第五話「街へ向かう」

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第五話「街へ向かう」

 洞窟内に、少しばかりの日光が差し込む。さえずりが森の中を賑やかに響き、鳥たちが「おはよう」と挨拶を交わしている姿をたやすく想像できる。  慣れない硬い岩肌に直接身体を横たえていたからか、節々が少し痛んだ。思いっきり伸びをして、凝った身体に油を刺す。  明日は早いと言っていたが、その言葉を発した当人はまだぐっすり夢の中を彷徨っているらしい。  しばらく待ってみるも、起きる気配がしないので声をかける。 「剣士さん! 朝です! 今日は早く出るって言ってたでしょ!」  一緒に眠っていたはずなのになぜか奥の方で転がっている彼をソッと揺するが、「んー」とか「あー」とかばかり言ってなかなか目を覚さない。  この調子では永遠に肩を揺することになりそうなので軽く頬を叩いてみると、ようやく目が覚めたようだ。目は依然として半開きだが⋯⋯。 「やっと起きた! ほら、出発するんでしょ! 準備してください!」 「んー、あとすこし⋯⋯。」  再び青い瞳が隠されようとするのを指でまぶたを持ち上げ阻止する。 「ちょっとも少しもない!」  しかし、僕の努力も虚しく結局また眠りについてしまった。なんて寝起きが悪いんだろう。これでは起こす方も疲れてしまいそうだ。寝返りを数回繰り返した後、彼は突然むくりと立ち上がり干し肉を僕に渡し食べ始めた。  ちなみに朝食は干し肉二切れで終わってしまった。塩味がきいて美味しかったものの量が圧倒的に少ない。穀潰しが言うのもなんだが⋯⋯。  何か準備を進めている彼を前に本当に出発するのか今一度尋ねる。もう少しパンなどの主食となるご飯があれば嬉しいのだけど。 「あの⋯⋯。もう出発するんですか?」 「お前が早く行く行くって言うからな、ほら準備したした!」  どうやらもう出発するらしい。朝食ももちろんあれで終わりの様だ。おいしかったからこそもう少し食べてみたかった。 「朝ごはん、もしかして⋯⋯あれだけ?」 「贅沢言うんじゃない! ほら、結構歩くんだから早く準備しろ!」  寝起きの時といつのまにか立場が入れ替わっていて、心境とても複雑である。 ——洞窟を出て、森を抜けて、そこに広がっていたのは広大な原っぱ。草原の草が秋の風に揺られて時々キラリと輝いている。この煌めきは、昨日の夜に雨が降ったからだろう。そして、冷たい風は頬を滑るように吹き付ける。爽やかな朝だ。草原は少し丘になっていて、上からはフロールリ村といつも薬草を摘みに行っていた近くの森が一望できた。  全てがはじめての経験だ⋯⋯。  村の真ん中の広場も、広大な森も、服屋さんも、質屋さんも。⋯⋯僕の家も、全てが見渡せる。なんだか、急に帰りたくなってきた。  じっとフロールリ村を見つめていたからだろうか、彼は心配そうに声をかけた。 「⋯⋯しばらく戻れないが、大丈夫か?」  いや、今は帰る必要はない。だって、旅に出るのだから。この人が僕にチャンスをくれたんだ。無下にすることはできない。 「⋯⋯大丈夫。悔いはないです」  懐かしの家にしばしの別れを告げ、それと反対向きに歩き出す。 ⋯⋯もしも、空の上で僕のことを見ていてくれるなら。お父さん、お母さん、見守っててね。魔法学校にはいけなったけど、僕は魔法使いとして一生懸命頑張るよ。  雲の隙間から、光線が数本の筋になって地面に伸びているのが綺麗だ。 「⋯⋯とりあえず、デヴァリニッジという街に向かおうと思う。そこで少しお金を稼いだら北の街、アルツフォークへ向かう」 「旅に出るって言っても、何が目的なんですか? 