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彼女が日照寺に着く頃に空はすっかり、夜闇に染まっていた。ほんの少しの寄り道が いつの間にやら気温を下げ、彼女は寒さに身を縮めながら歩く。
「あ……」
そうして辿り着いた先で、彼女は足を止めた。目の前に、杞憂と喜びを同時に与えてくれる人物が居たからだ。
「おっ……、おかえり。遅かったな」
温かい笑顔が街灯に照らされ、眩しさを帯びる。それを見、彼女は一気に杞憂となった。目の前に立つ男にとって、自分が疚しい事をしていると心の片隅で自覚していたからだ。
「何、してるの……?」
「風呂上がりの一服な」
「風邪……引くのに」
「引きません。出たばっかだしな?」
その笑顔に嘘はなくとも、言っている言葉は気遣いでしかないのだと、彼女は胸を痛めた。朝陽の足元に散らばる幾つかの吸い殻が、彼の嘘を如実に語る。そして彼女に刻むのだ。彼が自分を待ち惚けした時間を。
「寒く、ないんですか……?」
「ちょっと寒いな」
「だったら、なんーーっ……」
彼女はその先を言えなかった。聞けなかった。下唇を噛み、咄嗟に伏せられた顔。その表情には確かに感情があって、それに気付いた朝陽は興味心で彼女の顔を覗き込む。だが、案の定ぷいっと逸らされてしまい見ることは叶わず。
それでも、そんな仕草が可愛いと伸びた手は、遠慮なく彼女の頭を撫でた。
「粂は元気してたかよ?」
その一言が彼女の胸を刺し、抉る。特に意味がある質問ではない。裏がある訳でもない。そう理解していても、彼女にとって朝陽から弥一達の事を詮索されるのは難儀でしかないのだ。
「……ん。げん、きっ……」
「そっ……そりゃ良かった」
ふと頭から離れていく手が、彼女に切情を運ぶ。
自然、途切れた会話に焦らされ……だけど、彼女の口は開かない。言葉がないから。次の言葉が、探しても探しても見つけられないから。
「はぁ~……もう夏だってのにな。夜はさみぃもんだ」
助け船の如く、朝陽が溜め息を漏らす。だが、彼女にはその言葉が重たくのし掛かるばかりだった。
「寒くねぇの? お前さんは」
「……別に」
「嘘こけ」
ふと触れられた指先に、彼女の肩がびくんと跳ねた。だが、それに朝陽が気付く様子は無い。優しい速度で握られ、温みに包まれた手。彼女は戸惑い、困惑した。今は素直に喜べる心境じゃないと、心が悲鳴を上げるのだ。
「……握り返しは無しっすか?」
朝陽は彼女に困ったような笑みを向ける。いつもなら、何かに怯えつつも握り返してくれる。渋々でも、最後には自分の欲求を満たしてくれる彼女に、恋を覚えたのはいつの日か。
しかし、『それがないと焦れったい』なんて、口に出しては男が廃るような気がして言えないのだ。だから、この先をどう打破するかを考える。だが、女経験貧乏な彼に 気の利いた答えが見つかる筈もなく、気まずい沈黙が二人の間に流れ始めた。
数十秒の沈黙。ふと二人、視線が重なったーーその刹那、衝動が彼の身体を支配した。
「!」
「あったけぇ……」なんて、幸福を隠さない台詞が彼女の耳元に落ちる。突然の抱擁。彼女は考えるより先に、口を開いてしまった。
「離してっ……」
「はい?」
「離してっ……!」
いつもはない拒絶に、朝陽は驚愕し、酷く困惑した。だが、離したくはない。やっと、あの男の元から戻って来たのに……ずっと指を咥えた状態で待っていたと言うのに。と。
「何で離さなきゃなんねぇの?」
「それはっ……」
言える筈も無かった。もしかしたら、弥一の匂いが残っているかもしれない。それを隠したいから、離れて欲しい。なんて……応えたいのに。彼女にとって、彼からもらう優しさは何よりの宝物なのだから。
「離れてっ……」
「嫌っすね、はい。朝陽さん寒いし」
「離れて……?」
拒絶は次第に弱々しい懇願へと変わった。それが、朝陽の傷を抉る行為だと彼女は恐らく気付いていない。
だから言葉を並べる。壊れかけの機械のように、同じ言葉を繰り返す。“弥一との関係を勘づかれたくない”……たったそれぽっちの為に。
「……なぁ、月之宮」
「っ……離れて」
「粂が好きなの?」
唐突な上、切情を駄々漏れさせた一言に、懇願が急停止した。
「違う。好き、じゃないっ……好き、だけど……そう言う“好き”じゃない……誤解、しないでっ……」
不貞腐れたような返事。オマケに、彼女はひねくれた天の邪鬼なのだ。背にしがみつき、胸に縋るように抱き着いて来る彼女に愛しさが混み上がる。嗚呼、俺が知るいつもの月之宮だ。とーー
「じゃあーー」
もう少しだけ、こうさせろ。
掠れた低声が、彼女の枯渇した心身に水分を与えた。
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