第十六話「離れ離れの家族」

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第十六話「離れ離れの家族」

 ふかふかに耕された茶色の大地。そこには少しの植物が葉を出して懸命に秋の光を浴びていた。収穫は春の野菜が多く、冬も近いのでこれからは保存食がメインになるだろう。 「すみませーん! 少しお話ししたいのですがよろしいですか?」  野菜の近くでしゃがんで何かをしている彼女を呼ぶと、気づいたようですぐにこちらに走ってくる。 「ど、どうされましたか? 何かお手伝いできることがありましたらなんなりと」 「いや、そういうわけじゃないのだけど、少し時間ありますか?」  すると、少し難しそうな顔をして畑を見つめる。 「うーん、今は少し厳しいですね。というのも今病気や害虫が来ていないか確認しているのですが時間に間に合わせないと叱られてしまいますので⋯⋯」  肩を下げながら残念そうに話すのは申し訳なさからなのだろう。けれども最初よりは話しやすい気がする。 「ああ、そのことなら安心してください! 僕が話をつけてきたし、植物のことならお手伝いしますよ! それなら大丈夫ですか?」 「それでしたら⋯⋯。」  倒木の上に腰掛ける。このゴツゴツとした感触は村にいた時に通っていた森の倒木以来だ。懐かしい。 「で、話っていうのが主人のことなのですが」  その途端に尻尾をビシッと伸ばして慌てているようなそぶりを見せる。後一歩で頭から後ろに落ちてしまいそうな程だった。 「あの⋯⋯! 悪口とか、そういうのは言っちゃダメで。それに、獣人がこうしてまともな仕事につけているのも珍しいのです。ですから、今の境遇は恵まれている方なのですよ」  慌てて弁明する彼女に少し吹き出しそうになるもののそれを堪えて、僕も口を開く。 「それはわかってるんですが、あなたは⋯⋯。主人のことをどう思っているんですか?」 「ど、どうと言われましても。まあ、仕事さえしっかりできれば何もないですしなんならまともに食事と雨もしのげるところも用意していただいてるのでありがたいですね。⋯⋯まあ、昔は楽しかったのですけど」  ため息まじりに言う。この人もまた、悲しそうな顔をしている。  ここで、あることに僕は気づいた。あれだけ怒鳴られているというのに、傷一つ付いていないのだ。 「ん⋯⋯? そういえば、傷とかついてないですよね。やっぱり接客するから⋯⋯なのかな?」 「いえ、私は一度も暴力を振るわれたことはないです。他のところでは労働力として働いている獣人に対して普通に暴力を振るわれることもあるので、今思えば不思議ですね」 「というと⋯⋯?」 「怒鳴られたり大きな音を出して脅されたりはしますが叩かれたりはないですね。いっそのこと暴力を振るわれたほうが辛いことも忘れられるんですけどね⋯⋯」  そこで、僕は全ての考えに納得がいくような感覚を覚えた。主人としても本当は酷いことをしたくないんだ。それがはっきりと分かった。 「あの⋯⋯端的に言いますね。実を言うと主人とリリアさんに話し合ってほしいんです。僕が間に入るから大丈夫だと思うけど。大丈夫そうですか?」  そう言うと、しばらく悩んだようにして口を開く。 「私は構わないのですが、主人がどう思われるか。私のことを見ると⋯⋯。その」 「——息子さんのことですよね?」  冷たい北風が畑を吹き抜けた。 「どうしてそれを⋯⋯」 「実は⋯⋯。主人に話を聞いたら、息子さんのこととか話してくれて。昔は怒鳴られたりとかなかったんですよね?」  コクリと頷く。 「あくまで僕の考えなんですが、今一度よく話し合う必要があると思うんです。前は間に誰もいなかったから話にならなかったかもしれないけど今回は僕が間に入ります。それならきっと大丈夫。⋯⋯それで、話し合う気は」  無理やり話を進めるわけにはいかない。了承を求めると、期待していた答えが返ってきた。 