第三十三話「訪れた瘴気」

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第三十三話「訪れた瘴気」

「ああ、こんな寒い中よく来たねぇ。⋯⋯どうしたんだい、そんなに泥だらけで」  「プルガーティオ」と彼女が魔法を唱えると、僕の服の泥はきれいさっぱりなくなっていた。目を疑うほどの見事な杖捌きだ。  こう聞かれた時の返答はもうすでに考えてある。怪しまれないように間髪入れずに口を開いた。 「実はこちらに向かう途中で転んでしまって⋯⋯。ありがとうございます」  そう言ってからすぐに失言に気づく。今は冬真っ盛りで、地面は雪に覆われている。よって転んでもここまで酷く泥がつくことはないのだ。それを彼女も分かっているのか疑うような視線を僕に向けつつ口を開いた。 「⋯⋯それで、今日は魔草を加工すればいいんだね? お安い御用だよ」  口を噤んだまま材料の魔草を手渡すといつものにこやかな顔を見せてくれた。いつか見た「魔草とは魔力を吸い上げる性質のある植物で、加工することで魔力をすぐに回復することができる」という図鑑の説明を思い出し、ケルにあげようと思い立ったのだ。 「その間僕は店の前の雪を取り除いておきますね」  シャベルが中を浮遊して手の近くで静止する。薬屋のおばあさんは魔法を思いのままに操れるのでとても尊敬している。僕が本のページを動かすなんて、この人たちから見たらなんてことないことなんだろうなぁと思い知らされた。  ドアを開けると冷たい空気が流れてくる。でも、手袋のおかげで手が悴むこともなく、とても過ごしやすい。  ザクッ、ザクッと雪を持ち上げるたびに音が鳴る。冬だからだろうか。街はとても静かで人が話す声も聞こえない。この気候では皆家にいるのだろう。そう雪かきをしていると言うのに再び綿のような雪が舞い降りてきた。 「この街もすっかり冬景色だなぁ」 ⋯⋯フロールリ村の家は大丈夫だろうか。雪で潰れていなければいいのだが。それに、森の草花ともずっとお話ができていない。  シャベルを雪に突き刺し、店の入り口を避けて集める。今ここでタンペラムの魔法が使えたらどれほど楽だっただろうか。きっと暖かくて、寒さなんて気にしなくても良くなるんだ。 「⋯⋯どうして魔法が使えないんだろう」  以前よりも悩むことは減ったものの、たまにネガティブな気持ちが影を落とす。誰かの役に立てるような、そんな魔法が一つでも使えたのならきっとだいぶ違うのだろう。残念なことに、そんな技術は一つも持っていないわけだが。 ——その時、明らかに自然のものではない生温い風が強く吹き始めた。不穏な気配に思わず動きを止める。こんな日中、しかも街の近くに魔物が近くに現れるなんてことも珍しい。 「なんだろ⋯⋯あれ」  手で風を防ぎながら注意深く見てみると、道の奥から黒い何かがこちらに向かってくる。だんだんと近づいてくるそれを不思議に思っていると、突然大声が近くから聞こえてきた。 「早く店に入りな!」  それが瘴気だと理解し、慌てて道具を持ち薬屋の中に入る。その見立ては正しかったようで、窓から真っ黒な瘴気が確認できる。⋯⋯一体何があったのだろうか。  ひとつ安堵のため息を吐く。もう少し反応が遅れていたら危なかっただろう。 「あれは、瘴気ですか⋯⋯?」  僕が確認のために尋ねると、彼女は不思議そうな顔をして窓を見つめながら口を開いた。 「⋯⋯そうだね。でも、一体なぜ?」  こう疑問に思うのも無理はない。普段は付近を守る神殿の結界によって瘴気を遠ざけていたのにいきなり流れ込んだのだから。 「たしか今まで安定していたはずでは?」  ここら一帯を守っている神殿の加護は数百年ずっと力を保っていたはずだ。それがいきなり効果を失うするとは思いもしなかった。考えられるのは近くに魔物が現れたか。⋯⋯あるいは、誰かが意図して神殿の加護を破壊したか。 「とりあえずどうやって帰ろう⋯⋯」  瘴気の中何も持たず歩くのは無謀だ。かと言って瘴気を遠ざける光の魔法を使えるわけでもない。 「確か、あんたマジックツリーの枝を持っていたよね? それに私が魔法を込めてあげよう」  すると僕の手から枝がスルリとすり抜け、フワフワと浮遊する。 「⋯⋯そんなことができるのですか!?」 「ああ、少し難しいけどできるさ。どれ、貸してご覧」  そう言うと、「ブリリエ」と唱え枝に向かい魔法を唱えた。不思議なことに枝は白い光を帯びている。試しに枝を持ってみると、ほんのりと暖かい。 「一振りすれば光が瘴気を遠ざけるさ、ただし持続時間までに帰るようにするんだよ」 「はい、分かりました。ありがとうございます!」  魔法薬は別の機会に作ってもらうことにし、今日は家に帰ることにした。  店を出る。街は全て瘴気で満ちており、出た瞬間に気分が悪くなった。このままではいけないと感じ枝をを一度振ると、枝が光を放つ。 ——その途端に瘴気が僕の周りを避けた。これなら安全に宿に帰ることができそうだ。  街の中を駆け抜けていく。幸いなことにこの真冬の厳しい気候のおかげで外に出ていた人はほとんどいなかったようで瘴気で亡くなっていた者を見ることはなかった。  宿のドアを開けて、服についているであろう瘴気を最後に残ったブリリエの魔法で取り払う。 「いやあ、瘴気なんて初めてみました。大丈夫でしたか?」 「あ、ネスロさん! 無事に帰ってこれたようで良かったです」  転びそうになりながらも階段を駆け下りてきたのはリリアさんだった。それにしても、いつもと比べて宿に人が多い気がする。一体どうしたのだろう。 「あの、なんだか今日はたくさん人がいますね。どうしたんですか?」 「それが、瘴気が来た時に屋内に避難できない人たちを全員無料で歓迎したらこのような結果に⋯⋯。すこし狭いですが地下も開放することにしました」 「なるほど、被害が小さければいいけど⋯⋯」  窓を覗くと瘴気が満ちているようで光が入らない。何日くらい外に出られないのだろうか。 ⋯⋯それにしても、何故何の予兆もなく瘴気が街に流れ出したのだろうか。今までそのような兆しも見られなかったのでどこか不吉なものを感じた。
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