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人と神なるもののあわい
例えばそう、ここに『男の娘もの』で興奮するくせに自分はノンケだなどと言い張る、ヘタレの根性なしがいたとする。
お前はそれを〝わからせる〟。わからせるというのは身の程を知ってもらうということ、自分はすでにオスとして去勢済みなのだと——強い個体に蹂躙され、その寵愛の元にのみ生きることを許された弱い存在なのだと、そう心のみならず体で理解してもらうためのきっかけづくり。
弱者救済。力なき者が己の弱さを受け容れ、また個性として誇れるような社会を作ること。それが今日より男となったお前の果たすべき使命で、また世の人倫を糾す栄えある責務なのだ——と、その場の思いつきでそんな適当吹き込むんじゃなかった。
「わかった。そうする。貴方がそう言うのなら」
口調は大人びていても心根は素直、晴れの日の柔土のように吸収が早いのが人の子の美点で、ことに男児のそれは凄まじい。己が責務のため粉骨砕身、ひたすら研鑽を積む姿は実に天晴れなもので、いや儂としては正直「もっと気楽に生きればよいのに」と思わんこともないのだけれど、でも覆水は盆に返らない。返らなかった。あれから十年、どんなに必死に掻き集めてみても、この小さな掌では何も掬えないのはもうわかっていた通り。
人の子の成長はまさに光陰流水の如し。これまで幾度となく見送ってきて、もう骨身に染みて理解していたつもりが、でもここまでのものは初めてだったんだから儂は悪くない。
黄昏時。夏の終わりの赤くしぶとい夕日を、でも空ごと覆い隠すかのような巨きな影。
「……うん? ど、どちら様かの? この社、結界の隙間を抜けて迷い込むのは、幼な児の他にはおらんはずじゃが」
珍客じゃの、と見上げる巨躯。気を張ったつもりが、でも駄目だった。わかる。膝がガクガク震えている。子供サイズの禰宜装束の中、強張る背筋を伝う一筋の汗。竹箒を握る手指につい力がこもって、でもそこにそっと優しく添えられる、眼前の巨漢の太い指。
ゴツゴツと、荒く節くれ立った——オスの指。
いつ戻った——そう尋ねるべき場面だったと今にして思う。もう遅い。その低く落ち着いた声は、この小さな頭蓋に染み入るような力強い響きは、いとも容易く儂の真ん中を鷲掴みにした。
「ただいま。俺だよ、コン助。あの日の約束を果たしに来た」
あとごめん結界はなんか軽く引っ張ったらもげた——そうあの頃のように屈託なく笑う、かつての小僧のそのパンッパンに膨れ上がった上腕二頭筋。デカい。カタい。かつての儚げな線の細さがもう見る影もなく、その巌の如き見事な成長の証に、儂はただひとこと、
「——嘘じゃろ? お前まさか、あのときの小僧か?」
と、そう目を見張るべきところをでも「ああ、勝てぬ……儂のカラダと全然違う……」ってなった。なってしまった。筋骨隆々のむくつけき偉丈夫に育った彼とは違い、もう何百年もずっと小柄なままのこの身。あまりに細く頼りないその体幹の奥から、今じわりと滲み出る初めての疼き。認めてはいけない。直視するだけでも傷になる。それは元来オスにはあるはずのない情動、そして決して手の届くことのない焦がれなのだから。
「久しいのう! 京に上ったと聞いておったが? まあ積もる話もあるじゃろうが、しかしその前に大事なことを一点お断りさせていただきたいのですが、儂は」
「『形こそこんなじゃが、オスなのじゃ』だろ? 知ってる。だから来たんだ、コン助」
