第八話「自己中心的思想」

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第八話「自己中心的思想」

 重い扉が鈍い音を立てて少しずつ動き出す。薄暗い扉の先を恐る恐るのぞいてみるとそこにあったのは一つの大きな部屋だった。  そう、個室が用意されているわけではなく、大きな部屋に雑魚寝の形をとっている様だ。  もちろん客は僕たちだけではないわけで、一気に沢山の視線が突き刺さる。それは決して好意的とは言えず、僕に向けられていたのは怯えと、恐怖の瞳だった。  彼らから目を離すことができず、少し片言になりながらケルに尋ねる。 「ケルさん⋯⋯。もしかして、僕が居ない方が皆さん休めたりします?」 「そ、そうかもしれないが。お前が気にすることじゃない。だから、気にするな」  まさか一つの部屋に投げ込まれているとは思いもしなかった。想像との乖離に言葉が詰まる。それはケルも同じようで心なしか動転しているように見える。 「あ、案内してくれてありがとう! お疲れ様。」  静かに去ろうとする彼女にお礼を言う。彼女は軽く会釈をして部屋を出て行った。  扉が音を立てて閉じる。僕は、とりあえず彼らに会釈と笑みを向けたものの、部屋を流れる空気に変化はなかった。 「に、に、人間様がこんな部屋に⋯⋯」  一人の声と同時に一斉に頭を下げられる。なんと言うか、すごく不気味だ⋯⋯。異様な光景は時に気味悪く感じるのだと知った。 「い、いや! 皆さん頭を上げてください! それより⋯⋯私は気にしないで大丈夫ですから! ゆっくりお話でもしましょう!」  この調子では逆に疲れてしまいそうだ。これからもこのようなことが起きるのかと思うと辛い。  中央に並べられている机と椅子によそよそしく座る。あちこちから向けられる視線が気になってしまって落ち着かない。  もちろん、彼らにしてみればもっと落ち着かないのだろうが⋯⋯。 ——意を決して、口を開く。 「あの、皆さんはどんな食べ物が好きとかありますか?」  その静けさをどうにか破りたくて、話題を投げかけてみるものの誰も答えることがない。そうなると必然的に話を振った僕が話をすることになる。 「⋯⋯えー、僕はマスカレートパイが好きですね。甘酸っぱさのバランスが絶妙なんで——」  ダンッと大きな音が鳴る。音を立てた主はケルよりも大きな身体の虎の獣人だった。無言で、そして真顔でこちらに近づいてくる。  壁のようなその姿。明らかに人間よりも強靭であろう生物であるのにどうして蔑まれているのだろう。 「我々は、人とは話せませんので」  感情のない、無気力で気迫のない声。彼の今までの過去をどこか感じ取ることができた。ひどい扱いを受けていたのかもしれない。傷をつけられたのかもしれない。 「⋯⋯あっ、ごめんなさい」  普段は話せないというのは真実だろう。しかし、僕が話す許可を出している状態であるのにこの様なことを言うということは僕と会話をしたくないと暗に言っているのだろうと理解できた。  再び彼は先ほどまで座っていた場所に座り込む。椅子に座っているのは僕とケルだけ。他の人は皆地べたに座っていた。  しばらく呆然と座っていたところ、ケルが心配そうに肩を叩いてきた。 「⋯⋯普通奴隷は人間とは話せないからな。ほら、気にすんなよ」 「⋯⋯はい、分かりました」  それ以降僕がこの部屋の中で口を開くことはほとんどなかった。それは、他の人も同様で、物音一つすらたたないほどだった。  運ばれてきた食事をとり、僕がシャワーを浴びるまで結局静まり返った部屋は僕の精神的に疲労を生み出していた。  食事は皆同じもののようだが、味が感じられなかった。正確に言うと美味しかったのだが、周りを気にしすぎてしまって食べることに集中できなかったのだ。  シャワーを浴びてリラックスでもしようと思い部屋を出ると、息苦しさが緩和された気がした。  魔法桶を引き、頭にお湯をかぶる。シャワーもきれいに掃除が行き届いていて、使っていてとても心地よかった。  冬も近づいてきて寒さが日に日に増している。そんな中温かいシャワーを浴びることができるのはとてもありがたかった。  一階のシャワーを浴びて帰ってくる途中、 長い階段を降りて部屋の前に着いた時に微かながら声が聞こえた。