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第三十五話「因縁の相手」
瘴気が街に満ちるという出来事が起きてから数日後。畑の作物をなんとか元に戻すことができた。
それによってケルの活躍は街の人にも知られたようで、以前より彼を蔑ろにする人は少なくなったような気がする。
「冬に行う輝星の儀式は失敗しやすいのに、魔法で補強して成功させるとはねぇ」
見事なものだよ。と薬屋のおばあさんは感心する様に話す。今は以前瘴気が流れ込んできたせいで作れなかった魔法薬をもう一度作ってもらっている最中だ。
「魔法学校の試験問題に出てきたことがあるので、たまたま覚えていただけですよ。それにしても、どうして瘴気が突然溢れたのかが気になります」
「そうよねえ。今は収まったようだけどまた起こらないとも思えないし⋯⋯。はい、できたよ」
魔法薬が完成したようだ。さすが、洗練された技術。不純物もなく綺麗に生成されている。
「ありがとうございます! いやぁ、これでケルも魔法をたくさん使えるはずです」.
このところ魔法の技術が上がったからか、魔物狩りの際にも魔法を使っているらしく、宿に泊まるとと魔力切れでヘトヘトになることが多々あった。
「魔力は十分多い方なのに無駄な魔法を僕にかけるからな⋯⋯」
常日頃から何かしらの魔法を使って僕をおちょくってくるので魔力切れを起こすのだ。その調子だと肝心な時に使えなくなることがありそうなので魔法薬で予備を作っておくことにしたのだ。
⋯⋯魔力の使いすぎは本当に気をつけたほうがいい。もしも力が枯渇したのなら、苦痛に襲われて身体が破滅へと向かう。
使い過ぎを防ぐために、魔力が少なくなると疲れが出始め身体が魔法の使用を規制する。
「そう何度言ってもケルは無駄遣いするんです。困ったものですよ」
「なんだかんだで仲が良さそうだね。微笑ましいよ」
彼女が口に手を当てて上品に笑う。それに釣られて僕も笑ってしまった。
「それじゃ、ありがとうございました! 大切に使いますね!」
「またいつでも来なよ!」
手を振り返す。少し考えすぎだったのだろうか。冷えた手に息を吹きかけながら薬屋を後にした。
その後に足を運んだのは喫茶店だった。話があると、タードに呼ばれたのだ。
「ごめんごめん、待ちましたか?」
奥の席に座る彼のもとへ駆け寄る。カップ一杯のコーヒーをそばに置きながら紙を広げているのがタードだ。
「いや、忙しいのに呼び出したりしてすまないな。実は話があるんだが⋯⋯。何か飲むか?」
「え、いいんですか? じゃあ、ホットミルクにしようかな」
「話なんだが、その。推敲をして欲しくてな」
「分かりました。見せてみてください」
本を受け取り、それをパラパラとめくってみても不自然なところはない。
「⋯⋯それにしても、文字の読み書きも上手くなりましたね。あ、全然不自然なところもないですよ」
「そうか、実は編集者にもっていくときに文字が間違ってたりすると煩く言われるからな。それを聞いて安心したよ」
再びスラスラと文字を書きはじめる彼の手を見つめながらふと思い出す。彼は物覚えがかなり良く、僕の予想よりも早く文字を習得することができた。
「そうそう、文字の習得に関してだが、お前の教え方がいいからだろ。一生あの中で仕事するもんだと思ってたが、まさか今ではまともな仕事も手に入れることができるとは」
喫茶店の中で彼が書いているのは子供向けの絵本だ。ずっと記号や絵で意思疎通をしていたらしく、それもあって絵がとても上手い。
可愛らしい子供達のイラスト。とても生き生きとしていて今にも動き出しそうだ。
バタンッと大きな音と共に店内が静かになる。僕がホットミルクを置いた音が静寂の中に響いた。
「へぇ、きったねえ店だな。古ぼけていてカビが生えてそうだ」
みたことのあるシルエット。どこか高圧的で、嫌な雰囲気を醸し出している。マレストだ。
「よお、こんなところで呑気に薬草汁でも飲んでんのか? それに隣にいるのは⋯⋯。おっと、獣人じゃねえか!」