ごめんな、待たせて——そうこの身を強く抱きしめる太く逞しい腕に、「バカモノよさぬか」と身をよじるつもりがでも「バカ……!」とそのまま身を預ける、その衝動をでもギリギリのところで堪える。
危ない。今のは本当に紙一重だった。こう見えて儂は八百万の一柱、いや今やすっかり忘れ去られた身とはいえ、それでも社持ちの稲荷という時点でそれなりの身分だ。そう易々と情に絆されては神としての面目が立たんし、ましてや、
「情? 違うよコン助。これはさ、愛っていうんだ」
なんて追い討ちひとつで『ズキュゥゥゥン』と膝から崩れ落ちるわけにはいかない。というか、落ちない。そんな安い女と思わないで欲しいし、いや違う儂はそもそも女ではなくて、立派な一匹のオス狐だ。それはこの小僧とてとうに承知のはずで、なぜならそれは十年前のあの頃、ことあるごとに言って聞かせたこと——。
儂と小僧。その出会いのきっかけはまあ、ありがちといえばありがちな話。
小さな山の上の静かな森、今や知る者のない古い社に、たまたま迷い込んできた小さな男児。
神隠しの結界はその構造上、人工的なもの以外はすべて素通しにする。その余波で時折混入するのが、こういう純真無垢な幼な児の類だ。大抵は軽く脅してやれば片付くのだけれど、稀にそれが効かない変わり者もいる。この小僧がその好例だ。儂が何を言おうと真っ直ぐこちらを睨め付けるばかりで、しかも片時も視線を外さないものだから、その胆力にはさしもの儂も恐れ入った。
「いやはや、大した度胸よの! あな口惜しや、儂が以前の祟り神のままであれば、今頃お前など丸かじりじゃったのに」
軟骨が旨いのじゃ軟骨が——そう牙を剥いて舌舐めずりをする儂に、でも小僧の返事は簡潔だった。見開いた眦もそのままに、小声で囁くように告げられたそれは、たったひとつのシンプルな答え。
「——っと、ごめんなさい。見惚れていました。貴方があまりに美しいものだから」
「ンッ」
すき。喉まで出かかったその言葉をすんでのところで飲み込み、そして迫る「結婚しよう」の追撃に弾む心を必死で鎮める。それが当時の儂にできた精一杯で、そしてそれからは毎日が戦だった。
小学校が放課を迎えるたび、足繁く儂のもとに通い詰めるその小僧。聞けば名を「いつき」というとかで、なるほどその中性的な容姿によく似合うと思った。切れ長の瞳に物憂げな面差し、なによりどこか影のようなものを感じさせる儚さがあって、なのにその薄い唇から紡がれる言葉の、そのなんと詩的で情熱的なことか!
ギリギリだった。それまでの日々、誰も訪れることのない無人の社を、ただ竹箒で掃き清めるだけの灰色の日常。そこに鮮やかな彩りを与えたのがこの小僧だ。萌え出る若葉のような勢いで、しかし紅葉のように烈しく燃え広がる赤。ああそうか、恋とは焔の色をしておるのだな——と、そう綴った日記はでもその翌日にひっちゃぶいて焼いた。何しとる儂。冷静になれ、ビー・クールだ神代の九尾。これは恋ではない。断じて恋などであってはならない、なぜなら儂はもう千年も昔、そう固く心に誓ったはず——。
神獣と人の子。そのふたつの時計の針は、決して同じように時を刻みはしない。
「っていうか、儂、オスじゃし。ちん◯んついとるし」
じゃから残念でしたーお嫁さんにはなれませーん——そうはっきり拒否の姿勢を示す儂に、でも「どうして?」と不思議そうに微笑む小僧。彼は言う。知ってる。貴方がオスだってもう毎日聞いてる。でも、だから何? むしろそれって好都合じゃない?
