笑っていたからきっと大丈夫なのだろう。大体仏頂面で、笑ってもちょっとばかし悪い笑みだったりして、折角の綺麗な顔を歪めて眉を寄せている零奈さん。そんな彼女が僅かばかりでも頬を緩ませて、笑っている。時々見る、それ。いつもであれば笑ってるなぁとじんわり心が暖かくなるのに、今日は何故か締め付けられる。同じはずなのに、違う。もっと、もっと素晴らしいものなんだ、この人の笑顔は。笑う顔が馬鹿みたいにへたくそで、全然笑えない。 「零奈さ、」 「環」 チャイムが流れている。帰りの時間を知らせる、その音楽。空が真っ赤だった。俺にピアスをつけ終えた零奈さんが、いつの間にか公園の出口に、向かっていた。俺は、ブランコから立ち上がれない。赤い光が、ブルネットの髪をきらきらと照らしている。新しく耳についた揃いのピアスが、赤い中にぽつんと翠を残している。この人のための光だと思うほどに美しい、光景だった。目が離せない。いっそ息が出来ないほどで。 「また、月曜日」 嘘の響きだ。それだけが俺に伝わっていた。 * アラームの音に目を覚まして、支度をして、大学に行く。時折眠気に襲われつつも講義を受けて、友人と昼食を食べて、大学の後はバイトをしたり、時々遊んだり。そんな、何でもない日々。何も欠けていない、そんな、 地震で、目が覚めた。大きめで短い揺れが多い。本当に世界が滅亡してしまいそうだとついつい考えてしまう。昨日の深夜に父も母も帰ってきていて、もっとゆっくりすれば良かったのにと言ったけれど、二人とも俺と過ごせと帰されたらしい。優しい、家族だ。 「昨日も零奈ちゃんと遊んで来たんでしょう? 零奈ちゃんママとお母さんはお話するけどお父さんはお話していないし、最後かもしれないからご挨拶いきましょうか」 「向こうも家族団らんじゃあないか?」 「直ぐお暇すれば大丈夫よ」 家族ぐるみの付き合いもあったからと腰を上げる父と母に、自分もついていくと声を掛ける。結局昨日あれから問いただすことも出来ずに、連絡を何度しても繋がらなかったのだ。 「急にごめんなさいね、一応ご挨拶に伺おうって」 「あら環君ママ、態々有難う~」 きゃっきゃと楽しそうに話す母たちと、対照的に穏やかで言葉数少なく挨拶する父たち。そわそわと門の奥を覗き込むと、俺に気付いた零奈さんのお兄さんの一也(かずや)さんが駆け寄ってきてこそこそと声を掛けてきた。 「零奈が何処に居るか、環くんは知ってるか? 今日は一日家で、家族で過ごそうと言っていたんだが、朝食の後から居なくて……」 「えっ」 「あぁそうなんだよ、環君は何か知らないかい?」 「俺も昨日から、連絡取れなくて……」 「そうか……」 日記帳。突然、その言葉が浮かぶ。そう、一昨日、光狩君が言っていた、助言だ。唐突に浮かんだその言葉を頼りに、お邪魔します!と断って零奈さんの部屋に飛び込む。一也さんたちが言っていた通り中はもぬけの殻で、ざっと部屋の中を見渡す。沢山の本が詰まった本棚の一角、何度も整理しているのに、初めて見た背表紙がある。そういえば今週は掃除しに来なかったな。俺に片づけをやらせるくせに順番などには口を出してくるのだから我儘プリンセスである。古びた本。そっと取り出して表紙を見れば、題名は『かみさまの寝物語』。零奈さんが知らないと言ってたはずの授業でやった話。 何でここに。訝しんで眉を寄せるも、その隣に差し込まれた一冊のノートへと視線が向く。急いで手に取って、一度勝手に読んでごめんなさいと謝っておきページを捲る。 『〇月×日 (日) めぐるが、寝物語の従者にえらばれた、らしい。つれていかれそうになるのを、そのさきをこの目に見た。意味がわからない。しんじられない。けど、絶対にあんなところに連れて行かせない。神様とやらが、私にしても良いといった。私がやれば、環はえらばれない。なら、そうしよう。一週間の猶予を、世界をくれた。最後の一週間、何が出来るんだろう』 乱れた文字だった。所々涙で滲んでいて、読みづらい。 『〇月×日 (月) 日曜日に、せかいは終わる。私がなるか、環がなるか。それとも、世界を滅ぼすか。此処は神様が邪神として目を覚ますまで、七日の世界、らしい。そいつは、光狩の顔をしていた。日曜日に、私が死んで、従者になる。』 『〇月×日 (火) 環が、少し変に思っていた。記憶に違和感があるらしい。時々勘がよくて困る。そういうところも、気付くところも、好きだった』 『〇月×日 (水) 今日も大きな火事があったらしい。本当に、世界が終ろうとしていると実感する。残り四日間。環と出掛けるのに、服を買った。