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第二十一話「ネスロ誘拐事件」
夜が明けても、結局ネスロが隣にいることはなかった。焦燥感が昨日からずっと止むことがない。ただでさえ朝に弱いというのにうまく寝付くことができなかったのでさらに頭がぼんやりと宙に浮いた感覚が強い。
「⋯⋯帰ってこない」
今まで泊まっていた宿には獣人一人では泊まれないので野宿をすることになった。しかし、ネスロがいなくなったということを宿屋に伝えると情報が集まったら伝えると言っていた。
「どっか拐われてなきゃいいんだけどよ⋯⋯」
一抹の不穏な空気を飲み込むように、ペンを走らせる。容姿、年齢、持ち物など特徴をできるだけ多く書き綴る。
ギルドに探し人届けを出した結果沢山の紙と数本ペンを手渡され、街に貼り付けることをお勧めされた。
確かに街の人に話を聞こうにも無視されるので張り紙を一枚一枚貼っていくことしか出来ない。こんな時にも自分が獣人であることに嫌気がさす。時折「人の家の壁に勝手に貼り付けるな」と水を被せられるのも尺に触る。
とぼとぼと濡れたフードをまた深く被り、冷たい風に吹かれ歩いているといつのまにか街の外れにまで来てしまったようで、小道に見慣れた枝が落ちている。
「これ⋯⋯。あいつの。」
杖に鼻を近づけるといつもはしない独特な匂いがする。付近にもほんのわずかだが残っているようだ。
「これは、人拐いか⋯⋯?」
スッと血の気が引いていくのを感じ、地面に伏せる。すると、嗅ぎ覚えのある香りと見知らぬ匂い、不思議な香りを感じた。
幸いなことに、雨も降っておらず匂いも消されていなかったため追うのは容易だろう。この匂いがネスロの元へつながっているはずだ。自分の鼻を頼りに、所々にある残香を辿ることにした。
香りを辿っていくと遂にはデヴァリニッジを出て、シュルツリヴァーの森に行き着く。誰も人が通らないような深い森だ。
しかし、匂いは明らかに残っている。森の独特な匂いに紛れているものの違いが分からなくなることはない。
その証拠に、だんだんと匂いは強くなっている。居場所は近い。
不意に、森の匂いとはかなり異なるさまざまな匂いが鼻腔をくすぐった。近くに沢山の人がいるに違いない。
——ここにもしかして。
木の影から耳を澄ませると、何か声が聞こえてくる。近くに生えていた茂みに駆け込む。
気づかれないよう静かに覗くと、思った通り沢山の人がうろうろと動いている。
小声ながらも、その言葉が愚痴である事が理解できた。
「あ? また死んだのかよ。ったく⋯⋯。給料がいいと思ったらこんな仕事かよ」
風に乗り生臭い鉄の匂いがする。その強烈な匂いにたじろぎながらも注意深く観察すると、廃墟のような古い建物から二人の男が何かを運び出している。
——それは、なんとか人間の面影を残す肉塊だった。
手で口を覆い声を出さないようなんとか抑える。ただ、不幸中の幸いか遺体は大人のものでありネスロのものとは程遠かった。
「そういや、誘拐した奴の様子はどうだ? 魔法使い同士の戦いはド派手だから楽しみだぜ。ところでいつになるんだろうな」
肉塊を地面に置き、それをスライムに食べさせ土に埋めながら男が話す。
「ああ、観察係によると調整をするから三日ほどはお預けらしい⋯⋯。誰もいないよな? こんなの聞かれてたらまずいぞ」
「まともな奴が辺鄙なところをうろつくわけがないだろ。ここをうろつくのは金持ちの来場者か貧乏な社会の底辺さ」
それを聞いて瞳孔が揺れるのを感じた。冷や汗が垂れる。焦燥、怒り、不安が混合した得体の知れない感情が湧き出す。
誘拐された魔法使い⋯⋯。おそらくネスロだろう。
始まるまでに準備をしなくては。音を立てないようにその場を離れた。
廃墟が誘拐犯の本拠地なのだろう。その周りを沢山の警備員が探索していることから生身で入るのは至難の技だ。
デヴァリニッジを歩いていると、不意に肩を叩かれた。今度はどんな難癖を付けられるのだろう。
無視しても結末は変わらないのだから覚悟を決めて後ろを振り返る。しかし、想像していた結果とは大きく異なるものだった。
「⋯⋯この紙の子、あんた知ってるんでしょう?」