「女子が嫌いなわけじゃないけど、でも男子の方が仲良い友達多いよ俺? 一緒につるむのも男だし、なにより同じものを見て、同じ何かを感じて一緒に笑い合えるのは、やっぱり男同士だって思うから」
だからほら、見てよコン助——隣り合って座る社の階段、頬を寄せるみたいに肩を抱いて、小僧の小さな指が示した先。神代の昔から変わらぬ真っ赤な夕日。彼は言う。俺たちは今、同じものを見てる、と。貴方の瞳は真っ赤に染まって、きっと俺もそうなってる。同じ色だ。分かち合っているんだ。同じ刻を、同じ気持ちを。
なるほど、と儂は頷いて、そしてその先は胸にしまい込んだ。所詮は小僧、何も知らぬのも無理はない。赤いのは儂だ。儂の内側、膚一枚隔てたその下だ。あんなものではない、沈む太陽どころで済むものか。お前はこの枯れた身に、あとはただ消え去るばかりだった旧い信仰の抜け殻に、しかし生者を生者たらしめる唯一のもの、紅く滾る生命の火を灯したのだ。
思い返すにつけ、はっきりと思う。千年以上を生きて来て初めてのこと、だがあれこそ、まさしく。
「恋じゃった——っておいバカ完全に浮かれてアッパラパーになっとるじゃないか十年前の儂」
だからそれはまずいのじゃ、と必死で己に言い聞かせる。落ち着け、理性だ、理性を使うのだ神代の九尾。どんなに情熱的であろうと所詮は幼な児、神を相手に色恋を語るなぞ十年早いわと、まさにその十年が経過したからこそのこの有様だ。
天を衝かんばかりの身の丈に太い手足、儂の身体なんぞはその腕の中にすっぽり収まってしまうほどで、あまりの体格差に思わず全力で突き放してしまった、そのはずの腕がでも微塵も伸びていない。動かない。いくら力を加えてもびくともしない。ああ、と無意識のうちにため息をひとつ、儂はいよいよ思い知る。
身の程を。
生き物としての格、今までずっと気づかずにいた、いや素知らぬふりのままでも心のどこか、強引に暴かれるのをずっと待ち望んでいた、己の中の秘密の扉を——。
わからされて、しまった。
「バカ。もう知らぬ。ひぐっ」
「ごめん。急に抱きしめたのは悪かったけど、なにも泣かなくったって」
小僧の声。いやもはやお世辞にも小僧とは言えない、立派なひとりの男性の声。低く重厚なその響きに、儂の身体の芯がビリビリ震える。痺れる。恐ろしい、人とはこのような声を発する生き物だったか? 零れ落ちる涙の意味は、彼にはわかるまいがでも儂ならば言える。恐怖ではなく、まして再会の感動などでもない。ただ、本当にびっくりした。それだけだ。
「いやほら、儂、もう長らくこの神域から出ておらぬから」
そうだった。実はすっかり忘れていたのだけれど、人は成長すると急にデカくなる。特に男児のそれは非常に露骨で、端で見ていて「いや大丈夫かコレ?」と若干引いてしまうくらいの変貌ぶりだ。
ある日突然声がガラガラ枯れ始めたかと思えば、そのまま手足はムキムキ太くなるわ体毛がもじゃもじゃ生え出すわのもうとんでもない騒ぎで、それがなんだか怖くなって引き篭もったのだった。この社に。周囲に人払いの結界を張り巡らせた、誰も寄り付くことのない儂だけの世界に。
懐かしい。まつろう民を失くしたのはいつのことだったか、どうせ拝む者もなければ祀ってくれる者もない身だ。野生の獣や草花らと共に生き、いつかそのまま自然に還れたならそれでよかったものを、だが結界を超えて紛れ込む子供には事欠かないから本当に困った。
奴らは自然の生き物だ。みな煩くて身勝手で、なによりキラキラした活力に満ち満ちていた。つまみ出すのは本当に骨が折れたし、いやむしろ何度脅しつけてもまたぞろ忍び込んでくる子供の方が多くて、おかげで退屈はしなかった。
この時間、日暮れの始まりから終わりまでの間、ちょうど彼らが自由になる時刻。
古くは逢魔時などと呼ばれて、まったく皮肉なものだと思う。儂もまつろう民なき神代の一柱なれば、なるほど魔か妖の類には違いない。
閑話休題。とまれ、ちょろちょろ湧いて出るガキどものおかげで、儂はすっかり忘れていた。錯覚していた。こういうものだと、人の子とは、だいたい儂とおんなじくらいの体つきであると。
