第四話「理由」

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第四話「理由」

——おかしい。  かれこれ時間は経っているのにもかかわらず、痛みを感じない。それどころか何かが起きている気配もしない。とっくに襲われていてもおかしくないだろうに今のところ無傷だ。 ⋯⋯もしかして、ロストスカルの思っていたあれはただの人だったのだろうか。兎にも角にも、このままずっと立っているわけにはいかない。恐る恐る目を開けてみるとそこにはただ闇が満ちていた。  川の流れる静かな音が、僕の心に落ち着きを取り出させる。静まり返った森は、どこか幻想的に見えた。 「なんだ⋯⋯。ロストスカルじゃなかったのか。疲れてるのかな、僕」 「ああ、アホ面晒してボーッと突っ立ってるのは最高に馬鹿みたいだったぞ」  突如後ろから声がしたので声を上げて振り返るとそこにはロストスカルの顔面が目の前にあった。  咄嗟に声を上げる。僕の叫び声に鳥が驚いたようで、あらゆるところからバタバタと羽ばたきの音が聞こえてきた。 「おっ、いい声いい声」  ロストスカルの残骸の後ろから顔を出したのは、なんと狼の剣士だった。どうやら僕が気づかなかっただけで後をつけていたらしい。 ——それよりも、腰が抜けてしまって立てない。 「なっ、何やってんだよ! 僕は⋯⋯。僕は、君にひどいことを言ったのに!」 「まあまあ気にすんなって魔法使いさんよぉ。ほら、このロストスカルもそう言ってるぞ?」  そう言うと彼は亡骸を自分の顔の高さに上げる。しばらく呆然としていると、脳内でやっと理解できた。どうやら彼は僕が襲われる直前にロストスカルを倒してくれたらしい。  「アンシン、シロヨ!」と声質を変え、ロストスカルの亡骸で人形劇をするのを見て不謹慎ながらも少し吹き出してしまった。ただ単に笑いを取るのが上手なのか、それとも安心からの笑いなのか。 「そっ、それ一応人の霊なんだけど! 不謹慎すぎるでしょ!」 「それを見て笑ってるお前も十分不謹慎だから安心しろよ。呪われるときは一緒だぞ?」  もう一度亡骸の顎を動かして彼の人形劇が始まる。笑いを堪えていても、やっぱり我慢できずに声が漏れてしまう。 「オマエラ、ノロイコロス!」  ギャハハハハと笑ってしまう僕はいつかロストスカルに殺されるだろう。ま、さっきも殺されかけたわけで⋯⋯。  しばらく笑い倒した後、なんとか深呼吸をして落ち着きを取り戻す。笑いすぎてお腹がキリキリと痛い。  軽く咳払いをする。早いところお礼を言わなければ。 「あ、あの⋯⋯。助けてくれてありがとうございました。さっき、僕は最低なこと言ったのに⋯⋯」 「確かにムカついたけど、お前の事情を知らなかったとはいえ俺も傷つけたわけだしお互い様だろ。すまなかった」 「それじゃ⋯⋯。もうきちんと帰れますから、ありがとうございました。さよなら」  ひどいことをいった相手に命を助けられ⋯⋯。嬉しかったけれど、どうしてこんな僕にそこまでできるのかが理解不能だった。自分と彼を比べては、子供っぽい自分に嫌気がさす。 ⋯⋯もう、さっさと崖から飛び降りるなりして死のう。  ゆっくりと立ち上がり、森の奥へ足を踏み込む。  先ほどとは違って、肩を掴まれる。 「⋯⋯さっきみたいに死ぬ気だろ。魔法とかどうとかなんて気にしないで黙って冒険についてこい。お前はペットみたいな感じだ。魔法が使える使えないなんて二の次で、話さえしてくれればいい。どうもずっと会話してないと顔が強張って依頼受ける時に怖がられるからな」  この人は魔法が使えるかどうかじゃなくて、ただ話し相手が欲しかったのか。