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第二十六話「ケルへの魔法」
正直、僕の仕事は単価が悪い。薬草採取の仕事はいつも出ているわけではないので必然的に仕事は荷物運びや畑仕事の手伝いになる。
「はい、おつかれ。小さいのによくがんばるねえ」
報酬の2000タリス。魔物を狩って売ることができればもっと簡単に稼げるが僕にそんなことはできない。
「ありがとうございます。それでは、また」
礼をして報酬を受け取る。僕でもきちんとお金がもらえることに感謝すべきだ。とにかく、お金はいくらあっても足りない。一生懸命こなしていくうちにあっという間に三つの依頼を終えることができた。
他の依頼をこなすために掲示板を見ていると、見覚えのある面立ちの男に声をかけられた。
「よお、元気か?」
タードだ。薬の効果は絶大なようで、素晴らしい回復ぶりだ。元気そうでよかった。
「そっちこそ大丈夫? 僕は全然元気だけどケルが少し風邪をひいてしまって」
「そうか⋯⋯。風邪が治ったらお礼に行く。あいつはなにが好きなんだ?」
「肉が好きみたい。⋯⋯でも、今は消化に良いもののほうがいいよね」
「そうだな、あまりガツガツ食べると回復も遅くなる。⋯⋯それじゃ、またな」
フードを深く被り人混みを避けるように駆け抜けていく。そこには地下で見た恐怖に怯える影は見られなかった。
「ケルには元気になった時にいい肉を食べさせてあげよっと」
そうなるとここは奮発した肉を買いたい。そのためにはさらにお金を稼ぐ必要があるだろう。切り詰め切り詰めで過ごしていたここ数日、一番頑張っている彼にいい思いをさせてあげないのはバチが当たってしまいそうだ。一人決心して掲示板の紙を剥ぎ取る。ケルのとても喜ぶ顔が目に浮かんだ。
依頼を終えること数回。いつの間にか空がオレンジに染まっていた。最近は日が沈むのが早い。そうだ、宿の予約もしておかないと。
部屋がとられないように駆け足で宿への道を向かった。
たかが三日ぶりの道のり。しかし、それでも僕には懐かしいような、安心できる風景だった。いつの間にか僕はあの宿を二つ目の家のように思えていたのかもしれない。
「あの、お久しぶりです。ネスロです」
宿屋のドアをそろりと開ける。すると、何時ぞやと同じように主人が出迎えてくれた。
「ああ、無事でよかったよかった⋯⋯! 三日も会わないから心配していたんだ。ところで、君のパーティの彼は?」
心配そうな顔を浮かべている。もともと獣人に対してそんなに嫌悪を示していなかったことは本当だったようだ。
「実はいま風邪で寝込んでて⋯⋯。個室を借りたいのですが、厳しいですかね?」
うーんと唸るように考える仕草をすること数分。やはり難しいだろうか。
「⋯⋯大丈夫だ。早速連れてきてくれ」
「⋯⋯あの、私もついて行ってもいいですか?」
声の持ち主は、娘さんのようだ。叱られないか不安なのか、声は震えている。
「もしも、何かあった時に一緒に行った方が安心だと思うんです。」
しばらく時が止まったように静かな空気が三人の間に満たされる。珍しく見る彼女から主人に向かって声に出す様子に驚く。
⋯⋯それを打ち破ったのは彼だった。
「⋯⋯そうだね。リリア、ついて行ってくれ。」
「⋯⋯はい!」
「じゃあ、急いで連れてきなさい! 部屋の準備をしておくよ」
「それじゃ、ネスロさん急ぎましょう!」
「あっ、ありがとうございます!」
宿屋を勢いよく飛び出す。美味しいご飯に暖かい暖炉。そしてフワフワのベッドで眠れぱきっとすぐに良くなるだろう。
「今帰ったよ。ケル、動けそう?」
暗い洞窟の中に声が響く。しかし返事は、ない。呼吸音だけがこだまのように後になっても返ってくる。
「あれ、寝てるのかな?」
手探りで歩いていると、何か物体に触れた。モフモフとした物。しかし、明らかにおかしい。