どうやら彼らは話をしているようだ。盗み聞きなんて悪いことかもしれないが、僕について何か話している可能性がある。  もしかしたら、それが彼らと仲良くなれる第一歩となるかもしれない。そう考えて、息を潜めることにした。 「はあ⋯⋯折角ゆっくりできると思ったのによぉ。これじゃあ寝ることすらままならねぇぜ」 「なんでこの部屋に来たんだ? まさか、嫌がらせで⋯⋯」  心臓の音が大きくなる。額から汗がじんわりと染み出してきて、肺を潰されている感覚がした。  気づかれないように、息を止めて静かに扉の前に近寄る。 「そんなところだろ。まったく、嫌なやつだぜ、人間っていうのはよ」 「バカ! 聞こえたらどうするんだ。そしたら⋯⋯首はねられるぞ!」 「シャワー浴びに行って戻ってくると思うか? やっぱり獣人と一緒は無理とか言ってピーピー言いながら上の柔らかいベッドでぐっすりしてるんじゃないか? そっちの方がありがたいけどよ!」 ⋯⋯話が終わるまで部屋に入らないでおこう。そもそもこの部屋を選んだことだって僕が彼らに承諾なく勝手に決めたことなのだから。  足が疲れたので石の階段に座ってみる。腰あたりに冷たさがジンと伝わった。  獣人であるケルに出会って、僕の彼らに対する考え方は大きく変わった様に思う。村で言われていた様な乱暴さ、凶暴さは微塵も見られず、むしろこんな僕を受け入れてくれている。 ⋯⋯しかし、彼らにとって僕はただの嫌悪すべき人間であるのだ。  その事実を知り潤む瞳を擦った。 ——ネスロが帰ってこない。人間用のシャワーを浴びに行ってからかなり経っている。 「なあ、あの人間帰ってこねぇな。やっぱ人間の部屋に変えたんじゃねぇか?」  一人の狼獣人に声をかけられる。密かに持ち込んでいた酒を飲んでいるようで酒の匂いが部屋の中に充満していた。匂いだけで酔ってしまいそうだ。 「いや、そんなことはないと思うが⋯⋯」 「ま、俺たちとしてはいない方がいいけどよ⋯⋯。ったく、あのガキにも頭下げないといけねえのが腹立つぜ⋯⋯」  グビグビと浴びるように飲むので心配になる。そもそも酒を宿に持ち込めるのだろうか。獣人が入れる店は限られているはずだが⋯⋯。 「そんなに飲んで大丈夫か? というか、そんな量の酒どうやって手に入れたんだ⋯⋯」 「へへへ⋯⋯。主の売り物からこっそりくすねてきたんだよ。ささやかな仕返しってこった」  ほーら飲め飲め! と彼は次々に他の人にも酒を飲ませている。これを見せるのはネスロの教育上良くなさそうだ。 「ほら、兄ちゃん多分十五ぐらいだろ? 獣人だから酒は飲めるじゃねえか。⋯⋯遠慮すんなって! あのガキが来るまでの宴だ宴!」  数人に後ろから捕らえられ瓶を口に突っ込まれる。酒にはまあまあ強いがこの量はひどいだろう。  呼吸ができないので口に流れ込んでくる酒をなんとかして飲むと、次第に酔いが回ってきて陽気な気分になってきた。 「おーいいぞいいぞ! やるなぁ兄ちゃん!」  やんややんやと囃し立てる声。最初はうるさかったものの、だんだんと心地のいいものになるのも時間の問題だった。  しばらく酒を浴びるように飲んだのち、部屋は突然静かになった。皆眠ってしまったのだろう。酒の瓶が地面に沢山散らばっていて危ない。 「⋯⋯そういゃ、レスロは⋯⋯」  グラグラと揺れ動く視界は役に立たない。匂いで探してみても、まだこの部屋にはいないようだった。 「⋯⋯まぁ、帰ってくっかぁ」  自分ももう眠ろうと思った時だった。突然身体が火照ってきた。あったかいと言うより暑い。目はすっかりと冴えて、今ならなんでもできてしまうようだった。  それと同時に訪れるのがとてつもない空腹感。何かを食べたい、肉がいい。なんの肉? この世で美味しい肉⋯⋯。 ⋯⋯ネス⋯⋯ロ。って、なんだ?  どうでもいい。ただ今は肉を貪り食いたい。どうするか、今から探しにいくか。ドアに手をかけた時だった。 「⋯⋯あ、近くに居るな」  狩りは、追いかけるよりもあちら側から来た方が成功率は高いだろう。静かに、息を潜めて獲物が来るのを待とう。  部屋の蝋燭を全て吹き消した。
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