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第三話「僕は屑だ」
森の中を歩いていると、身を隠すのにはちょうどいい大きさの洞窟があった。森の中には野生動物の他に夜になれば魔物が出没するので理にはかなっているだろう。
魔物から身を守る方法として試験問題にも出ていたはずだ。
まっすぐここに来たと言うことは、彼があらかじめ見つけておいたのだろうか。しかし、入ってみると中では時折ひんやりとした風が吹く。これでは少しも眠れそうもない。
不安になり一応彼に尋ねてみる。
「え、本当にここで寝るんですか? 寒いでしょうし、僕の家は村の外れなので気にしなくても大丈夫だと思いますよ」
風を防ぐ毛布もない、ゴツゴツとした岩肌に敷く布もない。⋯⋯夜に魔物や野生動物に襲われる心配がないというだけでも救われているのだろうか。僕には到底そうは思えないが、彼はここで眠る気のようだ。
第一印象から「そんなこと聞くなよ」などといった素っ気ない態度を予想したが、その予想は外れた。
感じのいい笑みをこちらに向け、ポツリと呟く。
「お前はやっぱり優しいんだな。でも、もう少し自信持ったらどうだ?」
不意に褒められて、少しだけ笑みが溢れる。村では邪魔者扱いだった僕も、彼となら役に立つことがあるかもしれない。⋯⋯荷物持ちでも、話し相手でも。
——その後に彼の口から放たれたのは、少しの希望を抱いた僕の心を深く貫く言葉だった。
「そうだ、お前魔法使いだろ? ほら、ちょいちょいっと火を出してくれよ。魔法使いなんだろ?」
洞窟の中に声が響く。四方八方から響いた声が頭の中をグルグルと周りはじめ、僕は胸に握り潰されるような苦しさを覚えた。
洞窟の外から聞こえる森の葉のざわめきがしっかり聞こえるほど静かになる。
一方彼ははにかみながら地面を指差す。 そして、僕は心の中で達観した。
⋯⋯そうだ。この人も魔法が目当てなんだ。新聞に載ってたから。フロールリ村出身なら魔法が使えると思い込んでいる。なら、それが使えない僕に冒険に出る権利などない。
確かにそうだ。魔法使いをパーティに入れるということは魔法を期待されているのだろう。生憎僕は使うことができないが。
俯いた顔を上げて、静かに口を開く。
「⋯⋯できない。僕に魔法は使えない」
鉛のように重い空気が辺りを漂う。どうせ他人に切り捨てられるくらいなら、その前に自分から村に帰ろう。
言葉を選んで、静かな怒りを抑えて。相手は獣人だろうと、何もしていないのだから傷つけるべきではないはずだ。⋯⋯いや、傷つけたくない。なんの取り柄もない僕を、優しいだなんて褒めてくれた彼を責めるなんてことはしたくない。
穏便に、断ろう。慰めの言葉も僕には余計苦しいものになるのだから。
「僕は魔力が足りなくて、魔法がほとんど使えません。体力もないしこれから先なんの役にも立てません。だから⋯⋯。言うなれば僕は、お荷物、なんですよね? なので、僕は村に帰ります」
野宿なんかするより住んでいた家に帰る方がいい。あの村で馬鹿にされながらも細々と暮らしていた方が、絶対にそっちの方がいい。そう思い込む。
⋯⋯他の魔法使いみたいに冒険! なんて、すこし期待した僕が馬鹿だったのだ。魔法が使えない魔法使いなんか連れていても邪魔にしかならない。食事代、宿代、衣服代、薬代だって倍かかる。無能にそんなものを払いたくはないだろう。そんなことはもう知っている。
彼もきっと、いや、絶対魔法が使えない魔法使いは邪魔だと思うだろう。自分がその立場だったら、きっとそう思う。
僕がいたところで何ができる? 否、できることなんて、何ひとつない。
あんぐりと口を開けた彼を無視して洞窟の出口に向かい踵を返すと、ローブの裾を引っ張られる。
「おい、待て——」
