かわいい貴女  宮田誠

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かわいい貴女  宮田誠

 指輪はないだろう。指輪は。明澄はエレベーターを駆け下りながら思った。  家の近所のデパートで、就職の決まった短大の友だちに贈る内定祝いを探していた時、偶然、期間限定のアクセサリーショップを見つけ、買い物ついでに見ようと立ち寄っただけだった。店は三階のエレベーター横の、小さなスペースに収まっていて、細長い机の上に、ピアス、イヤリングを中心にしたアクセサリーがずらりと並んでいた。  その中で、ふと明澄の目に留まったのが指輪だった。金色の縁取りがされていて、枠の中はアクリルでできた鮮やかな黄色の石が嵌め込まれている。二つがセット売りされていて、もう一つは、ただの細い金色の何の装飾もない指輪だった。それでも、明澄の目には今まで見たどんな指輪よりも素敵に映った。指輪を手に取って見ると、アクリルは少し透けていて、黄色だけではなく、細く白い線も浮かんでいた。台紙の裏面には1200(+税)と書かれたシールが貼ってあった。 「はめてみますか」  店員の呼びかけに、明澄はうなずいて、店員に促されるままにその指輪を自分の指にはめた。大きな石は、明澄の短い指には不釣り合いだったが、細い方は似合っているように見えた。知子だったら似合うのに。明澄は、友だちの知子の細くて長い指にはまる金色の指輪を想像した。 「かわいいねえ、これ」  何でもかんでもかわいいという知子は、この指輪を見てもそういうのだろうなと思った。 「これ、ここから郵送とかできますか」 「はい、もちろん。プレゼントとかですか」 「そうしようと……」  明澄はそこで思いとどまった。言葉につまった明澄を店員は不思議そうな顔で見た。明澄は、指輪をもとあった場所に置くと、店員にすみませんと頭を下げると、早足にその場を立ち去った。  安物の指輪なんか、貰ったって困るだけだ……  一階まで一気に下りると、色とりどりのお菓子が目に飛び込んできた。友だちからの内定祝いだ。残らない方が嬉しいだろう。そう思って、明澄は知子の好きなマカロンを探した。たくさんあるケーキショップのマカロンを、一つ一つ見ていったが、結局買うことはなかった。  知子は、明澄の高校時代の友人だ。二人は、いつも一緒にいた。知子はいつも明澄のバッグやペンケースや、髪型を「かわいいねえ」と言って褒めた。あんたが一番かわいいよ。明澄は常々そう思っていた。知子はぱっちりしたまつ毛も大きな瞳も、短いつやつやの髪もえくぼも、ふわふわした肌も細い指も、明澄がかわいいと思うもの全部を持っていた。そして何より、明澄の話を飽きもせずに聞いてくれるところが大好きだった。  そんな知子にも、高校を卒業してからはまだ一度も会っていない。せいぜいSNSで近状報告をするくらいだ。就職が決まったのだって、たまたまタイムラインで見かけて知っただけだった。高校生の頃なら、進路が決まった時は一番に明澄に報告してくれただろう。  指輪、それも自分と分け合ってつけるなんて、お祝い事ではないプレゼントにしても嫌だろうな。突然送られてきてもね。  明澄は思いとどまった自分を褒めてやった。  しかし次の日も、明澄はあの指輪の前で立ち止まっていた。どんなに考え直してみても、想像上の知子の指にぴったりはまった指輪が、とても似合ってしまっている。 「かわいいねえ。ありがとうねえ」  知子がそういって口の端に小さなくぼみを作って見せるのだって、容易に思い浮かぶのだ。知子の左の薬指で、きらきらと輝く指輪のことなら、何度だって想像したことがある。  明澄はため息を吐いた。絶対に叶わないなら、やりたいようにやっても、怒られないんじゃないか。 「何かお探しですか」  昨日とは違う店員だった。明澄はほっとした。同じ商品の前で、二日連続で悩んでいる客なんて恥ずかしい。 「この指輪、かわいいなと思って」 「分かります。私も色は違うんですけど、同じの着けてて」  店員は右手の中指にはめた青い指輪を見せた。 「黄色もかわいいですよね。あと、緑と紫もあるので、よかったら試してみてくださいね」  明澄は緑も紫も青も見てみたが、知子にはきらきらの太陽のような色が似合う。  内定祝いで、本当にこんな贈り物でいいんだろうか。もっと違うものがいいんじゃないか。そんな考えが明澄の頭に何度も過った。でも、他の誰も贈らないようなものが良かった。悩んだ末に、黄色の指輪を手に取り、レジに持って行った。  明澄は、部屋のベッドに寝そべりながら、リボンのつけられた小さな包みを眺めた。指輪だけじゃ味気ないと思って、マカロンの六個入りの箱も買ってしまった。次に会った時、これを渡すのだと思うと、何故だか泣けてきた。渡せば、自分の初恋は終わってしまう。そう思った。  その時、明澄のスマホが鳴り出した。めったにならない電話の着信だ。知子からだった。  高校生になって一番初めの春、当時SNSをしていなかった知子が、メールアドレスと電話番号を教えてくれた。それから知子はSNSも始めて、そちらも連絡手段として使っていたけど、二人は内緒話をするみたいにメールでやり取りしていた。  明澄は落ち着いて深呼吸をした。知子から連絡が入るなんて、一年半ぶりのことだった。電話を取ると、明るい知子の声が耳に届いた。 「もしもし、明澄? 今大丈夫?」 「うん。いいけど……どうしたの?」 「あのねえ、ご飯食べに行かない? 一緒に。いつでもいいんだけど」 「え? いいよ。私、いつでも空いてるから」  明澄は高鳴る鼓動を抑え、なるべく平静を装った。 