「久々に見たの。こう、大人の、本物のオスの身体というものを」
そう。これがオスだ。こうなって初めて本物の男なのだと、その事実を思い出すのにしばらくかかった。あるいは、それとも、本当は儂自身が忘れたかったのかしれない。
よしよしと、背中をトントン叩いてあやされてしまう、千年単位で成長のないこの小さな身体。尤も儂とて稲荷の端くれ、ただ大きな姿に化けるだけなら造作もないが、でも己の心根までは化かせない。弱々しく、あまりに情けないこのか細い手では、なるほど民の信仰を掴んでおけないのも当然のこと。
「また随分とデカくなったものじゃのう」
手を伸ばし、彼の頬から顎を撫でる。ざらざらした硬い髭の感触。角張った顎をなぞり、そのまま頸の方へと流れる指先。喉仏。くすぐったがる彼の笑い声に合わせて、震えるように動くその隆起。儂にはない出っ張り。決定的な差異。ほう、と小さくため息をつく。彼は変わった。あの頃の面影はまるでなく、もはや別の生き物だ。
であれば——。
これでお別れだ。
「愚かなりや小僧。ここは九尾の塒、幼な児の他には決して居てはならぬ処ぞ」
行きはよいよい帰りはこわい、人ならざるこの身との交わりは、夢現の分別のつかぬ幼な児ゆえの特権だ。子と大人のちょうど境目、移り変わりの一瞬の、未分化な自我なればこそ共に在れたのだ。人理を外れたものと共に在り続けたなら、人は人の形を保てない。別の生き物。分かたれた道。もとより同じ時を生きる事は能わず、そもこうして姿形が大きく育ちきった後、まだここに踏み入ることができたこと自体が例外なのだ。
「やっぱり? いや本当、絶対おかしいと思ったんだ。この社、どんなに探しても見つからないから」
当然だ。そのための結界、人の領分を侵さぬように作られた神域を、でもこの男は平然と「引っ張ったらもげた」と言った。いや嘘じゃろオイ、と思ったものの、でもこの筋肉ならありえなくもない。まるで鋼のような上腕二頭筋。鍛えたからね、と彼は言う。負けないように。この先どんな困難が待ち受けていても、ひとりで生き抜いて行けるように。
いやだ、貴方と別れたくない——なんて、男がそんなわがままで泣かないように。
「十年前、俺が大人になりつつあったあの日も、貴方は同じことを言った」
お別れだと。もはや会うことは罷りならぬ、ここは大人の居れぬ場所だと。だったらもうここから動かない、貴方を嫁にして暮らすのだとこの小僧が駄々を捏ねまくったのは、もちろん言われずともよく覚えている。手を焼いたが、でも無理矢理のけるのはまあ苦ではなかった。もはや大した神力もない身とはいえ腐っても九尾、あんな細っこい小僧ひとり程度は造作もない。
——片付くし、実際片付いたのだが、しかしそれからこの子はどうなる?
そんな情けを、それもたかが人の子ひとり程度に、ついかけてしまったのが運の尽き。儂は諭した。苦手な言葉を精一杯尽くして、彼にもわかる簡単な理屈で。儂なんぞの細腕に勝てぬようではどのみち同じ、お前も男なら強くなれ、と。泣いて地団駄踏んでごねるのではなく、欲しいものならその手で奪え。掴み、掬い、強く握って、決してその指から溢すでないぞ、と。
人の子よ。儂からすれば須臾のこと、昼夜のあわいを生きる蜉蝣のごとき命よ。
約束しろ。儂のようにはならないと。
長い時の流れに攫われた、かつては確かに掌の中にあった大事なものたちを、ただ夕日の向こうに思い返すだけの、そんな虚しい人生を送ることはしないと。
「『強く在れ。もはや子供ではなく〝男〟なら、己を守るものは己の力だけなのだから』——そう教えてくれたのは貴方だ。貴方が教えてくれたから、俺はこうしてここにいる。強くなったよ。約束は守った——いや、守りに来たんだ」
強く、しかし優しく儂の身を抱きしめる腕。身を捩れどもびくともせず、まさに這い出る隙間もない。待て、という制止が声にならず、喉の奥がヒュッと鳴るのがわかった。おかしい。というか、違うと思う。たぶんお前は儂との約束を何か勘違いしていると、その言葉にでも「勘違いしているのは貴方だよ」という返事。
——ねえコン助。もしかして、貴方まだ、自分が子供のままでいられると思ってる?
