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第三十二話「暖かい時間」
「ただいまー。今週分の精油を持ってきましたよ」
カウンターに一つ一つ瓶を並べていく。すると奥からリリアさんの声が聞こえてきた。パタパタという足音が忙しなくこちらに近づいてくる。
「二人ともこんな寒い中お疲れ様です! 今週も足りるといいのですが」
最近はお客さんが入る度に芳香剤を使っているので消費が激しい。在庫のラベンダーもいずれは無くなってしまいそうだ。
あの畑いっぱいに咲いていたラベンダーがここまで減ることからもあの精油が人気であることが分かるだろう。
「ラベンダーはまだあるみたいだから大丈夫だと思うけど、春先は持って来れないかも。でも今は新しい精油の試作品を作り始めているからそれも街中で流行るといいな」
そう呟いた僕の後からケルがボソリと溢すように話す。
「今日見た所ドクダミはたくさんあったがそれに対してラベンダーが圧倒的に足りないからな⋯⋯。他の香りのいい植物は冬だし見つけられないだろう」
彼が言う通り、新しい香りを作るためには色々な植物のサンプルが必要になる。しかし、今は真冬。植物たちは生憎土の下に埋れていて春の訪れを待っている状態だ。
なので少ししかない乾燥させた植物を使うものの、貴重であるためなかなか手を出せないのが現状だ。
「それが問題なんですよね。試作品を作ってみようにも材料の調達が難しいので今ある材料だけで作るしかないのがなんとも⋯⋯」
魔法使いというよりも調香師と呼んだ方がしっくりくるような会話をしつつ瓶を奥に持っていこうとすると、階段からドタドタと忙しない足音が聞こえてきた。
「ケルお兄ちゃーん! 魔法見せて見せて!」
その声と共に沢山の子供たちがケルの元へ飛び乗ってくる。僕だったら耐えきれず倒れてしまうだろう。それにしても、モフモフとしていて心地良さそうだ。
「それじゃあ今日は地下で光の魔法を使った影絵をしようか。準備するから少し待っててくれ」
そう言うとケルは地下室へ向かって歩いていく。
⋯⋯そうだ、彼は影絵に使う薄い布地など準備をする必要があるのでその間僕が子供たちを暇にさせないよう何かしてあげよう。パンパンッと手を叩き子供たちの注意をこちらに向けた。すると彼らはしぶしぶといった様子でこちらに目を向ける。
「準備が終わるまで僕が絵本に触れないで読み聞かせしてあげようか! 面白そうでしょ?」
これまた驚くべきことに僕は本のページを触れることなくめくることができるようになったのだ! 僕も魔法を一つだけ。⋯⋯しかも実用性皆無なものだが、少しの時間なら使えるようになった。
「えー⋯⋯。だって一ページめくるのにすごい時間かかるし、それだけで息切れして本に集中できないからやだ!」
ひとつ、チクリと心に刺さる言葉が投げつけられる。
「影絵の方が面白い!」
もう一つの連撃をまともに受けた僕はただ乾いた笑い声を出すしかなかった。
⋯⋯それだけ言い残して子供たちは皆ケルの後を追いかけて行く。精油とは真反対で僕の読み聞かせはなかなかの不評である。子供たちの純粋な言葉は僕の心を一斉に矢で打ち抜く。先ほども思ったが調香師になろうかと最近は本気で考えるようになった。
——このように言われてしまうのはつい二週間ほど前に始めて本のページを魔法で動かすことができたことから始まる。
その時僕は天にも登る気持ちでさっそく街の人たちに魔法見せびらかしていた。⋯⋯今思えば皆の不思議そうに僕を見ていた理由がよく分かった。本のページを動かせたところで実生活になんの意味も持たないのだ。
