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第四十話「無力な僕と魔術」
「⋯⋯全く、俺が薬の存在に気づかないわけがないだろう。魔法が使えない唯一のお前特技なんだから使うとは思ってたぜ。ま、少し接戦を演じた方が面白いだろう?」
雪のおかげか足を少し痛める程度で済んだ。でも、これでは負けてしまう。だって、打つ手はもうないのだから。
「最初から知ってたんだよ。魔法薬の存在も、枝の効果も。透視魔法が使えるからお見通しなわけ。カバンの中にはクッキーしかないんだろ? もう、チェックメイトだ」
⋯⋯透視魔法。相手の持ち物などを読み取ることのできる非常に高度な魔法。魔法学校で専門的に習うレベルの魔法を使っていたのだ。
最初から、何もかも無駄だった。
座り込んだ僕に一歩一歩と歩み寄ってくるマレスト。やはり、僕は何もできないのだろうか。
「お前は一生負け組だよ。ネスロ」
——このままなにもしないのでは、前となにも変わらない。
魔法を間一髪で避け、サークルに沿うように走る。捻った足でなんとか避けつつ。
「諦めが悪いなぁ。もう負けるって分かってんだろ。⋯⋯まあいい、楽しませてもらおう」
氷の塊が地面にでき、それに足を取られて何回も転ぶ。雪の上に転んだ跡と鼻血がつく。クッキーを火種にしてイーグニスを。
⋯⋯いや、そんな魔法では太刀打ちできない。もっと何か不意をつけるものを。
息が上がる。喉が痛い。冷たい空気のせいで肺が凍るようだ。でも、前とは変わっているって信じているから、変わったと言うことを証明したいから。走り続ける。
「しつこい。⋯⋯ま、まだ楽しめるってことでいいんだけどさ」
サークルを一周走ったところで、雪に足を取られ転ぶ。目を開けると、ケルやタード、リリアさん。⋯⋯。それだけじゃない。街の人が応援している声に気が付いた。
ふと、一つの作戦が思いつく。頭の中で魔導書をひたすらにめくり続ける。
⋯⋯これしかない。
垂れた鼻血、クッキー。これを使えば、まだチャンスはある。
「あれあれ? もうおしまいか? もう少し逃げ惑ってくれても良かったんだがなぁ」
後ろから、ジリジリと近づいてくる気配がする。もう少し、もう少し近づかせて⋯⋯。
——マレストの顔面に、雪玉を思いっきり投げつける。
それには流石に彼も対応できなかったようで、まともに雪玉を食らった顔は少し赤くなっていた。
怒りがワナワナと昇っていくのが感じられる。
「⋯⋯殺すぞ?」
その冷たい声に構わず僕は走る。逃げるためでなく、戦うために。氷の塊に頬を殴られ、鼻血がまた一層流れる。皮膚が切れ、そこからも痛みが滲みる。
「⋯⋯うろちょろしても無駄だっての。だって、こっちには魔法があるんだからさ」
そう言うと、彼は手を伸ばし、振り上げた。
「ハントハーブ・サルメント」
詠唱された途端に勢いよく蔓が地面から生えて来て、僕の体を縛り付ける。ここで最後におまけの一言を言う。
「⋯⋯こんな大技だしちゃって、僕を殺せるほどの魔力は残ってるのかな? 口だけじゃないといいけどね。魔力の使いすぎで疲れたならクッキーでも食べるといいよ。お子様には甘くてぴったりだと思うから」
カバンを投げつけると、それもまた見事マレストの顔面に命中する。完全に怒り狂っていたようで、締める力が強くなっていた。
「はっ、お前なんか余裕でぶち殺せるぞ。それじゃ、死ね。インフレンマ・ブルチャーレイ」
強大な炎が昇る。魔力はこれに全部使うのだろう。動けない僕のトドメとして。
炎が僕を包み込んだ。
——大きな炎と共に燃え上がる蔓に縛られたネスロ。周りの制止する声も聞かずにマレストはネスロを炎で焼き尽くした。
リリアはマレストの肩に掴みかかった。
「ネスロさんは大丈夫なんですか!? 決闘だって言ってましたよね!」
「あ? あんなゴミこの世にいなくても誰も損しないだろ。むしろ焼却処分してやったんだから感謝して欲しいくらいだね」
その言葉に思わず胸ぐらを掴む。それにも動じずむしろケラケラと笑いだした。
「お前、あいつの連れだったらしいな。無能引き連れて一体何になるんだ? ま、今日からお前は俺の奴隷になるんだけどな。首輪も用意してるし、有能な主人に仕えることができて幸せだろ?」
「⋯⋯黙れ! ネスロはお前なんかよりもずっと優れている。人に優しく、分け隔てなく接する。お前よりも人間としてできている!」
「ま、その分け隔てなく接した結果があの消し炭なんだけどな。お前ら獣人を庇ったせいで死んじまうなんて笑えるよ⋯⋯な」
彼が指差した先には何もない。ふと汗の匂いがする。しまった。と思ったのかマレストはすぐに杖を構えた。⋯⋯が、間に合わなかったようだ。
「⋯⋯これで、勝ち」