探し物⋯⋯でもなさそうですし」  そう尋ねると、彼は少しだけ沈黙を開けてつぶやいた。 「⋯⋯償い。⋯⋯いや、人助けだ。この世界には困っている人がたくさんいる。だから、手を差し伸べたいと思ってな」  その言葉に何か隠し事を感じたが、それには触れないことにした。でも、人助けがしたいだなんて、不思議な人だなぁ。  泉では来る冬に備えて葉を落としたり、根を伸ばす植物がいた。冬の支度をしているのだ。 「どうやら、ネスロは獣人と旅に出たらしい」  植物たちの間で噂話が広まるのは一瞬だ。森の中で小さなささやきがこだましている。 「少し、寂しくなるわね⋯⋯」  嫌な予感は的中するもので、彼は先天性魔力欠乏のようだった。それが分かってからも両親も彼も一生懸命頑張っていた。  そんな家族を襲った悲劇は、戦争だ。  今は収まっている戦争も、休戦状態というだけで完全に収束したわけではない。  その戦争でネスロの父親は魔法兵として戦いに狩り出され命を落とし、母親もネスロを一人で養うために体を壊してまで働き、数年の内に死去。とり残された少年は周囲からの無慈悲な言葉と態度を浴び、外界に対して心を閉ざしてしまった。  そんな彼が、誰かと一緒に旅に出る。  今までの彼ならありえないことで、それはとても喜ばしいことだけど、少し心にポッカリと穴が開いたようだった。 「なーに悲しそうにしてるのさ、私たちはこの大地に根を伸ばしてるんだから会いには行けないよ!」 「そ、それは分かっているけど⋯⋯」  この泉の植物は、いや⋯⋯。この森の植物は皆、あの家族が好きだ。  もしもこの森を、あの村を忘れていなかったら。その時は、昔みたいに戻ってきて欲しい。  戻ってきたら、たくさんたくさん褒めてあげたい。彼が受けるはずだった分まで。  寒気を含んだ風が吹く。  冬の足音はまだ遠くで鳴っている。  何時間歩いたのだろう。  雲はいつのまにか途切れ、柔らかな日差しが直接身体を照らす。森のように、木々が日光を守ってくれたりはしない。何もない原っぱをしばらく歩いていくと、道が伸びている。  確実に街には近づいているようだ。証拠にそこを歩いていると時たま馬車が通る。 「ねえ、馬車に乗せてもらいましょうよ。あれはお金を払えば連れて行ってくれるんですよね?」 「⋯⋯ない」 「え? ないって、何が⋯⋯」 「金だよ! 金が今無一文なんだよ!」 ——まさか、お金を持たずに冒険を始める人がいるとは思わなかった。今思えば、彼の持っている剣は大層高そうだ。 「⋯⋯まあ、剣は必要だから分かります。でも⋯⋯」 「なんでそんなに装飾が入った剣を買っちゃったんですか!」  そう、これはおそらく特注品の高価な剣だ。証拠に柄の部分に狼の彫刻が施されている。そして、名前も彫られていた。  それを咎めると、少しの沈黙の後に彼はゆっくりと口を開いた。 「いやぁ⋯⋯。剣と言ったらやっぱ冒険のお供だろ? ロマンが必要じゃねぇか⋯⋯」 「少しくらい残しておくでしょうよ! 本当に冒険する気あるのかな!」  そう言うと、思ったよりもションボリとされるので、強く言ったこちらが悪いように感じてきた。  少しの罪悪感が芽生える。 「ご、ごめんなさい⋯⋯。ちなみに、いくらしたんです? これは」 「⋯⋯七万タリス」  その金額を聞いてクラッとした。今すぐ剣を売り飛ばして馬車に乗りたいと思ったが生憎近くに質屋もないのでただ歩くことしかできない。重りのついたような足を引き摺りながらとぼとぼと歩いていると、不意に声をかけられる。 「⋯⋯ところで、今更だが」  指で頬をかきながら彼が呟く。