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とある逢魔時の宿の一室。その室内に響き渡るのは、
やけに乱れた雄々しい吐息とやや控えめな女の艶めかしい声だけ。
激しい律動を前に、ぎこちない反応。彼女は思ったように鳴かない、しならない。そしてーー空を彩ったような目は、虚ろのままだ。
「……おい、」
「なに……?」
心ここにあらずと言うのは、正に今の彼女の状態を指すのだろう。呼び掛けに連なり動いた視線は、弥一を捉えているようでそうじゃない。重なるのは身体ばかりで、呼吸は愚か、視線すらも合わなくなったのかと、退屈心と歯痒さが彼をじわりじわりと蝕ませた。
「上に乗れ」
「『下手糞』って言うくせに……」
そうむくれながらも、渋々と上に乗り、最奥まで突けば腰を砕かれたかの如く自分の胸へと雪崩れてくる。
「下手糞が」
「自らっ……動かしといてっ……!」
「じゃあお前がやると?」
「やっ……、嫌っ、……いやだぁっ」
動きも手慣れたもので、互いの性癖も、波長も、呼吸も全ては認識の上。だからこその快楽が二人の熱を上げる。
耳元に吹きかかる吐息。普段は決して聞けない、彼女の皮を剥いだ矯声。それは彼にとって、最高の媚薬。淫靡に酔い耽る為の、上等な甘露酒。
突かれ、突いて、挿し抜かれては突かれ抜き。それは時に優しく、時に攻撃的に。その単純作業は、互いに果てるまで幾重にもーー彼女にとって、性を忘れさせないようにしてくれた存在は、弥一だけだった。
彼女自身が忘れたくても、か細い命綱を首輪の如く捲りつけ、彼はそれを決して許さなかった。
身体は潤っていても、心は酷く枯渇状態。それでも、自分にとって彼女は価値のあるものだと証明する為の行為。そこに純真は然程の意味を為さない。邪魔なものと言っても、決して過言にはならないだろう。
ーー互いに求むものは、燎原の火の如く突き動かされる本能と、それによって狂乱に善がり火照りゆく身体、だけ。
「……‥どくん、どくん。今日も、元気……」
「またその戯れ言か。いい加減、聞き飽きた」
「そう……」
「さっさと抜けや」
「出尽くした?」
「いいから退け」
果てた後は、互いに熱も急降下を辿るばかりでーー輪郭のない憂鬱ばかりが、彼女を襲う。身体の奥底で、寂寥感や虚無感が喚いているのだ。だが、そんな感情にも既に免疫がついてるってなもので、彼女は何事も無かったように服を着る。
「晩御飯は? 頼みますか?」
「要らねぇ。仕事迄、寝る」
「そうですか……じゃあ、帰ります」
「好きにしろ」
「仕事……、気をつけて下さいね」
「要らぬ世話だ。さっさと行けや」
いつものように素っ気ない態度で布団に潜る彼を背に、彼女は静かに襖を閉じた。
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