パイナップルの缶詰

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 事情は、あるといえばあった。  僕は少し迷ったが、話すことにした。 「願掛けをしているんです。」  口に出すと顔が赤らんだ。  思春期、というもので済まされる類いのことなんだろうか。 「パイナップルの缶詰を一ヵ月食べ続けられたら、その…」 「両想いになるとか?」  カナタくんのママが、あまりにしどろもどろな僕の言葉を引き継いでくれた。  本当のことを言うと、そういうジンクスではない。  僕の好きな人が、好きだと言った古い映画に、パイナップルの缶詰を食べ続ける男が出て来たのだ。  男は缶詰を食べながら、別れた恋人が戻ってくるのを待ち続ける。その場面がひどく印象に残った。  映画の話をしながら、こんなに誰かと親密に語り合ったことはない、と思った。  結局は上手くいかない恋ならば、自分も一ヵ月食べ続けてみようと思い立った。  無駄なエネルギー、無駄に使われるお小遣い。  でも、どこにも行き場のないこの感情を、ぶつけるものが欲しかった。 「クラスの子?」 「先生なんです。部活の。」  僕は間髪を入れずに言った。言ってしまえ、と思った。  また、水色の靴と、靴下が飛んだ。 「それは、また、難しい人を好きになったねぇ。」  僕は自転車のスタンドを立てて倒れないようにしてから、屈み込んで、カナタくんの小さな靴を拾う。 「先生、もうすぐ結婚するんです。」  男の先生だ、ということは敢えて言わずにおいた。  僕の人生は多難だ、と思う。  性の目覚め、仄暗い感じの言葉だ。  僕には両想いなんて、一生ない。 「だから、僕がパイナップルを食べても食べなくても、もう関係ないんです。」  僕ら、でこぼこの3人は、別れ道までゆっくりと歩いた。 「ヒロキくん。」  別れ道でカナタくんのママは言った。 「わたし、今日、一ヵ月ぶりくらいに、人とまともに話をしたのよ。この子のパパが長期出張でね。」  カナタくんは、ベビーカーでうとうとし始めていた。  伏せられた長いまつ毛が、まぁるい頬に影を落とす。 「大事な話を聞かせてくれてありがとう。」  僕はやはり、しどろもどろにしかお礼が言えなかった。  別れ道に突っ立ったまま、僕は彼女たちが遠ざかっていくのを見守った。  ふと、夕暮れの歩道に、何かが落ちているのに気が付いた。  カナタくんの水色の小さな靴が、また片方脱ぎ捨てられていた。
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