マレストの首に後ろから突き立てられたダガーナイフ。これは、ネスロの勝ちで誰も文句は言わないだろう。
「⋯⋯決着が付いたな。この試合、ネスロの勝ちだ」
周りの人も同意見なようで、拍手が鳴り響く。
「⋯⋯殺してやる。殺してやる!」
突き立てられたダガーナイフの刃を握りマレストの手から血が流れる。
「やめろ! お前は負けたんだ、諦めることなく戦ったネスロが勝ったんだよ、認めろ!」
慌てて制止して危機一髪。危うくネスロが切られるところだった。
「有り得ない! 絶対にあり得ない! 何もできない役立たずに負けるだなんてことは絶対に!」
「⋯⋯ちょっとお前は眠ってろ」
タードが後ろから首を叩き気絶させる。
「さて、目を覚ましたらこいつに原画の手伝いをさせるか。ネスロは大丈夫そうか?」
ふと彼を見るとすやすやと寝息を立てている。どうやら無事なようだ。しかし、見ていて痛々しい傷だ。
「⋯⋯寝てるな。宿で休ませることにする」
足を痛めないようにゆっくり担ぐと、じんわりと暖かい体温が伝わった。
——それにしても、どうして無事でいられたのか。たしかに炎に飲み込まれたはずなのに。
作戦を失敗した時、正直もうダメだと思った。それと同時に自分がネスロにものすごい責任を押し付けたことを後悔した。
起きたらしっかり謝ろうと思った。
「目は覚めたか?」
ケルの声に目を覚ます。少し足に痛みを感じた。
「あれ、僕は負けたんだっけ?」
「バカ、勝ったんだよ。お前はマレストに! 頑張ったな!」
その言葉を聞いて胸が熱くなる。
「嘘!? 本当に勝ったんだ! よかったぁ〜」
「そうだよ! お前はすごい奴だ! よーしよしよし」
顔を摺り寄せられる。なんだか恥ずかしい。
「あの、恥ずかしいのでやめてくれませんか⋯⋯? そんなことをされる歳でもないので」
「まだ十歳なんだから遠慮すんなって! おーらよしよしよし」
「やめてください」
「お、おう。ところで、どうやってあの魔法をやり過ごしたんだ?」
顔をすり寄せるのはやめるものの頭に手を乗せたままだ。どこか懐かしい気分がする。
「えっとですね、街の人が僕を応援している声が聞こえて、その時に儀式のことを思いついたんです。そこでマレストを煽り僕にとても強力な魔法を使わせることで魔力を切れさせて、身代わり妖精の儀式を行えば隙が作れるんじゃないかと思ったんです。逃げながら足跡でエンブレムを描いて、素として最後にクッキーを投げつけて⋯⋯。こっそり蔓に縛られた時に鼻血を代償として呪文を詠唱したんです」
「なるほど、それであの魔法を避けて⋯⋯。奴が疲弊した隙に後ろからということか」
「でも、成功してよかったです。クッキーをもらっていなかったら危ないところでした」
もしもクッキーが手元になかったらと考えるだけで身震いする。
「あの機転をきかせ方は流石のマレストも対応できなかったみたいだな。これでも飲むか?」
暖かいミルクを口に運ぶと、じんわりと心に染みる。特有の甘みが疲れた体を癒すようだ。
「それにしても、タードの原稿はどうなったんですかね? 締め切りに間に合えばいいのですが」
「そのことなら安心しろ。マレストは明日から働き詰めだそうだぞ」
「それならよかったです。ちゃんと燃やした分は直さないと。⋯⋯はぁ、また眠くなってきました」
毛布を一枚手繰り寄せ頭に被る。ふわふわとした感触が心地いい。
「なあ、明後日はどうする?」
「明後日?」
毛布から顔を出してみると何かそわそわしたような雰囲気だ。
「その、明後日は雪まつりだろ? 今日疲れた時にいうのも悪いんだが、実はずっと前から参加してみたくてな」
「へえ⋯⋯! 雪まつりなんてあるんだ。いいね、参加しましょう」
ここ最近畑で儀式をしたり決闘を申し込まれたりと忙しかったので、一日くらい休む日を設けてもいいだろう。
「それじゃ、ゆっくり寝ろよ? 俺は部屋出るからな」
「うん、ありがとうございます。また明日」
「あ、あと。最終的に勝つことはできたが、お前一人に責任を負わせてしまって申し訳なかった」
「大丈夫ですよ。僕も成長したことを実感できましたし」
「それじゃ、おやすみ」
「おやすみなさい」
暖炉の燃えていた跡がまだ熱を放っている。暗闇のなか天井を見つめていると、色々なことを思い出す。ジンジンと痛む傷も少しずつ慣れてきた。
「本当、毎日が楽しいな」
村にいた時よりも明らかに充実している。沢山の人との出会い。新しい事を始めたり、人を助けて喜んでもらえたり。ちょっぴり怖いこともあった。
「⋯⋯幸せなんて、案外近くにあるんだなぁ」
なんだかポエムのように感じて一人恥ずかしくなり再び毛布をかぶる。静かで永い冬の夜はまだ始まったばかりだ。
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