《3》赤い指

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   *  それから、マヤは大人の姿で過ごすようになった。  それでいいのかと尋ねると、どうやったら元に戻るのか分からない、と返された。やはり、今回のマヤの変化は、明確な意志のもとに訪れたものではないのだろう。  遠慮というよりは、僕も含めた「大人の人間」に怒られることを恐れている。マヤの態度は終始そういった感じで、そのときもまた、僕になにか尋ねたそうな顔をしながら、マヤが口を開くことは結局なかった。僕とマヤの間にある壁は、いまだ厚い。 『大丈夫。僕はマヤに触れないから、叩くことも絶対にないよ。』 『……うん。アカル、たたかない』  安堵の滲んだマヤの表情は、彼女がまだ子供の姿をしていた頃に見せたそれと変わらない。だが、どうしてか僕の目には、少し寂しそうに見える気がしてならない。  マヤが寂しそうなのか、僕の目にそう映って見えるのか、あるいは僕がそう見たいだけなのか……それ以上は考えるべきではないと強く思う。  マヤに声をかけるたび、僕自身がどんどん不安定になっていく。そんな得体の知れない恐怖に煽られ、それ以降は同じ言葉すらかけてあげられず、ただ時間だけが刻々と過ぎていくばかりだ。  外を散歩したり、絵を描いたり、マヤはゆっくりと日々を過ごす。  一度ふたりで散歩したときに、診療所の裏に咲く椿の花を見せた。良い機会だと思ったからだ。  マヤが過ごす診療室の窓からは死角になって見えないその椿は、僕の本体だ。  向こう側では主に冬に咲くらしいが、ここでは常に花開いている。無論、僕の本体だからだ。僕の命が磨り減れば、花も葉も落ちる。 「見て、マヤ。この花……これが僕の本体だよ。」 「ほん……たい?」 「そう。これと僕は一緒なんだ。この花が枯れると僕は死ぬし、僕が死ぬとこの花も枯れる。」  死ぬ、という言葉にびくりと肩を震わせ、マヤは僕をじっと見つめる。  分かりやすいかと思ってわざと直接的な言葉を選んだことを、僕は悔いた。 「ええと、綺麗に咲いてるでしょう。だから、僕はまだまだ死なない。」 「……そっか。よかった」  内心慌てながら急いで補足すると、マヤはほっと息をつき、安堵を覗かせた。 「じゃあ、あれはアカルの花なんだね。あのお花のなまえは、なんていうの?」 「椿。」 「つばき。きれいだね。まや、つばきのえ、かきたい」  ここ数日で、マヤは少しずつ自分の希望を言えるようになってきていた。怯えがちだった当初とは比較にならないほど屈託ない表情で、彼女はいろいろなことを僕に伝えてくれる。  例えば、マヤは絵を描くことが好きだ。画材はこちらでもある程度普及しているから、前回の飴のようにわざわざ作らなくても入手できる。  カンバスと油絵用の絵の具を用意した日には、マヤは大きく目を見開いて固まっていた。 『チラシのうらと、クレヨンで……いいのに』 『チラシ? それはなに?』 『……ううん。なんでもないの、ありがとう』  わざと当を得ない顔で尋ね返す僕に、マヤは笑って首を横に振っただけだ。
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