⋯⋯それが僕に気を使っての嘘であるのは正直な話、バレバレだ。でも、嘘でもいい。僕の存在意義を初めて感じて、心が暖炉にあたったかのように暖まった。  鼻にツンとした感触を保ったが、悟られることのないよう平然と答えた。微妙に震える喉がいつものように話をさせてくれない。 「でも、僕は本当に何もできません。体が強いわけじゃないので荷物持ちだって、ままならないです」 「だから、何もしないでただ後ろについてくればいいんだよ。分かったら早く戻るぞ」 「⋯⋯ありがとうございます。それじゃあ、これからよろしくお願いします」  差し出された手を握ると、ズズッと腕を引かれ、顔が近づく。アクアマリンとも言えるような、晴れ渡る夏の空にも見えるような形容し難い蒼色の瞳は、美しさと共にどこか懐かしさを覚えた。  三日月を背に写る彼の姿は、何か美しい景色を⋯⋯。僕なんかが触れてはいけない様なものを見ているかのよう不思議な雰囲気を含んでいる。 「⋯⋯ところで、さっきの発言について謝罪の言葉をもらった覚えがないがそこんところどうなんだ? 魔法使いさんよ」  あまりの雰囲気の合致にマジマジと見ていたことに気づくと急に気まずくなり、ゆっくり逸らす。すると、先ほどとは違いすごく接しやすいように感じた。  それよりも、こ、これは割と根に持っていらっしゃるようだ。村での生活で心が歪みきった僕に謝罪をするのは少し躊躇してしまうが、彼はチャンスを与えてくれたんだ。まずは落ち着いて呼吸を整える。  心臓がバクバクと音を立てる。手も震え、目を合わせると、青の瞳に引き込まれてしまいそうだ。 ⋯⋯そもそも謝る事って、こんなに難しい事だったっけ。と口をモゴモゴとさせながら思っていた。  一通りの心の準備を終えた後、僕は口をゆっくり開く。その間も彼は急かすこともなくただ待っていてくれていた。 「ご、ごめんぬぁ⋯⋯」  なんとも間抜けな声が不意に森の中に響き渡った。自分でも不思議に思っていると、頬が軽く横に引っ張られていた。なんとも小っ恥ずかしく、急いで手を振り払った。 「はい、これでチャラな。ほら、明日は早いんだからさっさと寝るぞ!」  手を引かれる先は月の光もほとんど届かない様な闇の中。こんな恐ろしいところを堂々と歩く勇気は、僕にはない。 「⋯⋯最低。人が謝ってるところをつねるなんて!」  さっきのことついて抗議すると、「ごめんごめん」とヘラヘラと笑いながら頭をガシガシと撫でられる。本当にこの人は何者なんだろう。  ついてくるだけとはこう言うことなのだろうか、ずっとこの調子だと人としての尊厳が少し傷つく気がする。  でも、この人となら大丈夫な予感がした。 ⋯⋯嫌ではないが、少し恥ずかしいのでそっと手を退けた。 「⋯⋯別に、頭撫でられる様な歳でもないので」 「そうなのか? 大きさ的にまだまだ小さいかと思ったが⋯⋯。いくつだ?」 「十歳ですよ。皆は魔法学校に行ったり仕事をしてる歳です。僕なんかずっと受験ばっかで仕事もしてませんし⋯⋯。村であの扱いは当たり前なんですよ。むしろ追い出されないだけマシです」  言葉を続けようとした時、静かに彼の手が僕の頭に乗せられた。思わず振り払おうかと思ったが、心地良くて、しばらくならこのままでいいやとちょっとだけ感じた。  暗い森をズンズンと進んでいく。夜の森の歩き方も、方向の確認の仕方も、僕には知らないことばかりだった。 「ここ、気を付けろよ」  僕がつまづいてしまいそうな木の根っこや穴などを彼は一つ一つ教えてくれる。ありがたいことだが、どうしてこんなにも分かるのだろうか。 「⋯⋯あの、どうしてこの暗闇の中そんな根っことか穴とかある場所が分かるんですか?」 