第二十二話「絶望の地下室」

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第二十二話「絶望の地下室」

 ここに連れて行かれてから何日経ったのだろう、日付感覚が狂い始めていた。幸い彼が残りの日数を教えてくれるのでなんとかなっているが、もしも一人だったらと考えると恐ろしい。昼と夜を感じる大切さを改めて感じた。 「俺たちのタイムリミットはあと一日だ。その日までにここから脱出しなければならない。ここは地下。部屋の外にも監視員はいるし、地上に出れたところで監視員は地上にも配置されている」  僕の食事の時間に支給された食料を持ってくるため彼は僕の部屋に入る。その時間だけ作戦を練る事ができるのだ。どうやらここは地下らしい。人を監禁すると言う点で地上ではきっと声が漏れるのだろう。  ふと壁に目をやると何か茶色いもので描かれた棒があった。僕の前にこの部屋を使っていた人が日数を数えるために血液を使って描いたのだろう。  地図を見て、最後の調整をする。ルートの確認。薬を使う所。何度も話し合ってきた。 「となると、この部屋を殺し合いのため出る時が一番隙ができそうだね。観客の誘導に試合の準備、仕事が沢山あるだろうから」  彼から受け取った薬草を調合しつつ話を聞く。明日の夜、僕は戦いに出される。その途中で隙を生み出し逃げる作戦だ。  乳鉢で薬草をすり潰す音だけが響く。その度に目が滲みて、涙が溢れる。 「それにしても、臭えなそれ」  青臭い匂いが部屋の中に充満する。地下であるからかなかなか空気が入れ替わらず匂い成分が残留しているのだろう。 「これは催涙薬。僕はこの部屋でずっと我慢してるんだから⋯⋯。ほとんど部屋にいない君は全然楽だよ」  獣人だけでなく人にも効き目のある薬を作らなければいけない。なのでもちろん催涙作用は作った本人にも作用する。  ただ、これだけの効果があればきっと本番でも上手くいくだろう。薬は無事に作れたようだ。 「そうか、それはすまなかったな。⋯⋯それじゃ、明日の夜。作戦が上手くいけばいいな」  正直、博打だ。僕だって本当に彼が仲間になったのかさえ未だに信じ切れていない。  もしも、すでに告げ口されていたら? もしも、作戦をしくじったら?  不安の渦がぐるぐると心の中に積もっていく。  彼がドアを出る前にすこし立ち止まる。 「文字⋯⋯教えてくれてありがとよ。もしも生きて出られたら、ほかの文字も教えてくれ」  どこか寂しげな背中を見送ることしか僕にはできなかった。 ——でも、絶対にここから出る。その決意がどこか心の中で燃え上がった。  薬の原液をなんとか作り上げ、ガラスの瓶に小分けにして注いでいく。計画通り二つの催涙薬ができた。  まずはご飯に添えられた水をほとんど使い薬を薄める。狭い廊下に飛び散らせ広範囲に効果を発揮させるためだ。効き目が効かなくならない程度にしなければ意味がないので慎重に水を注いだ。  乾いたパンと、冷めたスープ。それを一つ口に含むと不意に不安に心が押し潰されそうになる。  部屋ではずっと一人。何もない部屋で、一人ぼっちで一日の大半を過ごす。決してそんなに長い間ここにいるわけではないのに、何年もいるような感覚がする。 ⋯⋯そもそも作戦は上手くいくのだろうか。  今まで自分が危機に陥ったとしても何もできなかった。村でいじめられても何もせず、夜の森でロストスカルにあった時も諦めて死のうとした。そんな僕がいきなり作戦を成功させることなんてできるのだろうか。  ケルがいなければ僕は昔と変わらない弱くて、小さな、ダメ人間のままだ。考えたくはないがいつかこんな僕に呆れて置いていかれてしまうだろう。 ——明らかに彼と僕では冒険を出るのに釣り合わないのだから。  無機質な部屋の天井を無心に眺める。どうしてだろうか。一人きりなんて慣れっこのはずなのに、今は何処か心のピースが欠けたような物足りない気分がする。 「⋯⋯ケル、大丈夫かなぁ」  不意に溢れた言葉が石造りの部屋の中を冷たく反響した。寒さで震える手を擦り、明日の作戦が成功することを祈り、目を閉じた。  少し重いまぶたが唯一夜であることを感じさせた。  木漏れ日が溢れる大きな木の下。青々とした草の上に寝っ転がって、心地いい風を浴びる。  ほんわかと暖かい陽の光がうつらうつらとさせ、今にも眠ってしまいそうだ。しかし、どこからか僕を呼ぶ声がする。 「ネスロ〜? ご飯にしましょう!」  目蓋を擦り声のした方向を見ると、大きな籠を持ったお母さんがこちらに向かって走ってきていた。 「あ、お母さん」 「もう、本当この場所が好きなのねぇ。ほら、お父さんも泉で待っているんだから一緒にいきましょう」  手を伸ばされる。その手を離すことのないようしっかりと握る。暖かい温もりを手の中に感じた。  ふと、後ろを振り返るとそこは何の変哲もない森の中にある開けた場所だった。でも、森の中に似たような場所はたくさんあるのにこの場所だけは何かが違ったのだ。 ⋯⋯でも、どうしてなのかは思い出せない。いつの間にか記憶から抜け落ちてしまっていた。  再び前を振り向き、泉に向かおうとする。 ⋯⋯しかし、そこには何もない。永遠と続く黒の光がただ伸びていただけだった。  静かで、暗くて、怖い。こんなところを僕は前に進めない。  どうすればいいのかも分からなくて、だんだん鼻がツンとしてくる。どこからか怖いものがやってきそうで、俯いて、しゃがみ込んで、泣いてしまう。  しばらく顔を見上げる事が出来なかったものの、不意に肩を触られる。驚いて振り返ると、そこには灰色の毛並みで、青の美しい瞳を持った狼の獣人がにっこりと微笑んで佇んでいた。  その途端に枷が外れたように心が軽くなる。 「⋯⋯ケルっ!」 ——目を開けると、僕は冷たい部屋にいた。  手に謎の感触があるので見てみると、何故か世話係である彼が僕の手を持ってこちらを見つめていた。 「⋯⋯な、何してるんですか」 「いや⋯⋯、明日でここにいるのも最後だなぁと思ってな」  耳を垂れて申し訳なさそうにするので怒っている訳ではないことを説明する。 「まあ、僕も悪夢を見てたので助かりました。⋯⋯ここに来たこと、他の人にバレたら大変じゃないですか?」 「そうだな。すまない、他の奴にもこう同じことをしてやれなかったのが心残りでな。それじゃ、明日は」  そう言うと彼はスタッと立ち上がり音を立てないようドアをゆっくりと開けて静かに部屋を出る。ほんのりと暖かい温もりに懐かしさを覚えた。そうして再び部屋の中は静寂に満たされる。  明日に備えて、再び体を横たえた。
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