それが、僕に同情しているかに思えた。魔法が使えないことの哀れみに思えた。この先の言葉を聞いてしまえば僕はきっと甘えてしまう。だから⋯⋯。その手を振り払い、とっさに口を開く。
二度と関わりを断つために、重い重い言葉を。
「汚らわしい獣が僕に触るな! 魔法が使えないのに魔法を使えなんて言って、惨めな気持ちにさせて楽しいか! 僕はどうせ何もできない無能だ、冒険には一人で行くなり今からでも他の魔法使いを連れて行けばいい!」
「まて、そういうわけじゃ」
反論は許さない。今言葉で着飾ったところでいつしか彼のメッキは剥がれる。いくら励まそうとしたってどうせいつか僕に嫌気がさして捨てられるんだ。分かりきったことだ。どう考えたって僕は必要とされることはないし、そんな場所は存在しない。
少し悲しそうな顔をする彼に少し罪悪感を覚えるけど、それには気がつかないふりをした。あれやこれや、彼は口を動かしているけど耳を塞いで全てを無下にする。⋯⋯そして表面だけの無駄な会話に終止符を打つことにする。
「うるさいっ! ほっといてくれ! ⋯⋯僕とは違う獣のお前に何が分かる!」
言葉を発した途端、思わず口を抑えてしまった。秋の夜の冷たい空気が肺を圧迫する。洞窟の暗闇もまた胸を蝕んでいるようだった。少しひどいことを言って嫌われようとしただけなのに、言ってはいけない言葉を言ってしまった。僕は彼になんてひどいことを言ってしまったのだろう。謝罪⋯⋯。それはいつしか僕にとって大変難しいことになっていた。
取り消しボタンなんて都合のいいものはない。撃ち込んでしまった言葉の弾丸はきっと彼の心を撃ち抜いてしまったのだろう。
自分の過ちに声を出せないでいると、ゆっくりと牙が顔を覗かせる。
「——俺の知っているお前は、そんなことを言う奴じゃない」
わなわなと湧き上がる彼の怒りが肌で感じられる。それに申し訳なさと共にこの獣に対する恐怖の感情がこみ上げてきた。
喉が異様に乾く感覚がする。膝が震える。
それはさながら捕食者に対峙した時の被食者のようで⋯⋯。そこまで考えたところで僕はどこまで最低になればいいのだろうと思った。また、これなら地獄行きは確定だろうな。と、意味のわからない声に囁かれた。
我に帰り、出口の前で立ち止まっていたことを思い出す。早いところ去らなくては。もう僕がここに留まる理由は存在しない。
「⋯⋯さよならっ」
月明かりが頼りなく照らす森の中を逃げるように僕は駆け抜けた。途中何回か転んだものの歩みを止めるわけにはいかない。合わせる顔もない。しばらく走り続けていると追いかけてくる足音はいつの間にか聞こえなくなっていた。
息を切らしながら、ツタや茂みの中を泳いで走り抜ける。時々眠っていたであろう鳥や動物が音を立てたり、鳴き声を上げることひとつひとつに驚く。何度も行ったはずの森の知らない顔に戸惑いを覚える。
上を見上げても、樹冠に覆われた空は心強く先の道を照らしたりはしてくれない。ただひたすらに続く闇が不安を煽り続けていた。
歩き慣れている腐葉土のはずなのに、足どりが重い。落ち葉を足でかき分けるように走っていたのでそれも相まって腿に疲労感を抱いていた。さらに鬱蒼とした森は、いつもの優しさを失っており、不気味な雰囲気を醸し出している。目の前は闇に包まれていて、今にも吸い込まれてしまいそうだ。
焦燥感に駆られるまま動かしていた足にも疲れを感じ始め、走りをやめた。無我夢中で走ってしまったせいで村の方向はよく分からない。とりあえず、歩いて森を出る必要がありそうだ。
少し歩みを進めると、次第に呼吸も整ってくる。焦りも、不安も、少しだけ和らいでいた。
森の中をひたすら真っ直ぐ進んでいくと、一つの小川があった。どうやらかなり遠いところまでしてしまったらしい。
木々がまばらになった河原は他よりも少し明るく、川に反射する月明かりが僕の心を照らしてくれていた。儚いけれども、僕にとってそれは貴重に思えた。