その様子はどことなくよそよそしい。 「自己紹介、まだだったよな?」 「⋯⋯そういえば、お互い名前も知らないですね。僕はネスロミーツ・アレスターヌ。長いからネスロで大丈夫」 「俺は、ケルテート・フリクスミス。改めて、よろしく」  あまりにも遅すぎる自己紹介にふたりは苦笑する。街までの道のりは、まだまだ長い。ただ歩くだけでは気まずいので、互いに話題を手探りで探す。 「——そうそう、ケルさんはどうして剣士になったんですか?」 「ああ、結構昔の話なんだが⋯⋯」  重い口が開かれるのに、少し固唾を飲んだ。 ——ああ、今日もいつもと同じなのか。  同じくらいのペースでザクザクと荒々しい足音がすぐ背後から聞こえる。奴らはもっと速く走れるはずなのに、追いかけるときはわざと俺と同じくらいに走る。 「おい、ケル! 逃げてないでかかってこいよ!」  黄金の瞳に睨まれ、思わず体がすくみ上がる。その様子を見てニヤリと犬歯をこちらに向ける四匹は今日も"遊び"を始めるようだ。  腹部に鈍い痛みが走る。トレーニングという名目でただの暴力が加えられるのはいつものことだ。 「か、体が小さいからってこんなことするのは狼としての気品が足りないんじゃないのか!」  腹部を抑えつつ絞り出すように出した声は意味を持たず、地面に叩きつけられる。 「あー? お前がなんの役にも立たない穀潰しだから俺らが鍛えてやってんだろ? 理解できてねぇのか?」  腕が震える。 ⋯⋯自分でも、周りの人よりも体が小柄で簡単な仕事もままならないことは知っている。  狼獣人は、群を形成して各地を転々と移り住む。なので仕事ができないものは群の負担になるので虐げられる。  そんなことは分かっているのに強くなれない自分が惨めで、嫌いになって、我慢していたのに視界が溶ける。 「おい! こいつ泣き出したぞ! 悔しかったらやり返せよ!」  助けを呼んだところでここは大人たちから離れた場所。それに森の奥深くだ。木々が音を遮って、届くことはないだろう。けれども、叫ばずにはいられなかった。  ⋯⋯目を開けると泉のある開けた土地にいた。  近くにいたのは自分よりも弱そうな人間。ほぼ黒に近いような髪は角度によってぼんやりと茶色い光を帯びる。特徴的な三角帽子は魔法使いであるのだろう。体も小さく、脆そうなのにも関わらずあいつら四人から逃げきれたと言うことに驚きを隠せずにはいられなかった。  そのあとはサンドイッチをもらったり、人間のいろいろな話を聞いたり、自分たちの話をして、それだけで別れた。  優しかった小さな魔法使いの言葉を胸に刻み、自分自身を守るために身体を鍛え始め、その努力が実り今では剣士として生活を始めることになった。 ⋯⋯当の本人は、覚えてないだろうが。 「——まあ、こんな感じだな。俺らは定住しないから勉強をする暇もない。となると群れで自給自足をするか剣士として便利屋になるかしかないんだ。もっとも、あんな群れでずっと暮らすなんてしたくなかったから自立しているわけだが」  涼しい風を浴びていると、ふと我に帰る。 ⋯⋯どうしよう。自分から尋ねておいて途中から話を聞いていなかった。と、いうか。なぜか忘れたい記憶を思い出して逃避してしまったのだ。  どうしても無限に広がる平原に無意識に心を奪われてしまう。閉塞感のない、どこまでもいけるような平原に。 「そ、そうだったんですね! へ、へぇ」  取ってつけた様な返答をして、再び前を向く。 ⋯⋯街への道のりはまだまだ長そうだ。僕たちは歩みを止めることなく歩き続けた。
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