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「おばあちゃん、これなんの扉?」
私は棚の上に不自然についた木の小さな扉を指差した。
編み物に集中していたおばあちゃんはふと顔を上げてこちらを見ると、
「あぁ、これかい。玲美はいいところに目をつけるね。まだ紹介してなかったね」
そう言って暖炉の前からこちらに歩いて来て、木の扉をギィ……と開けた。
私がすかさず覗き込むと、そこには銀色の丸い井戸のようなものがあって、中は透明な液体で満たされていた。壁には美しい白い花の模様がほどこされている。
「この液体って安全なもの?」
訝しげにそう聞くとおばあちゃんは笑って、
「もちろん。ただの水だよ。まぁ、混じりけのない、本当に澄んだ珍しい水だけどね」
おばあちゃんの「ただの」は信じられない。
だっておばあちゃんは普通じゃないから。
ごく一般的なおばあちゃんなら、町中の猫を集められるわけないし、午前中にヨーロッパを5カ国回って帰って来れるはずがない。
正直、おばあちゃんは本当は魔女なのではないかと思ってる。
別に確認したことはないけど、絶対になにか秘密があるはず。
「珍しい水って……なにか健康とか美容とかにいいの?」
「そんなもんじゃないよ。ただあまりにも純水だから吸収がいいだけさ。ちょっとこっちにいらっしゃい」
おばあちゃんそう言って、近くにあった透明なガラスのコップで半分ほど液体をくみだすと、開けっ放しの扉から外の砂浜へ歩いて行った。
私も慌ててその後を追う。
今の時間帯はちょうど夕方で、空が黄金色のベールをまとったように綺麗だった。
おばあちゃんの家の前はすぐ海だから、水面がその色を反射してキラキラ光っている。
波打ち際に近くと、ひんやりとした夜の雰囲気をまとう風が吹き抜けていった。
「見てなさい」
おばあちゃんは私の目の前に立って、夕陽に向かってコップを掲げた。
位置の関係でちょうどよく夕陽と重なり、まるで液体の中に夕陽を捕まえたみたいで、なんだか不思議な心地がする。
それから、おばあちゃんは腕をおろしてニヤリと振り返ると、私の方にコップを手渡した。
「えっ」
思わず驚きの声を上げてしまう。
だってもう夕陽にかざしてないはずなのに、水の色が美しい橙色に染まっていて、おしゃれなお店にありそうなソーダになっていたから。
フルーツソーダじゃないし……夕焼けソーダ、かな。
「飲んでみるかい?」
そう言ってどこからかストローを取り出し、コップにさしてくれた。
恐る恐る一口飲んでみると、
「…………ん!」
美味しい。
オレンジとかマンゴーのミックスジュースのような味がした。
不思議。さっきまでただの水だったのに。
私の反応を見ておばあちゃんは嬉しそうにしていたが、急に真面目な表情で少し考えてからゆっくりと口を開き、
「もし……もしおばあちゃんが魔女だったと言ったら、驚くかい?」
私は弾かれたように顔を上げた。
「え……いや、あんまり」
「そう」
おばあちゃんはどこか安心したような顔で遠洋の方に目線を向けた。
やっぱりおばあちゃんは魔女だったんだ。
私はその事実を飲み込むと、途端にわくわくしてしまった。
「ねぇ、魔女ってなにか呪文とかあるの? 修行とかしなくちゃいけないのかな。それとももともとの才能とかなの?」
そう食い気味に聞くと、おばあちゃんはなぜか楽しそうに笑って、
「そうなのかもねぇ」
と、はぐらかした。
「どういうこと? 教えてくれないの?」
「うーん……教えたいけど、わからないから」
少し愉快そうな表情を浮かべて見下され、私は微妙に違和感を感じた。
「おばあちゃん……おばあちゃんは魔女、なんだよね?」
「あれ……そう言ったかね」
「うん、さっき言ってたじゃん!」
私が両拳を握りしめて講義すると、おばあちゃんはこちらを穏やかに見つめて、
「『もし魔女だったらどうする』って聞いただけで、魔女だなんて言ってないよ」
「でも魔女でしょ! 今だって水の色を変えたしたじゃん!」
「ああ、それね」
おばあちゃんは家の横にあるポストを指差した。その上には同じようなコップが置いてある。
「もともとソーダとさっきのコップの2つを持ってて、出てくるときに水の方をあそこに置いてきたんだよ」
おばあちゃんはなんのためらいもなくネタバラシをした。
突然現れた事実にめまいがしてくる。
「じゃあ、猫をこないだめちゃくちゃ集めて来てたじゃん! あれはどうやったの!」
「それはただ、猫が好きな匂いの草を植えてたら、いつの間にか集まって来ちゃったのさ。エサがあるとでも思ったんかねぇ」
「それじゃあ、あの旅行は?」
「あれは、本当は飛行機のチケットを取り忘れてて、空港から手ぶらで帰るのもどうかと思ったからお土産屋さんでいろんな国のお土産を買ってきただけなんだよ。黙ってたんだけどね」
蓋を開けてみれば、事実なんてこんなもんだ。
私は諦めににた感覚を覚えつつ、最後に、
「じゃあ、さっきなんであんな質問をしたの?」
「それは」
おばあちゃんはニコッとほほえんで、
「そう思われてるってわかってたからさ。純粋過ぎてついついいじわるしちゃってね。ごめんね。魔女って思われてるってわかったら、なんだかよりそう思われるようにしたくなっちゃってねぇ」
私はもう驚き過ぎて口が閉じなかった。
魔女だって言われたときより、そうじゃないってわかったときのほうが衝撃的ってどういうこと?
なんだかがっかりしてしまって、私はため息をついた。
「やっぱり魔法は存在しないのね。手品だったんだ」
おばあちゃんのは全部そう見えていただけ。
でも、
「それはどうかな」
と、おばあちゃんは真剣な顔でこっちを見て、
「魔法も手品もほとんど同じものだと思うけど。玲美だって今までのことを魔法だと思っていたんでしょう」
「そうだけど……でも同じじゃないよ。手品は種も仕掛けもあるんだし」
「本当にそうかね」
おばあちゃんはなぜか含みを持たせて言葉を切った。
私もそれ以上聞いてはいけない気がして口を閉じる。
魔法は魔法使いとかが不思議な力を使って行うものでしょ? 手品はそう見えるように工夫してするものだよね。
でも、確かに少し前までおばあちゃんのしてたことは魔法に見えた。魔女だって言われても驚かなかった。
もし、ここでおばあちゃんから事実を告げられてなかったら、これからもずっと魔法だと思いこんでいたかもしれない。
私にとってそれは『事実』で、でもそれは嘘で、嘘は間違ってて?
変なの。頭がこんがらがってきちゃった。
「よくわかんない」
私はそうつぶやいてコップに入ったソーダを見つめた。
もう一口飲んでみて、口の中に広がるフルーツの甘さを噛みしめる。
実際はただのフルーツソーダだったけど、もう少しだけ、このコップに入った黄金色のソーダを夕焼けソーダだと思うことにした。
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