思わず駆け寄って、川に近づく。波の煌めきをそっと手で救い口に近づけると、枯れた大地に水が染み込んでいくような感覚を覚えた。
「⋯⋯明日の朝、明るくなったら動こうかな」
この暗闇の中、家に帰るだなんて無謀にも程がある。それに、このほんのりと明るい三日月の月光から離れることは耐え難かった。
落ち葉をかき集めて横たわる。意外にも、暖かく感じた。洞窟で眠るよりも、こうして眠った方がいいに違いない。
目を閉じると、疲れからか思ったよりも抵抗なく外で眠りに落ちることができた。
カラン⋯⋯カラン⋯⋯。
乾いた音がどこからか響く。それを聞いて咄嗟に目を覚ます。こんな時間に森に出歩くと言うことはおそらく人ではないだろう。つまり⋯⋯。
そのことを理解した瞬間、額に脂汗が滲んだ。音の正体は、しだいにこちらに向かってきているようだ。僕の存在に確実に気がついているだろう。
逃げなくては⋯⋯。脳は理解していても、体は動かない。体は酸素を求めているのに、口だけが開閉を繰り返すばかりで、そのものを取り込むことができない。魔物に対峙した際にパニックに陥るというのは絶望的な状況だ。
せめて足を動かそうにも、鉛のようになってしまった足は言うことを聞かない。
いや、どこかで"身体を動かさないほうが良い"と思ってしまったのだろう。
——一つの悪しき考えが、脳裏によぎる。
あの村にいても、一生孤独でつまらない、生きがいも何もないクソみたいな人生を送るんだ。それならば、いっそのこと今ここで死んでしまった方が⋯⋯。楽なのかもしれない。
そう思ってからは、冷静。そして無気力でいられた。
音はもう近くで鳴っている。暗闇にも慣れ始めた目を凝らしてみると、何かがぼんやりと光っている。「それ」は、こちらの存在をはっきり認識したようだ。
スーッと「それ」はこちらに近づいてくる。ボロボロで汚れた麻の布切れを見に纏い、手には弱々しい灯火のついたランタンを持っている。ゆらり、ゆらりと空気のように手招きするその手は骨が剥き出しだ。これらの情報から察するに。
「ロストスカル⋯⋯か」
生前罪を犯し、加えて罪を償わずに死んだ者の末路。夜に現れては生者を殺し、自身の無くした魂を求めて彷徨い続ける。それが本当ならば、僕もロストスカルになるのだろうか。
そういえば、前に受験した魔法学校入学試験でも出たなぁと他人事のように思う。
なぁんだ、筆記試験で出てくる魔物学の基礎中の基礎の魔物じゃないか。そんな奴に殺されて終わる人生、悲しいなぁと少し思えたのは人生に悔いが残っているからなのだろうか。
そう思ったところで、魔法も剣技も何もできない僕に対抗策はもう残されていないのだけど。
月明かりの当たらない木々の間から覗かせた顔が、明かりを浴びてはっきりと映る。白い頭蓋骨が蠢く様は不思議だ。
ロストスカルの腕が僕の肩を掴む。生気のない腕はロープの上からでも感じるほどひんやりと冷たく、生きた人間のそれとはどこか違った様子だ。
冷気を纏ったような冷たさ。思わず背筋が凍る。
しかし、こうなった以上今更何ができるというわけでもないので、目を閉じて、力を抜く。この後に訪れるであろう痛みか、はたまた苦しみをできるだけ感じないように。
⋯⋯こんな人生でよかったのかな。
閉じた瞳の中でふと、自分の死生観について考える。結局のところこの選択は、何も間違っていない気がした。
そんなことを言っても、試験問題みたいに答えがないから分からないけど。最期くらい、丸が貰える人生でありたいから。そう信じることにした。
いつの日だろう、ロストスカルといえば悪い子を連れて行くだなんて話を聞いていた。当時は怖いと思ったいたけど、まさか本当に連れていかれるだなんて。
⋯⋯僕は、悪い子なんだ。
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