第十四話「宿屋の秘密」

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第十四話「宿屋の秘密」

 さて⋯⋯。どうしたものか。  食事に大満足し食べ終わった後、一眠りのつもりが完全にぐっすりと夢の中にいた。寝ぼけた目を擦ると、物音が聞こえない。皆眠っているのだろう。  外に出すよう言われていた食器はもちろん全て部屋の中。今から外に出すのは流石に遅いだろう。なんて非常識なことをしてしまったのかと思い、怒らせていないか不安になる。 「とりあえず、シャワーだけでも浴びないとなぁ」  他に寝ている人を起こさないようにゆっくりと浴場へ向かう。それでも、木材の軋む音が煩く感じないか冷や冷やとした。足の裏がひんやりと冷たい。  なんとか廊下を渡りきったとき、ヒソヒソと話し声が聞こえてくる。どうやらキッチンに誰かがいるらしい。  聞き耳を立てるのは悪いと思ったが、どうしても気になってしまった。  壁に背をぴったりとくっつけて、覗いてみる。 「はぁ⋯⋯。あの子が死んでしまってからもう十年経つのか」  暗いトーンだ。それでいてどこか悲壮感が漂う。一体なんの話をているのだろうか 僕の好奇心はますます増していった。 「そうねぇ⋯⋯。もうそんな経つんだねぇ。時間が経つのは早いこと早いこと」  どうやら主人と奥さんが話しているようだ。それにしても、あの子⋯⋯とは?  話の流れから察するに二人の間の子供だろうか。 「魔法使いの子が時折あの子に見えてね⋯⋯。無性に悲しくなるんだ。獣人にも分け隔てなく接して、本当に生き写しのような子だよ」  ため息まじりに呟く主人を心配そうに奥さんが見つめる。どうやら僕と二人の子供は似ていたらしい。 「あんたも元々は差別に反対していたじゃないか! だからこの宿を開くことにしたんだろう? 彼らにも職と休む場所を。それがこの宿を開いた最初の目的じゃないか!」 「でも! あの子の遊び相手として養子にもらったリリアを見るたびに思い出して酷いことを言ってしまう⋯⋯。私はどうすればいいんだろう。そればかり考えてしまって、また辛く当たってしまうんだ。⋯⋯すまない、最近少し寝つきが悪くてね⋯⋯。じゃあ、おやすみ」 「ええ、おやすみなさい」  話を終え、こちらに向かってくる。どうしようと慌てているうちに隠れることもできず、あっけなく見つかってしまう。盗み聞きをしていたことがバレた罪悪感が脂汗と共に滲み出てくる感覚がした。 「おや⋯⋯? もしかして、さっきの話を聞いていたのかい」  驚き半分、気まずさ半分といったように主人が僕に話す。やはり聞いてはいけなかった話だったのだろうか。  互いの間を隔たる壁はないはずだが、話しづらい空気が流れている。 「す、すみません。シャワーを浴びようかと思ったのですがつい寝てしまって⋯⋯。食器も今部屋においたままなんですが⋯⋯」 「ああ、食器を出さないで寝てしまったのかい? 少し忘れっぽいところもあの子に似ているね。それじゃあ、ゆっくりシャワーを浴びたら食器を廊下に出してすぐに寝なさい。後は私達がするよ。それじゃあ、おやす——」  主人が話し終える刹那、声が重なる。 「あの⋯⋯! 僕に、何かできることはありませんか?」  赤の他人に家の事情を勝手に聞かれた挙句、「手伝えることはないか」などと聞いて怒られても仕方がないとは思った。けれども、僕にも何かできることがあるのではないか? その勘だけを頼りに声を上げた。 「⋯⋯実は、私は彼女に謝らなくてはいけなくてね。君なら獣人を嫌わないだろう? そこで、私の代わりに彼女の教育係をしてほしいんだ⋯⋯。私はどうしても彼女にひどいことを言ってしまう。けれども君なら⋯⋯。⋯⋯なんてね、君は冒険で忙しいだろう。この話は聞かなかったことに」 「いえ、やります⋯⋯!」  思わず言ってしまった。今更取り消せるはずもなく、話はどんどん進んでいく。 「⋯⋯本当かい!? それじゃあ、詳しい話は明日するから今日は早く眠りなさい。魔法湯桶の調子が悪くてね。シャワーが最初少し冷たいかもしれないから気をつけて」 「⋯⋯分かりました。おやすみなさい」  廊下をすれ違い、シャワールームへ向かう廊下は相変わらず暗かった。  服を脱ぎ、脱衣所に置く。 ——珍しく獣人も泊まれる宿を経営している理由が分かった。そうか、元は差別をするような人じゃなかったのか。  ボーッとしたまま魔法湯桶の紐を引くと、頭から水の塊をかぶった。シャワーが冷たいと聞いたばかりだったのに忘れていた。  歯がガチガチと音を立てて震える。このままでは風邪をひいてしまいそうだ。 「とは言っても⋯⋯。教育係って何をするんだろう」  一抹の不安に駆られながらも魔法湯桶を傾けつつシャワーを浴びた。  部屋に戻り、すぐにベッドに潜る。  相変わらず心地いい感触なはずなのに、先ほどまで眠っていた弊害か、はたまた冷水を思いっきり浴びたからか。目が覚めてしまって寝付けなくなっていた。  窓を見ると、カーテンの隙間からほんの少しだけ欠けた月が顔を見せていた。  マスカレートなんて言う懐かしい名前も聞いて、遠い日の記憶がやけに鮮明に思い出せた。  森で会った、名前も顔も思い出せない人。村では人見知りで話せなかった僕が、何故か唯一話せた人。  一度しか見ていない存在。あれは幼い子供によくある空想の出来事だったのかもしれない。いや、その可能性が高いことは理解している。  子供が、村から遠く離れるはずがない。だから、あの人はおそらくフロールリ村の子供だろう。それなのに、あの日以降彼に会うことはなかった。  そういえば、獣人もマスカレートを食べると言うことに驚いた。本にはそのような記述はなかった気がする。今日の新しい発見だ。  それにしても、彼はきっと沢山のことを知っているのだろう。狼の獣人は点々と住む場所を変えるのだから。 ——昔のことを引きずっていたって、戻ってくることは無い。そんなことよりも今は、獣人達に少しずつ歩み寄る必要がある。 「⋯⋯そうだ、ゆっくり。まずは、リリアさんだっけ。彼女なら僕のことをそんなに嫌ってないみたいだし、明日話してみようかな」  目を閉じても、眠気はこない。ここ最近感じていた眠る時の温もりが今日はないのが心細く思った。
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