《4》傷の形

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   *  マヤに対して僕が抱く、不穏な――それも普通とは明らかに異なる感情の蠢きに、葛藤を巡らせながらも必死に否定を重ね続け、一年あまり。  月日の流れは僕らを待たない。いっそ残酷なほど平等であって、ともすれば気が滅入りそうになる。  治療はほとんど進んでいなかった。傷ができるに至った真の要因を、マヤ自身がまだ口にしていないからだ。  それを経ない限り、成果は望めない。だからといって、無理に口を割らせても意味がなかった。結局、マヤが自発的に話してくれる日を待つしかない。  頬の痣は、微かに痕が残ってはいるものの、元の肌色に戻りつつある。時間が解決した面もあるのだろう。治療がどうこうというよりは、きっと、頬を打った人物と長期間顔を突き合わせていないことこそが強く影響している。  そしてまた、今日という一日が終わろうとしていた。  マヤは画材を片づけ、僕はといえば、部屋の隅で新しい蝋燭に火を灯し、欠伸を堪え……そんな僕に、マヤが遠慮がちに声をかけてきた。 「……あの」  振り返ると、マヤが僕を見つめていた。真剣な瞳が、暗がりの中にあってもまっすぐに僕を射抜いていると見て取れる。  途端に、心臓がぎりぎりと軋み始めた。  ごまかしも、ここまで来ると限界に近い。なんとか平静を保ちながら、マヤの言葉に必要以上に心を動かしてはならないと、強く自分に言い聞かせる。  そのせいでマヤへの態度が素っ気なくなることも、マヤが悲しそうに顔を歪めてしまうことも、どちらも痛いほど分かっていた。ここしばらくはこうしたやり取りばかり続いていて、ますますマヤを苦しめてしまうのではと危惧することもあった。  だが、これ以上は僕がもたない。 「……アカル」 「なに?」 「マヤのこと、アカル、もしかして、きらいになった?」  思いもよらないことを尋ねられ、危うく、手にしていた使用済みの蝋燭を取り落とすところだった。  ……どうしてわざわざそんなことを。気が滅入りそうになりながらも、僕は小さな既視感を覚えていた。マヤに尋ねられた内容にというよりは、それを口にしているマヤの表情に対してだ。  うろうろと泳ぐ不安定な既視感の正体は、過去に診てきた患者だった。それも特定のひとりではない。  思い詰めたような、それでいてある種の決意を滲ませたような。マヤの表情は、かつての患者たちが自身の内側を――心の傷に関係する言葉を紡ごうとしているときの顔に、ひどく似ていた。 「そんなことないよ。どうしてそう思ったの?」  尋ね返しながら、胸が高鳴る。  冷静にならなければ。もしかしたら、今、マヤは。 「……だって、アカル、マヤにさわらない」 「そうだよ。僕はマヤに触れないし、叩いたりもしない。約束したでしょう?」 「うん、しってる……でも」  淡い蝋燭の灯りに浮き上がるマヤの顔には、困惑が色濃く滲んでいる。  迷っているのだと察した。それを口に乗せていいものかどうか、一度話し始めたにもかかわらず、今になって怖気づいているような、そういう顔だ。
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