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第七話「差別の渦」
「やっと着いた⋯⋯」
街には沢山の人がいることは知っていたが、まさかここまで多いとは思わなかった。行き交う人の人数が村の比ではない。どこかしら歩けば人と会うほどだ。
レンガと木材で作られた家は壁のように連なっていて、道は全て石造り。村みたいにぬかるんだりしなさそうで、歩きやすい。
街路樹がバランスよく植えられていたり、花壇には季節の花が各々の顔を出して咲き誇っている様子は街並みと見事に調和している。
街の中心から目を離せば、畑が延々と広がっている。それはそれで長閑な素晴らしい風景だと感じた。
——デヴァリニッジ。緑と石造りが美しいのどかな街ということは風の噂で聞いていたが、想像よりもずっと都会的だ。
「僕は初めてデヴァリニッジ。いえ、街に来たのですが、こんなところなんですね! パン屋が五軒も⋯⋯」
フロールリ村にパン屋は一軒しかなかったので沢山のパン屋が並んでいるのをみるのは圧巻だ。是非ともお気に入りのパンを見つけたいと思った。
朝のパンが焼けるこんがりとした香りも五倍ということだ。朝はその香りとともに起きる。とても素敵だ。
「これなら毎日パンでも飽きなさそうです。デヴァリニッジって素敵なところですね!」
見上げると、彼の顔はローブで隠れてほとんど見えない。マズルがはみ出ていることで獣人であることがようやく分かる。
「⋯⋯素敵か? それは、よかったな」
明らかにさっきよりもトーンが低い。顔を見てみると忙しなく周りを見ている。何かを気にしている様だった。
視線だけを動かして周りを見渡してみても、こちらを少しだけ見つめる人が多いものの、特におかしな様子はなかった。
見慣れない人がいるからだろうか。そう思っていた時。
——後ろから異様な視線を感じた。
そっと振り返ると皆僕ではなく彼を見ている。いい感情を向けられているわけではないことは空気感で伝わる。
それはこの街へ入る時には感じなかったものだった。
見渡してみると、看板には「獣人入店禁止」の文字が至る所に見られる。本の中で見たことのあるだけの印象よりも現実は冷徹な偏見の刃を首に当てているようだった。チクリとした本物の差別というものを僕は肌で感じた。慌ててさっきまで抱いていた感想を改める。
「ご、ごめんなさい⋯⋯。一人で舞い上がっちゃって」
「いや、お前がいるからいつもよりマシだ。何もしてないのにぶん殴られるなんて日常茶飯事だからな。水をかけられることもない。小さい子供がいるから手を出そうにも出せないんだろ」
なるほど、僕がいることは彼にとって都合が良いようだ。魔法に固執しなかった理由はこれなのかもしれない。
「お前が一応魔法使いの格好をしているからパーティと思われているんだろ。⋯⋯そうか、それなら今日は屋根の下でゆっくり寝れそうだぞ」
何かを思い出したかのように指差す先にあるのは「獣人奴隷の宿泊可」と書かれた看板。なんだか表現がむず痒い。
「え、奴隷って⋯⋯。ここはダメだよ。他のところを探そう」
足を止めるものの手を引かれてその宿に近づいて行く。抵抗をしようにも僕にはそれをするほどの力を持ち合わせてはいなかった。
「いつもは野宿してるんだから宿で泊まれるならありがたいもんだ。宿泊料も安いしここで泊まるぞ」
数枚の硬貨を手渡されて前に立たされる。ほんの少しまで彼らに対して偏見を抱いていた僕が言える立場ではないかもしれないが、この街の獣人に対する扱いは酷すぎるのではないだろうか。
中は寂れた宿で、人相の悪い男が待っていて⋯⋯。そんな想像を心に思い浮かべながら木でできたドアを開ける。しかし、中はそれなりに綺麗だ。キチンと整えられたカウンター。壁には可愛らしいスワッグが吊るされていて、香りもいい。イメージ的にボロボロの宿を想像していたがそんなことはなくて安心した。
カウンターには誰もいないのでカウンターに置いてあったチャイムを振り鳴らす。しばらくするとギシギシと木の音が聞こえてきて猫の獣人と男が来た。
「い、い、いらっしゃいませ魔法使い様⋯⋯! 本日はこちらの、の⋯⋯」
震えている。そんな彼女を後ろの男は冷たい目で睨んでいる。冷たい視線とともに、こちらを一目見ると少しまぶたが上に動いた気がした。
「⋯⋯おい、何やってるんだ! お客さまを待たせるんじゃない!」
しばらくの空白の後カウンターに鞭が音を立てて叩きつけられる。酷く大きな音が宿の中に響く。正直な話目を背けたい。
「お前はダメだ、引っ込んでろ!⋯⋯すみません小さな可愛らしい魔法使い様。あいつは働き始めたばかりで⋯⋯。あとで罰を与えておくのでお許しください」
彼女を後ろに下げると、先程とは打って変わってとても親切に対応してくれた。この差はどうして生まれてしまうのだろう。
「いや⋯⋯。別に罰は与えなくて大丈夫なのですが。あの、すみません、ここに泊まりたいのですが空き部屋はありますか?」
「もちろんございますとも! なんせ獣人がいる宿なんてパーティの関係で宿がない人しか泊まりませんからね。いやはや、獣人に困らせられているもの同士これからもご贔屓に!」
手を握られる。接客をしてくれていた彼女はどこか不安げにウロウロと周りを見渡していた。
「ところでそちらの⋯⋯奴隷、はどうしましょう?こちらの宿は奴隷専用の部屋をご用意しておりますのでご安心ください!」
どうしようかと思い後ろを見てみる。「決して奴隷ではない」と反論するべきだろうか?