指差されているのは今朝書いて各地に貼り回っていたあの紙だった。この女は情報を売るとでもいうのだろうか? 生憎もうネスロの居場所はもう把握済み。購入する気もない。
「⋯⋯ああ、確かにそうだが。もう居場所は見つかった。森の奥にある廃墟に拐われていたようだ。ここまで分かっているのだから情報は買わないぞ」
「そんながめついことするわけないだろう! それよりも、何かあの子を助けるためにできることはないかい? ほら、あの子が怪我をしていた時に薬が必要だろう? 私いい薬屋知ってんだ。ついてきな!」
唐突にグイッと腕を引かれる。不意に追っていた匂いに混ざっていた不思議な香りが感じられた気がした。
「やあミネルさん、ちょいと珍しいお客さんもいるがいいかい?」
連れてこられた先はネスロが以前に薬草を売っていた薬屋だった。
「あぁ、マリジさん。お店はまだやっているけど、何か特注の依頼でもあるのかしら」
そう言いながら奥から出てくるや否やこちらをジッと見つめてくる。やはり断られるだろう。「獣人お断り」とは書いていないものの許可を出しているわけではない。暗に入店を拒んでいるようなものだ。
「⋯⋯もしかして、あの子が前に言っていた」
「そう! そしてこの張り紙を貼って探しているのが彼さ」
少し不満げにも見える視線を向けられながらもネスロの知り合いということで店に上がることになった。
「⋯⋯まず言いたい事があって、ネスロはどうやら拐われてしまったらしい」
「それで、もしも乱暴に扱われて怪我でもしていたらかわいそうだろう? だから怪我によく効く薬を作って欲しいのさ」
話の途中に割り込んでくる癖があるようで、少し落ち着いて欲しいとも思ったがこの店に入れたのは彼女のおかげだ。
「それと、先程様子を見に行ったところ警備員が沢山いた。そいつらを眠らせるための薬もあると助かる」
二人の話を頷きながら聞き、メモを取っている。少し読んでみるとどうやら配合を考えていたらしい。
「なるほど、話は分かった。今すぐにでも取り掛かるよ」
「それと、今持ち合わせている金がなくて払えないんだが⋯⋯。できるだけ早いところ稼いでくるから薬はすぐに持っていけるようにしてくれ。頼む」
「はいはい。⋯⋯普通の値段でいいよ」
その言葉を聞いた後すぐに薬屋を飛び出し依頼掲示板に向かった。
依頼を見てみると、様々な貼り紙が貼ってある。薬草採取、荷物運び、護衛、子守、農作業⋯⋯。
「お、この依頼いいな」
手に取ると、獣人可の仕事で給与も他より高い。仕事も掃除とそんなに時間をかけなくても大丈夫そうだ。
「よし、早速これを受けるか」
紙を破り取り、記載してある地図を見る。どうやら依頼主はこの街でも有数の名家であるらしい。
——失礼のないように、フードを被りなおす。
「失礼のないように⋯⋯か」
受け入れられることのないこの容姿に絶望を感じつつ、屋敷へ向かうことにした。
「⋯⋯ったく、仕方なく獣人に依頼したのにこんなこともできないのか?」
そう言うと依頼主である屋敷の男は飾ってあったバラの花瓶を持ち出すとそれを傾けた。
冷たい水が頭を伝ってくる。ここで変な行動を起こしてしまえばこの村で暮らすこともままならなくなってしまうだろう。
ネスロはこの街を気に入っているようだし、旅立つと言った時の顔を想像するとここで諦めることは出来なかった。
「⋯⋯すみません」
「他の依頼よりも金払いがいいからここに来たんだろう? それならもっとしっかり掃除してもらわないと」
そう言うと男は満足そうに顔に笑みを浮かべて花瓶を乱暴に置いた。再び床に広がった水を拭き取るところからやり直しだ。
掃除だけで金がこんなに貰えるなんてうまい話ないわけだと言うことを理解した。
「ほら、これで終わりだ。さっさと金持ってどっか行け」
終わる頃にはもう日が沈みそうだった。数枚の硬貨が手の上に乗せられる。
「⋯⋯ありがとうございました」
そして、逃げるように後にする。この調子ではお金を貯めることはできないだろう。急いで掲示板に向かいまた一つ依頼を受けるのだった。
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