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桑田さんの催眠術は、「予備催眠」という一度催眠術にかかりやすい体を作ってから「本催眠」に入る。料理でいうと材料や道具を揃え、下処理もして、あとは調理だけという状態にしておくいわば準備の催眠だという。
予備催眠をかけたら、次は本催眠へ。
「おれの目の奥を見て……」
机越しという体勢で、じっと目を覗き込まれる。
普通の人同士なら目を合わせると、居心地が悪くて数秒ももたずに背けたくなるだろう。
だけどおれの目はどうやら特殊らしい。
恋人たちが見つめ合っても疲れないように長く見ていられる目らしく、桑田さんに「君の瞳は引き込まれるし力があるから、それをぜひ利用しなさいよ」と言われた。
それについては、そこまで驚かなかった。むしろ「あー、またか」とすら思った。
昔からよく、いろんな人にそんなことを言われてきたから。
……占い師の目だと。
そして、おれはそれがとても嫌だった。
「眠るよ」
パチン!
右手で指を鳴らして左手で肩を軽く叩くと、キョージンの頭が前へ落ちた。
机に頭を打ち付けないように、そのまま肩を支える。
さて。こいつには昨日の恨みがあるからな。
「……あなたは、言葉という概念が、頭から消えてしまいます。けれど、なぜか“ワン”とだけは言うことができます。OK、3つ数えて目覚めると、あなたはワンしか言えなくなる。必ずそうなる。3、2、1……」
パチン!
暗示のあとに指を鳴らし、再び肩を叩く。
マニュアルではこれでかかっているはずなのだが。
「おはようキョージン」
声をかけるとキョージンが頭を上げた。
まぶたを重そうに、ゆっくりと開く。
そして口を開いて……。
「うん、おはよう」
おれたちはしばし見つめ合った。
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