しかし、僕が何か行動を起こす前にケルは小さな声で呟いた。
「ネスロ様、大丈夫です。部屋をご用意させていただけて嬉しく思っております」
唐突の敬語が不気味に感じるとともに驚く。しかし「話を合わせろ」と言うようなアイコンタクトを送ってきたので深入りするのはやめた。手持ちもない子供がどうこう言ったってこの街の長年染み付いた扱いはすぐには変えられないだろう。下手に波風を立てるのは愚策だと僕も感じた。
目を伏せつつうなずいた。
「おお、しっかりと教育なされてるのですね! いやはや、私の奴隷も教育して欲しいくらいです。それでは、別の部屋を手配するので——」
「あの⋯⋯! 私の部屋に連れて行くことってできませんか?」
ただし、自分だけ別の部屋に泊まるのは気が引ける。相部屋にしてもらうことはできないだろうか。
沈黙が流れる。おそらくここにいる全員僕がそんなことを言うとは思ってもいなかったのだろう。
主人は少し額を下げて申し訳なさそうに言った。
「すみません⋯⋯。お客様のご要望にお応えしたいのですがやはり部屋に抜け毛が落ちます。ですのでお客様が奴隷専用の部屋に泊まる形になってしまいます。あそこはあなたが泊まるには悪い所ですよ。暗いし、寒いしで⋯⋯」
「そ、それで大丈夫です! お願いします。」
時が止まったようにさらに深い沈黙が続く。谷底に落ちていくような浮遊感。心臓の音が聞こえそうだ。
主人は驚いたような顔で放心したのち、すぐに声をあげた。
「し、承知しました。ほら、お客様に失礼のないように招待しろ!」
「は、はい!」
震えている彼女に先導させるのも申し訳ないが、案内してもらおう。
暗く、ジメジメとした階段を降りる。一段、また一段と降りていくたびに地上から離れていることを感じさせられる。これじゃあまるで隔離されているようだ。
「おい、大丈夫なのか? 今なら部屋を変えてもらえるぞ」
心配そうにケルが尋ねる。でも、僕は変える気はなかった。ケルに申し訳ないというのと、差別の対象となっているこの現状を少しでも変えたいと思ったからだ。
獣人と人間はお互いを知らなさすぎる。それが軋轢を生み出しているのではないかと思ったのだ。
「大丈夫ですよ。一人で寝ようにもどうせ罪悪感で眠れないでしょうし⋯⋯」
カツン、コツンと歩くたび冷たく無機質な音がする。部屋はまだまだ下にあるようだ。
静かな階段を響く足音がなんとももどかしく、つい猫の獣人に声をかけてしまう。
「あの⋯⋯。お部屋って結構下にあります?」
話のネタもなく、ちょっと足が疲れてきたので前を歩く彼女に少し話しかけると慌てた様子で頭を下げた。
「す、すみません! 私何か粗相を⋯⋯」
どうしよう、この調子だとコミュニケーションが全く取れない。彼女はウロウロと落ち着かない様子で、僕ももちろん気の利いた一言も言えず⋯⋯。互いに戸惑っているとそんな僕を見かねたのかケルが彼女の前に出て冷淡に言い放つ。
「おいお前、流石にずっとその調子だと疲れる。コイツは他のやつみたいに虐げたりしない。そもそも俺はコイツの奴隷じゃないからな。そんなひどい奴じゃない」
「ちょっと! ずっとひどい扱い受けてたみたいなんだから仕方ないでしょ!」
獣人差別は村でもあったがそもそも彼らと会う機会がなかったのでここまでひどいものとは思わなかった。
本にそのことが載っていて、なんとなく知っている程度だったが、実際に蔓延っているのをみるとあんまりだと思う。
『獣人は無残で、残忍で、暴力的で、汚らわしい。人々は遥か昔奴らによって仲間をたくさん喰われてしまった。主食が人間のおぞましい化け物だ。しかし人間は呪いや魔法を用いて奴らの脅威から自衛することが可能になったのだ』
そんなこと、微塵もあっていない。少なくともケルは暴力的じゃないし、優しい。人間がたくさん喰われていたというのなら、どうして今は食べられないのだろうか。いや、これはおそらく本当に獣人達に人間が食べられていたわけではないと思う。あくまで予想の域を出ないが、捏造や改竄が行われたのだろう。
もしも、食べられていたことが事実なら今主食とされている人間を食べていない彼らは絶滅しているはずだ。
「お、お部屋はもう少し先にございます。お部屋の変更をご希望する場合は私にお申し付けください!」
かなり怯えている。今日のところは声をかけるのはやめておこうと思った。
しばらく階段を降りると⋯⋯。正確にはそこまでの距離ではないのだろうが、ひどく長く感じたのだ。
階段の先には大きな扉があった。
「こちらがお部屋になります。お食事はこちらにお持ちしますのでごゆっくり⋯⋯」
無機質な鉄の扉が僕たちの前に立ち塞がっている。薄暗い廊下を流れる空気に息苦しさを感じた。
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