「あー、夜目がきくからな。暗いところでもなんでも見えるぞ」 「そうなんですね。⋯⋯よいしょっと」  手を取られながら森を進んでいく。僕が走るよりも速くはないが、転ぶことがないようにしてくれている。  結局枯れ葉で滑ることも、蔓が足に絡まることも、バランスを崩して転びそうになることもなかった。 「さて、しばらく歩いたが⋯⋯もうそろそろつきそうだな」  その言葉通り、いつの間にか僕に見覚えのある風景になっていた。木の生え方、茂み、草の生え方を無性に懐かしく思った。  森の中を誰かと一緒に歩くなんて、いつぶりだろうか。ふと、今は亡き両親の姿が、眼前に現れる。     そういえば、二人ともよく森に遊びに連れていってくれたっけ。木漏れ日の中、森で食べるマスカレートパイ⋯⋯。美味しかったなぁ。  どんな味だったかほとんど忘れてしまったものの、美味しかったという事実だけは心に刻まれていた。  ツーンと鼻の奥にマスカレートの酸味に似た違和感を再び感じる。頬には雨粒が伝う感触が残った。そうだ、秋の天気はとても変わりやすい。これ以上ひどくなってしまう前に早いところ雨を防げるところに行かなくては。 「あれ、雨が降ってきたんですかね?」  ポツポツと頬を伝う雨粒の大きさが大きくなっている。このままではきっと大荒れになるだろう。そしたら風邪をひいてしまう。温かいクリームシチューを食べて身体を温めていたっけ。でも、そんなことは言ってられない。⋯⋯あの家で同じように過ごす時間はもう二度と来ないのだから。  そうこうしている内に雨は僕たちを気にも留めず降り始めた。 「⋯⋯まあ、洞窟も近いから大丈夫だろう。少し走るぞ」  ⋯⋯嗚咽が闇に包まれた森の中に響く。十歳の震える背中は、非情で、厳しい現実を「一人で」受け止めきるには小さすぎたのだ。 ——けれども一つの腕は、その背中を支える。  林冠の隙間から漏れる月光が、儚いながらもしっかりと森の下草を優しく照らしていた。  洞窟を前にすると、先ほどのことを思い出してしまい思わず足を進めるのに躊躇する。だけど、今なら大丈夫。そう思って前に進んだ。  さっきは気づかなかったが中は思っていたよりも広く、眠るには十分な広さであった。夏であれば心地いい避暑地になるのだろう。 「さて、明日は早いしすぐに横になれよ」  硬い岩肌に身体を預ける。じんわりとした冷たさが服の上から浸透してくるのが少し気になった。 「⋯⋯もしかして、寒いか?」 「⋯⋯あ、そこまででもないですけど⋯⋯」  実を言うと、少し寒い。でもこれから先もっと過酷なことがあるかもしれないのだから、こんなところでぐずぐずするわけにはいかない。何もできないのだから、せめて迷惑をかけないように努力をすべきだ。 ——ふと、温もりを感じる。 「確かに獣人は体毛で寒さに強いからな⋯⋯気づかなくてすまなかった」  背中からすっぽり包まれるような体勢になり、いつの間にか震えも収まっていた。 「⋯⋯いえ、大丈夫ですよ。僕も知らないことが沢山ありますし、それはお互いに少しずつ知っていきましょう」  心地いい陽だまりのような温度を感じつつ目をそっと閉じた。 ——キラキラと雨のように降り注ぐ、木々の葉から漏れ出る光。サラサラとした風がくすぐったい。 ⋯⋯お前なら、魔法学校いけるよ。だっけ。  生憎現実は非情で魔法学校に行くどころか村の人から排斥されるという真逆の存在になっている。  自分が作り出した架空の友人の言葉なんて、当てにならないなぁ。  でも、心地の良い夢をもう少しだけ見ていよう。
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