似合うか、わからない』 『〇月×日 (木) こわい。従者になったら、もう誰にもあえない。どこにもいけない。世界を、守るなんて、そんなの、できるのかわからない。いつか、こわすのかもしれない。しぬのが、こわい。けど、環が連れていかれる方が、もっと、こわい』 気付けなかった、弱さが、綴られている。 『〇月×日 (金) 明日は、環と二人で会う。ずっと様子気にしていたから、気を引き締める。明後日で、最後』 『〇月×日 (土) 楽しかった。ピアス、喜んでくれた。これを、つけていこうと思う。 さみしい、こわい。けど、いかなくちゃ、いけない。 さよなら、大好きだ』 「行かないと」 選ばれていたのは、俺だったんだ。 この作られた今日終わる世界は、もともと私たちが過ごしていた世界と、ほんの少し違った。曲り道だとか、店の位置だとか。おおむねは一緒だったけれど。環と過ごした公園も、鉄棒が増えて、シーソーが減っている。地響きがする。よその国では山火事がまた多発しているそうだ。もうスマホの電源は落としてしまった。 環とは、この公園で出会った。今でもよく覚えている。朗らかな兄とは違い、自分でも気難しい方であることは自覚していた。幼稚園の頃から市立に入り、良いところの子どもだったとはいえ周りの子どもよりも、遊ぶより何かを読み、学ぶことの方が好きだった。幸い、と言って良いのかどうやら自分は優秀だったようで。小学校に上がれば差は更に顕著に出て、子ども特有のやっかみに晒されるのは、いくら頭が良いとしても、それなりにダメージのあることだった。 その日も物を取られたり隠されたり、髪を引っ張られたりなんだりと、大人の目にはまだまだ幼い癇癪の結果の喧嘩に映ったのだろうか。お互いごめんなさい、なんてことをさせられて、子どもながらにプライドもあって父にも母にも、そしてみんなに好かれている、自分とは真逆の兄にだって言えなくて、とうとうこっそりと学校を飛び出した日。こどもの足で行ける場所なんて限られている。人の居ない、家からほんの少し離れた公園。もう少し行ったところにもっと大きくて遊具もたくさんある公園があるので、こっちはあまり人が来ず、静かな方が好きな私にとって気に入った公園だった。 大人びた、とはいえまだ小学1年生。勝手に学校を抜け出して、怒られてしまうだろう。けれど、戻りたくはない。なぜ自分はうまくできないのだろう。自分は悪くないのに。そんなことを考えていればぼろりと大粒の涙が零れてしまい、地面に足が届かないブランコに座ったまましゃくり上げて泣いていると、突然、とんとんと膝を叩かれる。 「わ、おねえさん、きれーっすねぇ、おめめとけちゃいそう。いたいいたい?」 それが、出会い。環は大変人懐っこいようで、その後私が涙を止めるまできゃらきゃらと色んなことをずっと私の足元に座り込んで、見上げながら話していた。こうも懐かれることが初めてだったものだから、戸惑ってしまったのも覚えている。 そこから、結局環を探しに来た環のお母さんに学校を抜け出してきたことがバレ、学校も家も勿論大騒ぎになりしこたま怒られた。しかしまぁ、一人味方が出来ると強くなれるもので。家が隣であると後に判明し、よく遊ぶようになってからは、相変わらず人当たりが良くなることはなかったものの、周りに振り回されて泣くなんてことはなくなった。 だって、気にするのもばかばかしくなるのだ。きれいっすねぇ、すごい、すごい、かっこいい。目をきらきらと輝かせて、他にもたのしいことはたくさんあるだろうに、後ろについてきて、何よりも凄いのだと笑って示すものだから。こどもの気まぐれで飽きることは無かったようで、結局ここまで一緒に居る。ずっと、ずぅっと、自覚しているのかしていないのか知らないけども、あなたが一番と、変わらずに、笑って。 そんな彼が、連れて行かれるのは、到底許せることではなかった。言ってしまえば、世界なんかより大切なのだ。世界のために失うなんて、耐えられない。若気の至りだと笑われるだろうか、馬鹿だと思われるだろうか。 ここまでずっと優秀だったのだから、これくらいの馬鹿は良いだろう。 また、大きく地響きがする。空はすっかり赤く姿を変え、一日の終わりに近づいていた。そろそろ決着をつけなければ。あまり痛いのは嫌だから、早く済ませたい。思い出の場所を、血で汚すのは申し訳ない気持ちもあるが、思い出に包まれて、いきたいのだ。 家から持ち出した包丁の柄を両手で握り締める。手が震えているのはわかっていた。ゆっくり深い呼吸を繰り返して、持ち上げていく。 「零奈さん!」 