そんなことはいざ知らず、僕は帰ってきてから子供たちに絵本を読み聞かせしてあげようと思い宿に集まった。最初は見慣れない読み聞かせに希望を抱いていた瞳。だんだんとキラキラとした目の輝きが消え、揺れていた尻尾が静止する。見るからに子供たちをがっかりさせた。そのやるせなさは想像を逸脱するものだった。
「僕、調香師になろうかな」
脱力したままボソリと口に出す。最早そっちの方が天職に感じた。幸いなことにあの精油は一種のブランドと化しているようなので新しい精油を作っても飛ぶように売れることは間違い無いだろう。それがまた僕の心をより一層揺らした。
「ま、まあ! 本をめくるだけでもすごいと思いますよ!」
フォローをしてくれたのだろうが少しだけ傷つく。感情のない笑いがこみ上げてきた。すると、主人が奥からこちらに顔を出すのが見えた。
「やあ、相変わらずケル君は子供たちに人気だね。でも君の開発した精油は大人たちにすごい好評なんだよ?」
いい感じのフォローを入れてくれるのはこの宿の主人、ルブクさん。デヴァリニッジでは珍しく「獣人さん大歓迎」の看板を掲げて宿屋を開いている。
ズタズタになった心に軟膏を塗るようなその優しい言葉は傷を緩和した。
「えへへ、ありがとうございます。⋯⋯にしても、この宿もすごい人気ですよね」
以前も獣人が泊まれる宿ではあったのだが獣人単独での利用は認めておらず、パーティに獣人がいる時用の宿でしかなかった。
しかし、今では獣人のみの利用も可能となったことに加え、お店の従業員として雇用も始めたので前よりも賑やかになったのだ。
一般人が利用することはめっきり減ってしまったが。
⋯⋯このスタイルによって宿が繁盛しているのは火を見るよりも明らかなようで、この宿と同じように獣人を歓迎するお店も少しだが増えているらしい。それは喜ばしいことだ。
「いつかはこのデヴァリニッジを誰もが幸せに暮らせる街にしたいと思っているんだ。そのために、宿を大きくしてアピールしないとね! それに、やっぱり宿が賑やかなのは嬉しいことだよ。毎日楽しく過ごせる」
そう言うと腕まくりをし、階段を登って行った。あの様子だと掃除をするに違いない。
「ネスロさん、今日は休んで宿でゆっくりしたらどうでしょうか? 外は寒いですから⋯⋯。ここのところ寒いのにずっと出かけていて心配です」
「ありがとうございます。でも薬屋さんに行ってこの魔法草を魔法薬にしてもらわないといけないんだ。それに、雪かきを手伝わないといけなくて⋯⋯」
リリアさんは少し心配そうにこちらを見ている。以前拐われたことを結構気にしているようで、外出の前にはいつもこのように不安そうにしている。
「⋯⋯大丈夫ですよ! 護衛用の魔法瓶を持ち歩いてますから。それじゃ、行ってきます!」
ガチャン。と宿屋のドアを閉める。すると、何か硬いものが飛んできた。それは顔にぶつかるとダラリと垂れ、茶色く顔を汚した。
「泥団子⋯⋯」
いくら繁盛していると言っても、獣人を歓迎している店というのは少数派である。主に他の宿を開いている者や獣人を本当に毛嫌いしている者から目の敵にされる。
どうして、こうも分かり合うことができないのだろう。危害を加えることもない。見た目に嫌悪するとしてもきちんとフードを深くかぶっているのに責める理由にはならないだろう。
「はあ、こんな魔法陣まで描いちゃって。面倒だなぁ」
"低級魔法"スラジの魔法陣が宿の入り口にあってはせっかく来てくれるお客さんが危ない。靴裏で擦りなんとか魔法陣を破壊する。
「それにしてもこれ、どうしようか」
戻ってみんなに心配をかけたくはない。畑の井戸で顔だけでも洗い、服は薬屋さんで綺麗にしてもらおう。
井戸が凍っていないことを祈りつつ裏にある畑に向かった。
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