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悪いことは、言いませんから。
2.
四条夏雨の死んだ日のことを、私はよく覚えていない。
ショックのあまりに記憶があいまいになることはよくあるそうだ、としばらく親に通わされたカウンセリングで何度も念押しをされた。
夏の日のこと。
濃い露の匂いが立ち込める夕暮れだった。
夏雨は、輝くような笑顔で「撮影に行く」と告げて家を出た。
明け方に帰るから母さんには内緒ね、と言われた。私は夏雨の背中を見送った。
快方に向かっているとはいえ、彼女の心臓は特別製だ。ほかの人間よりもうんと美しくて、うんと脆くて止まりやすかった。だから、両親に言えばきっと夏雨が深夜に外出するなんてこと許さなかったに違いない。
私の記憶は、そこから先があいまいだ。
夕霧のかかったように、鮮明なものがなにもない。
たったひとつだけ確かなことは、夏雨はもう帰ってこないということだけだった。
◆◆◆
葛城陽菜の自宅兼オフィスは、都心のビルの一室にある。
築浅のタワーマンションというわけではないけれど、オートロック付き。貸し会議室として使われたりもしている。家賃はたぶん高い。知らんけど。
「おはようございます!」
「……どうも」
呼び鈴を鳴らすと明らかに硬い表情をした葛城が出迎えてくれた。
黒のタンクトップにホットパンツ。すらりとした手足は白く輝いている……というか白すぎる。不健康なまでに。
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