「冷たい⋯⋯?」
「ネスロさん⋯⋯。これは!」
心臓の音が頭に響く。僕の手が震えているのは、きっと寒さのせいではないだろう。
「嘘⋯⋯。ねえ! 生きてる⋯⋯よね?」
肩を揺さぶり声をかけても、変化がない。腕はだらりと脱力している。
「ネスロさん、少し退いてください。⋯⋯心臓は」
リリアさんがケルの胸に手を当てる。その時間がものすごく長く感じた。喉が震えて上手く息が吸えない。
——そういえば、僕はあのあと帰ったっけ。
自分の事ばかり気にして、ケルの事を一人置いてけぼりにしていた。罪の意識が黒い雪のように降り積もっていく。
「⋯⋯まだ、死んではいません。ただ、このままではかなり危険です。何か暖めるものはありませんか?」
——たとえば、火とか。
息を呑む。慌ててカゴの中を探ってみても、火をつけられそうなものはない。
「どうしよう! 火をつけられそうなものなんて⋯⋯。それなら今すぐ宿に⋯⋯!」
「落ち着いてください! 私たち二人の力では宿まで運ぶのに時間がかかりすぎます。きっと間に合いません。⋯⋯そうだ! ネスロさん、魔法使いですよね? 魔法を使えばいいんですよ!」
チクリと心に傷を追わせた魔法という言葉。しかし、それさえ使えれば彼を助けることができる。
沢山の人にかけられた言葉。「お前は魔法が使えない」という言葉。それが、脳の中で響き渡る。あの村でのことが走馬灯のように駆け巡る。
やったって無駄だ。そんなことは分かっている。脳の中の声は喚くのを止めない。
——うるさい! やればできる、僕にだって。きっと、二回も命を助けてくれた人のためなら。魔法が⋯⋯!
「⋯⋯イーグニス!」
幸い燃えやすい物はある。あとは低級魔法でも何か火を起こすことさえできれば。食べかけのパンに手をかざし、呪文を唱える。朝と同様何も起こらない。
まだ⋯⋯。まだ分からない。諦めちゃいけない。絶対に!
「——イーグニスッ⋯⋯。イーグニスッ、イーグニスッ!」
叫ぶように、何回かけてみても火がつく気配すらない。だんだん視界が滲んでいく。動悸がして、苦しい。でも、何度も何回もやり直す。
「なんでっ⋯⋯! なんでこんな時にも魔法が使えないんだ!」
過呼吸になり自分がますます嫌になる。高鳴る心臓がもう破裂しそうだ。魔法が使えないだけでなく、大切な人を助ける力も持っていないのか。無力であることを突きつけられて悔しかった。
「落ち着いてください! ⋯⋯ケルさんの手持ちにこれがありました。これを使ってもう一度唱えてみてください!」
この感触⋯⋯。彼からもらったマジックツリーの枝。それを硬くにぎりしめ、深呼吸のあとにもう一度呪文を唱える。⋯⋯何も変わらなかった。しかし、何か手に温かさを感じる。
落ち着け、落ち着け。そう自分に言い聞かせて、枝の先ただ一点に集中する。
肩の力を抜き、体の隅々まで空気を届ける。⋯⋯手の熱を更に意識して。そう。そしたら、一言。
「——イーグニス」
枝の先から小さく輝く灯火が生まれ、食べかけのベーコンパンの上に落ちる。
⋯⋯その途端、パンを火種にして小さいながらも炎が起こった。
「つ、使えた⋯⋯」
夢心地でいたが我に帰り、すぐにケルの元へ駆け寄る。しばらく体をさすっていると、むくりと動いた。
「ん⋯⋯、なんだ、火事か?」
なんて、呑気に話す。その姿に今までの焦りが長い長い吐息に乗って外へ逃げていく。
「ネスロさん! 起きました!」
安心からか、膝から崩れ落ちる。まだ心拍数は下がらなかった。
「とりあえず、スープと燃料を持ってくるので待っていてください。動けそうになったら宿に向かいましょう。」
そう言った途端、すでに見えなくなっていた。彼女はかなり足が早いのだろう。
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