ズカズカとこちらに寄ってきて彼はタードのフードに手をかける。抵抗も虚しく無理やりはがされた。
「やっぱりな。絵なんか描いてこちらもいいご身分だな!」
杖を取り出したかと思うと、絵本の原画が突如燃え出した。呪文の詠唱を必要としない魔法だ。
燃えてチリになる原画を見ながら両隣に従えている付き添い人と共にゲラゲラと笑う。
僕はただ呆然とみているしかできなかった。
「俺は暇なお前たちとは違ってこれから魔物の巣に出かけるんだ。この街を救ってやるんだからこれくらい許せよな! まあせいぜいチンケな街で野垂れ死ぬのがお似合いだぜ」
一通り笑い飛ばしたかと思ったら踵を返して店を出ようとする。それを黙って見逃すわけにはいかなかった。
「⋯⋯謝れ。大切な原画を燃やし、彼に酷いことを言ったことを謝って。謝ってください」
口から出た言葉に自分でも驚く。それは彼も同じだったようで、村では天才として崇められていた彼にとって反抗されるのは珍しいことだったようだ。
「へえ、じゃあお前は街が危機に陥ったとしても役に立てるというのか? 魔法も何一つできないお前が? それはそれは見てみたいものだね。無能が役に立つなんて天と地がひっくり返ってもあり得ないことだからな」
「⋯⋯ネスロはこの街を救った。瘴気に侵された作物を冬でも輝星の儀式で復活させた」
タードがポツリとつぶやいた一言に他のお客さんもヒソヒソと呟き出す。これは彼にとって意外だったようで少しの間呆然としていた。
「⋯⋯作物なんて他から買えばいくらでも間に合う。そうだ、お前は街に魔物が襲撃したとしても何もできないだろう? 作物を守れたところで人命が守れなければ意味がない」
言い返せない。気丈に振る舞っていたさっきの姿勢は何処へやら、心は完全に昔の自分に逆戻りしていた。
「⋯⋯ろくに仕事もできない奴が口答えすんな。穀潰しが」
舌打ちと共にこちらを睨みつけるとイライラしたように店を後にした。⋯⋯後にしようとした。
「どけよ人外。お前は俺に触れていい立場じゃないことを教えてやろうか?」
「言っておくが、ネスロはもう魔法を使えるぞ?」
「ふーん⋯⋯。そうか、それが本当ならば決闘を申し込もう。もしも俺が負けたらお前に謝罪する。俺が勝ったら、お前ら獣人。奴隷にして一生下働きしてもらう」
店内が騒がしくなる。このままではまずい、早く場を治めなければ。
「ちょ、ケル! ⋯⋯もういい、さっきのは⋯⋯その、忘れてください」
「やり直し。さっさとここに這いつくばれ」
ニヤニヤとこちらを見下し笑みを浮かべているのが気にくわないが、膝をつけようとすると、肩に手を置かれる。
マズルにシワを寄せて、マレストに対して敵意をむき出している。
「その必要はない」
タードもまたケルと同じく血気盛んなようで、こっちの気も知らずに話を進める。
「あーあ、最後のチャンスをあげたのにな。そうだな、決闘は明日にしよう。それと、お前のためにハンデをやろう。俺は魔法だけで戦うがお前は何を使っても構わない。それならなんとかフェアだろう? ⋯⋯ぜってえボコボコにしてやる」
酷い音を立ててドアが閉まる。かなりの危機に陥ったのかもしれない。
「なんで魔法が使えるって言わなかったんだ? 魔法が使えるって聞いた時のあいつの顔、愉快だったぜ」
クスクスと笑うケルの頬を軽くつねる。危機的状況を理解していないらしい。
「本当に今ピンチだからね!? 魔法使えるって言ったって本のページめくることしかできないんだからなんの役にも立たないでしょ。それに三人の今後が終わったようなものになったんだけど⋯⋯。タードもタードだよ! あの時止めなければなんとかそのまま帰らせることもできたのに」
とにかく、これはなんとか勝たなければいけない。相手はマレスト、普通に挑んだら負けるのは確実。どうにか魔法に頼らない策を講じなければ。
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