「本当は、話し合いたいです。でも、もしこれでもダメだったらその時はどうすれば⋯⋯」 「確かに、上手くいかないかもしれない。けど、もしもこのまま何もしなかったらあなたももちろん苦しむし、主人も苦しみ続けることになります。そこで僕ができることはサポートします。それでどうでしょう」  その言葉に決心したのか、今までとは少し雰囲気が変わった気がした。 「⋯⋯そうですね。始めなければ、分かりませんから」 「そうこなくっちゃ!」  よし、話をつけることはできそうだ。次はもう一度主人にも話を聞こう。 「それじゃ、また少し主人と話をしてきます! お手伝いは帰ってきてからしますね!」 「あ、お手伝いは全然大丈夫ですよ! ⋯⋯頑張ってください!」  手を振って、すぐに宿に向かって走る。役に立てそうで、なんだか嬉しい。  先程の部屋に僕と主人が座り、互いに対面する形で話す。ティーカップには紅茶が入っていて、香り高い。 「⋯⋯で、私が思うに二人で一度話し合うのがいいと思うんです。どうですかね⋯⋯?」  この提案に、最初は唸って考えていた彼も何か思ったことがあったようで、しばらくして口を開いた。 「⋯⋯話し合いか。そういえば、まともに会話なんてずっとしていないな。しかし、彼女は大丈夫なのかい?」  少し心配そうに話しているところを見るとやはり本当は娘として優しく接したいのだということが分かる。 「実はさっき話をつけてきたところ、大丈夫だそうです。⋯⋯間には私が入ります! それならきっと円滑に話ができると思うんです」  しばらくの沈黙の後、ゆっくりと口が開かれた。 「よし、話し合いをしよう。ただ、少しだけ時間をくれるかい? ⋯⋯少し話を考えないといけないからね」  これを聞いて、僕の心の中でもハッと気づきがあった。それは以前にも似たような起きたからだ。  相手を知るためには、仲良くなるためには、ゆっくり、少しずつ、歩み寄る必要があると。 「もちろんです! ⋯⋯ゆっくりと少しずつ進んでいきましょう」 「⋯⋯一つだけ。もしも私が正気を失って彼女にひどいことをしそうになったら。その時はどうか私を止めてるかい? それが、一番心配だ」 「いざとなったら、ケルに頼みます」  そう言うと、主人はにっこりと微笑んだ。この調子で上手くいけばいいのだけど。 「うん、それなら安心だ」  どこからか鐘の音が鳴る。ちょうどお昼になったようだ。どこからかパンの香りがこの部屋にまで漂ってくる。おそらく宿の目の前にあるパン屋からだろう。 「そういえば、この鐘ってどこで鳴ってるんですか? お昼を告げるようですけど」 「ああ、これは街の中心の教会の鐘だね。暇な時に行ってみるといい。心が落ち着くからね」  教会⋯⋯。たしか、神への祈りを捧げる場所。一言この体質に文句でも言いに行ってみようか⋯⋯? 「今から散歩がてら行ってこようかなぁ」 「そうだね、街の様子もまだよくわかっていないだろうしいろいろ歩き回ってみるのもいいと思うよ。お店もたくさんあるからね」  この街に来たもののほとんど歩き回っていないので地理が未だ分からない。ここは少し探索してみよう。  もしかしたら、これから先役立つこともあるかもしれない。 「それでは、行ってきます。話し合いの日程は私が決めるので焦らなくても大丈夫ですよ」 宿の扉に手をかける。 「行ってらっしゃいませ。素敵な魔法使い様」  敬語なんて使わなくてもいいし、むしろ昔を思い出せて懐かしいから使わないでもらいたいが⋯⋯。それを口にするのも憚られたのでドアの前で会釈で返した。  ⋯⋯やはり、他人なのだ。  お昼だが、仕事もしていないのに食事を取るのもケルに申し訳ないので食べなくてもいいや。  少し寂しがるお腹に気がつかないフリをして、宿を後にした。
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