「わからせにきた。奪うよ。この手で、この十年、俺がなにより望んだものを」
泣いても叫んでもやめてあげない——そんな追い討ちとは裏腹に、優しく儂の髪を撫でる大きな掌。綺麗だね、と、そして「お日様の匂いだ」と寄せられる鼻に、儂は半泣きで言い訳をする。違う。これはその、体が勝手に。パタパタと、それも九本も、まるで止まる気配のない儂の尻尾。きっと傍目にも明らかな、浅ましくはしたない歓喜の証。
彼は囁く。ねえコン助、俺の名を呼んでみて、と。かつて一度だけ教わって、でもただ小僧と呼ぶばかりで一度も呼んだ覚えのないそれを——普通は無理だ、だってそんなの忘れているはずで、だから、儂は。
「う……い、樹、さん」
いつきさん。そう口に出して、無意識のうちに敬称さえつけて、そこに「うん。いい子」と返された瞬間儂は終わった。神は死んだ。足腰からなけなしの神力が抜け、あるはずのない疼きがこの細く小さな身を焼き、それはまさしく理解だった。そうだ。儂はきっと、ずっと、神代の昔から望んでいたのだ。
自ら作り出した世界の殻、惰弱な自我を己を守るための言い訳の城塞を、外から打ち破ってくれる強い力を。キラキラとした活力の輝きの、でもすぐに大人の宵闇へと沈んでしまう少年の心の、その儚い光の絶えないことを——西から再び日が上るような奇跡の、長じてなおこの神域を踏み荒らしてくれる野蛮な暴力の、その有り得るはずのない矛盾の実在を。
救いを。
素直になれるきっかけを。
甘えさせてくれる、大きさを。
まつろうべきものを。
信仰の対象を。
本当の性を。
だいすき、を。
「——ねえ、コン助。俺のお嫁さんになってくれる?」
儂は答える。いつもの返事、ずっと繰り返してきた最後の一線。もはやお為ごかしにもならない、まして己自身に言い聞かせるためですらない。願っていたし、もちろんそれは叶うとわかっていた。どうか否定してと、それは間違いだとはっきりこの身に教えて、と。
「あ……わ、儂、その、こんな形じゃが、その、お、オスじゃ」
「悪い子。教えてあげる。貴方の本当の性を——知ってる? 人ってね、女に生まれるわけじゃない」
——女に〝なる〟んだ。今から、俺によってね。
悪い子を待ち受けていたのは、甘いお仕置き。物事をわからせるための危険な罰。そこだけは昔と同じのままの薄い唇が、でも力強く儂の口を塞ぐ。儂は知る。身の程と、そして覆水が盆に返らないことを。子供の吸収力はまったく凄まじいもので、だから思いつきで適当なこと吹き込むんじゃなかった。あとこんなオスメスの判然としない姿で、自我の未分化な子供を構うのも。わかってた。本当は最初から知っていたのだけれど、でも寂しかったんじゃもん——なんて、そんなの今更言い訳にもならない。
知っている。彼をこんなにしてしまったのは、こいつの性癖を狂わせたのは儂だ。儂に憧れ、いつも儂のようになりたいなどと抜かし、実際どんどんそうなっていくこの小僧を、最後に駆け足で矯正しようとしたのが間違いの元。全部そのまま我が身に返って、つまりは自業自得であり自縄自縛だ。
責任は取る。取らねばなるまい。赤く燃え盛る夕焼けの中、一向に日の落ちぬ無限の逢魔時の中、儂は夢中で貪っていた唇を解く。目の前の男。儂を捕まえて離さない強いオス。その頬を、ざらつく髭の感触も美しい男の顎を、両手で包むように掴みながら。
儂は笑う。牙を剥き、ねっとりと、獣の本性を剥き出しにして。
「言うたな? 先に往く事は許さぬぞ。どうしても往くなら、代わりを作って置いてゆけ」
ここにのう——と、指先で撫ぜる腹の奥、きっとあるはずのない熱い疼き。やがて日は落ち、夜は更ける。昼と夜とのあわいを超えて、この先は人ならざるものどもの時間。なればさあ、教えよう。人ならざるものと番うことの意味を、お前が愛したものの正体を。
斯くして狐は嫁に行く。晴れの日に降る雨が如く、陰陽の混じり合う定めのままに。
〈わからせ! のじゃショタお稲荷さま 〜望郷死闘編〜 了〉
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