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第二十八話「安息の香り」
目を開けると、そこはベッドの上だった。見覚えのある木の模様に懐かしさを覚える。
起き上がると、シンプルながらもおしゃれな部屋が窓から差し込む朝日に照らされていた。
「あれ、いつの間に宿屋に⋯⋯」
隣ではケルがスヤスヤと寝息を立てて寝ているので二人とも無事に宿屋に着いたのは確かだが、洞窟からここに向かうまでの記憶がない。
「熱は引いてるかな?」
彼の額に手を当てる。ふさっとした毛に覆われているので分かりづらいが熱は下がったようだ。心地よさそうに眠っている。
「それにしても、いつプレゼントしようかな。⋯⋯喜んでくれるかな」
実は、昨日昼に帰るのを忘れるほどに働いていたのは彼にプレゼントをするためなのだ。昨日も肉が食べたいと言っていたし我ながら素晴らしい案だと思う。
⋯⋯本当は現物をプレゼントした方がいいのだろうが、あれほどの肉を持ち運ぶのは骨が折れる。お金をプレゼントだなんてロマンも何もないが、それは我慢してもらおう。
とりあえず彼を起こさないよう静かに部屋を出た。
階段を降りると、朝から掃除に勤しんでいた宿の主人に声をかけられる。
「昨日は災難だったね⋯⋯。彼の具合はどうだい?」
手を止め、どこか心配そうな声色で問いかける。
「あ、おはようございます。昨日は宿のお部屋を使わせてくれてありがとうございました。そのおかげもあって彼の熱は引いたようです」
「それならよかった。実はリリアが迎えに行った時に今度は君が倒れていたらしいんだ。不調はないかい?」
だから記憶が一部なかったのか。と、納得する。
「至って元気です。今日からまた働こうと思います! あ、そうそう。僕がさらわれる前にこの精油を作ってきたんです。すこし嗅いでもらえますか?」
精油の入った瓶を鞄から取り出し、蓋を開ける。作り立ての香りがそのまま残っていて、瓶の口から香りが優しくふんわりと広がっていた。
「⋯⋯ほう、これはいい香りだ。けれど今までに嗅いだことがないね。一体なんの精油なんだい?」
「これは道具小屋の隅に生えていたドクダミの精油です」
そう言うととても驚いたのか、目を丸くされる。あの生葉のどぎつい匂いからは想像つかないので驚くのも無理はない。
「へぇ⋯⋯。ドクダミが健康にいいのは知っていたけれどあの独特な匂いが苦手でね。これはいいな⋯⋯」
「あ、すこし待ってくださいね。前に思いついたのですがラベンダーの精油と混ぜてみます。⋯⋯コップを借りてもいいですか?」
「勿論。ちょっと待っててくれ」
駆け足で厨房の方へ歩き、しばらくするとティーカップとスプーンを持って来てくれた。
「これでいいかな? どんな香りになるのか楽しみだ」
彼から道具を受け取り、テーブルに並べる。僕は調香師ではないのでどんな香りになるか予想もつかないが、それはそれで実験のようで面白そうだ。
最初にラベンダーの精油をカップに入れる。その次に、ドクダミの精油を少しずつ加え、両者の香りのバランスが良くなるまで混ぜていく。
どちらが強すぎても、どちらが弱すぎてもいけない。仲良く、共存できるように⋯⋯。
しばらくドクダミの精油を注ぎ足していると段々と甘さと爽やかさが同時に感じられる理想的な香りへ向かっていった。
「こんな感じで、どうだろう?」
カップを手で仰ぐと、ラベンダーの香りをベースにどこか爽やかな香りが残香もすっきりとさせる。
「どれどれ⋯⋯。おお! これは⋯⋯。凄い。あのラベンダーの香りが爽やかになっている⋯⋯。部屋の芳香剤にしたいくらいだ」
「それなら、まだまだ精油は作れるので今度たくさん作ってみますね!」
気に入ってくれたみたいだ。⋯⋯やはりこれを部屋に炊いたら二人は落ち着いて話ができるのではないだろうか。
「なんだい二人で集まって? おや、いい香りだね。ラベンダーの匂いはあまり好きじゃないがこれは珍しいねえ」
ティーカップの周りに集まっている僕たちが気になったのか奥さんがこちらにやって来た。寝起きなのだろうか。少し寝癖がついている。
「おはようございます。これはラベンダーの精油にドクダミの精油を加えてみたんです」
「へえ⋯⋯! あのドクダミが! こんないい香りになるだなんて知らなかったよ」
「ちょっと声が大きいよメリア。でも本当に驚きだな⋯⋯」
主人が奥さんを慌てて注意したものの起こしてしまったのだろうか? 今度はリリアさんがドアを開けて部屋に入ってきた。
いつもしっかりと服を着ているのに少しふんわりとしたパジャマを着ているのが新鮮に映った。
「ふわぁ⋯⋯。あ、み、皆さん! おはようございます。今日は早いんですね。⋯⋯ティーカップに集まってどうなされたんですか?」
「⋯⋯あ、ああ。少しこれを嗅いでみなさい。とてもリラックスできるよ」
しどろもどろになりながらも主人がリリアさんに話しかけた。珍しい。
ティーカップに近づき恐る恐る香りを嗅ぐと、目をパチパチとさせている。
「⋯⋯たしかにいい香りですね。ラベンダー、にしてはしつこくないと言うか」
そうだ、そういえば連れ去られる前に話し合いをすることを提案していたのだった。ちょうど二人もこの場にいるし。今の和やかな雰囲気なら上手くいくかもしれない。
「あ、この際ですし二人で話し合いでもしますか?」
主人とリリアさんが驚くようにこちらを見つめる。
「い、今かい!? それは少し整理がついてないと言うか⋯⋯」
「わ、私もです⋯⋯。いきなりだと何を話せば⋯⋯」
このままではまた先延ばしになってしまいそうだ。なんとか行動に移すためには何か一押しが欲しい。
「大丈夫ですよ。この和やかな雰囲気ならすぐに慣れます!」
そうは言ったものの二人は少し不安そうな顔をしている。まだ話をするには早いと考えているようだった。
——しかし僕の意見に乗ってくれたのか、奥さんがうなずきながら口を開く。
「そうだね、こんなに二人が会話をしたのを見るのなんて久しぶりさ。ここは、話してみたらどうだい?」
メリアさんの一言に背中を押されたのか、二人は目を合わせ、互いに頷いた。了承したようだ。
ゆらゆらと揺れるテーブルの上の小花が、心なしか嬉しそうに見えた。
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