「というか、なんで電話?メールでいいじゃん」  かかってきたのは嬉しかったけど、と心の中で続ける。まさか、メールを見逃したわけじゃないだろうな……と少し不安になりながら、知子の返事を待った。 「声聞きたかったから」  迷いのない声だった。本当にそれだけのためらしい。知子の強烈なカウンターパンチを食らう。口を開けたまま、明澄は喋れなくなってしまった。  じゃあ、またメールで、と言って知子からの電話は切れて。明澄はドキドキしながらスマホを握った。知子から先に誘いがあるなんて思ってもいなかった。そっとスマホを毛布の上に置いた。服の裾で手汗を拭いて、再びスマホを手に取った。スケジュールを確認する。すぐに、今週の土日なら空いてるよ、と短いメールを送った。  風呂から戻ると、知子から、土曜でいい?と返信が来ていた。  デートだ。明澄はさっきまでのうつうつとした気持ちとは反対に、自然にガッツポーズするくらい心が踊り騒いでいた。  土曜日の夜、明澄は、知子が教えてくれた高校の近くのカフェ〈ケイプ・ホール〉の前に立っていた。新調した紺の小花柄のロングワンピースを掴んで、意味もなくひらひらとはためかせていた。約束の時間まで、あと十分。保冷バックに保冷剤と一緒にいれたマカロンが、ダメになっていないか心配で、何度か中を確認したい衝動に襲われた。 「明澄、早いじゃん」  七回目の衝動と戦い終えた丁度その時、スーツ姿の知子が現れた。 「今日ね、内定式だったんだ。そのワンピ、かわいいねえ」  知子は明澄の手を取って店に入った。店の中はごつごつとした岩の装飾がされていて、灯りは全てランプだった。二人は、奥の二人席に案内され、小さなテーブルで向かい合った。 「今日はどうしたの」  明澄はメニューを開く前に聞いた。知子はもうメニューを開いていた。 「あのねえ、この前誕生日だったでしょ」  確かに二週間前に明澄は誕生日を迎えていた。でもそれがどうして今になって祝う気になったのだろう。知子はリプライで「誕生日おめでとう」と送ってくれていた。それで終わりかと思っていた。去年はそうだった。  知子はテーブルの上に顔ほどの大きさの紙袋を置いた。明澄に受け取るように手で促した。 「誕生日おめでとう。ハタチだねえ」 「うん。びっくりした。ありがとう」  明澄が中を見ると、大きさの違う包みが三つ入っていた。 「絵里と伊緒とわたしので三つだよ」  知子はニコニコしながら明澄の動向をうかがっていた。しかし、一つ目の包みを取り出したとき、明澄は「あっ」と声を上げて包みを袋に戻した。 「あの、知子、私も持ってきたの」  明澄は自分の持ってきた保冷バックを机の上に出した。知子はチャックを開いて、中の箱を見た。 「ありがとう、これは?」 「マカロン。知子、好きでしょ。あともう一つあるの」  明澄は小さい指輪の入った箱を知子に渡した。知子は受け取ると、包みをそうっと開いた。中の指輪が知子の目に映った。 「ありがとう、明澄……わたしなんかしたっけ?」 「内定決まったって言ってたから」 「あ! そっか! なるほどね、ありがとう」  知子は笑顔で、明るい声で話してくれているが、明澄は焦った。かわいいって言ってもらえてない。もしかして、好みの色じゃなかったんだろうか。やっぱり、内定祝いなんだからデパコスでも買っておけばよかった。  明澄は貰った紙袋を鞄と一緒に荷物入れに置いて、メニューを開いた。メニューの文字が上手く頭に入ってこないで、ぼうっとする。聞きたかった言葉を聞けないだけで、こんなにもショックを受けるんだと、明澄はこの時初めて知った。 「ねね、青い包みの箱あるでしょ。あれ、わたしからだから、明澄も今あけてみてよ」  知子がそう急かすので、紙袋から青色の包みだけを取り出した。包装紙を取ると、中は白い箱で、それを開くと細長の透明な石が付いたイヤリングが出てきた。取り出してみると、石は角度によって色を変え、七色に光った。 「つけてみて。似合うよお」  明澄は、今日つけてきたただの丸いパールだけが付いたイヤリングを外し、そのイヤリングに付け替えた。首の横で揺れるイヤリングなんて持ていなかったから新鮮に感じる。 「どう?」 「すごくかわいい。よかった」  かわいい。知子は出し惜しみもせずに言った。指輪には言わなかったのに。 「ありがとう。知子もさ、つけてみてよ。絶対にかわいいって思うから」  明澄が言うと、知子はきょとんとした。 「かわいいとは思ったよ」 「じゃあなんで、いつもみたいに言ってくれなかったの」  知子はますますわからないという顔をした。眉毛がハの字になっている。 「あのねえ、明澄。わたし、明澄にしか、かわいいって言ったことないよ」  今度は明澄のほうが分からないという顔になってしまった。  思えば、高校の頃、知子はいつも明澄のものをかわいいと褒めていた。バッグ、ペンケース、髪型、キーホルダー、髪留め、手書きの文字、シャンプーの匂い、日に焼けた鼻、整えた爪、それから明澄自身。明澄は今になってようやくそれに気づいた。何でもかんでもかわいいといっているわけじゃなかった。自分のことを可愛いといってくれていたのだ。 「ねえ、この指輪、二つあるけど分けっこしない? こっちの金色のやつ、明澄に似合うと思うよお」  知子はそう言って明澄の手に指輪を握らせた。そして、自分の左の薬指に、黄色い指輪をはめた。  明澄の顔が、耳まで赤くなる。知子は、目を細めて口元にえくぼを作った。 「やっぱり、明澄ってばかわいいねえ」      
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