一番聞きたくて、聞きたくない声が、聞こえた。 公園の真ん中。そこに彼女は座り込んで、包丁を首に向けていた。走り回って馬鹿みたいに暑かった体温が一気に冷え、大声で名前を呼ぶ。するとびくっと肩を震わせて振り返った手がどうにか止まったので、駆け寄って手から包丁を叩き落とす。 「なにやってんすか!」 「め、ぐる、なんで」 「日記、読みました。気付かなくてごめんなさい、けど、俺、怒ってますからね」 一息で言い切る。呆然と俺を見つめる瞳を、強く睨んで見下げた。 「零奈さん、あんた、ふざけんなよ。なんで勝手に決めるんですか、なんで一人でやろうとするんすか」 「だって、それは」 あぁ、目が、溶けちまいそうだなぁ。 場違いに、そう思った。くしゃりと歪んだ表情に、俺に負けじと睨みつけてくる強い瞳、そこから溢れ出す、ピアスよりずっと宝石みたいな大粒の涙。長い髪から覗く耳朶に小さく翠が光っていて、あんなちっぽけなものだけを支えに一人行こうとする馬鹿さ加減に、怒りも忘れて笑ってしまう。賢いくせに、時々もの凄く馬鹿なのだ。 「ね、零奈さん」 砂の地面の上に、視線を合わせるために座り込む。また、地面が揺れた。終わりの時は、刻一刻と迫っているのだろう。 「零奈さん、俺と一緒に、死んで。世界と俺と、一緒に死んでよ」 こつんと、小さい額と俺の額とを合わせて、ぼやけるほどの至近距離で見つめる。こんなに近くても、やっぱり綺麗だ。さっきよりもさらにぽかんとした表情は幼くて、この一週間で沢山のことを考え、背負ってきた体を強く、強く抱きしめた。 「環、ばか、だって、ご両親とか」 「俺の幸せと、意思を、求めるんで。だから、これで良いんです」 「けど、でも」 「零奈さん、お願い」 隙間を無くすように、何処にもいかせぬように抱きしめて、ちいさく繰り返す。零奈さんは甘いから。俺のお願い、断れないでしょ。 酷く緩慢な動作で、背中にその細い腕が回る。肩の布地が、濡れていくのが分かった。 「環が、犠牲になって、それで良い世界なんて、生きたくなかった……!」 「俺だって、零奈さんが犠牲になって在る世界なんて、許せないから。だから、全部一緒に、壊して、一緒に、死んじゃいましょ」 今日も、世界は赤い。互いの体温を感じながら、決して離れないようにつよく抱きしめ合う。空が、ぼろぼろと崩れ落ちていくのが見えた。地響きの合間が狭くなり、赤が歪み、世界は滅亡へ、終焉へとその身を投げる。 「環、いたい」 「俺を置いて行こうとした罰です」 小さな手に導かれ、首元へと顔を埋める。長い髪に遮られ、目を焼き尽くすような夕陽が消え、穏やかな安寧が訪れた。痛いほどに抱きしめ合う力を感じながら、相手の存在を覚えながら、世界の終わりと共に、自分の存在も崩れ、消えていく感覚。暗転が、もう目の前に迫っていた。 きらりと、一つ。目印のような翠を感じて。 俺と零奈さんは、一週間と、それと五分前に作られた世界と共に、死んでいく。 「世界を壊してまで、自分の幸せを、意思を求めるその姿、なんて人間らしいのだろう! 素晴らしい、とっても楽しませて貰ったよ。これを失うのは惜しいってものだ、今回は別の人間にしよう。それでは、ごきげんよう」 * ピピピッ ピピピッ ひどく、恐ろしい、長い夢を見た気がした。世界と、そしてもう一人、大切な、あの人と死ぬだなんて、そんな夢。 「環、朝からどこ行くの!」 「零奈さんち!」 階段を駆け下り、着替えも何もせずサンダルを適当に引っ掛けて玄関を出る。そのまま直ぐ辿り着くのは、幼馴染の、一つ上の、あの人の家。 「環!」 「零奈さん!」 だぼついた、いつものパジャマ。髪も整えていない所為でぴょんぴょんと跳ねており、家の中から呼び止める声がする。 辛うじて見える耳朶に、ピアスがついていた。グリーンフローライトだ。そっと自分の耳に触れると、カツンと硬いものに指先があたる。 「……世界、壊しちゃいましたね」 「……うん」 やっぱり、どうしても笑顔は不器用で。それでも、それでも、俺はこの人と、零奈さんは俺と一緒に、生きたかったから。きっと誰に言っても理解されない罪を背負って、生きていくのだろう。その証をつけて。 朝のニュースで、誰か、名前も声も、顔も知らないその人が、原因不明の死を遂げたという。その人は、俺の代わりだ。そして、零奈さんの代わりだ。俺たちの身勝手が、世界から一人、人を消した。 世界の滅亡の遠のく気配が、そこにあった。
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