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けれども、そのなかにひと欠片。彼女の才能に降り注ぐはずの名声に憧れる気持ち――それがなかったといえば嘘になる。四条夏雨の作品を、自分の名前で世の中に発表する。その行為のおぞましい魅力に逆らうことは難しかった……しかも、『あんな大義名分』があったとしたら、特に。
四条夏雨の作る映像は、コンマ一秒の編集まで完璧な、懐かしくて見たこともない素晴らしい作品だった。四条夏雨は、天才だ。彼女の作品を見た者は誰でもそう言うだろう。内輪の映画サークルのお遊びで終わらせていい才能ではなかった。
そんな言い訳をつけてアップした映像は、葛城のコントロールをはるかに超えて有名になり、作者としてクレジットしていた「葛城陽菜」をスターダムにのしあげた。その「葛城陽菜」という存在が自分のことだとは、どうしても思えなかった。けれど、もう引き返せない。引き返さない。
許されないことだということは分かっている。
けれども、一番強く思ったのは「ざまぁみろ」という感情だった。
四条夏雨は、やっぱり天才だった。それが証明されたのだ、と。
――たしかに四条夏雨のことを愛していた。
いや、今でも愛している。ある意味では。
彼女の才能を、愛しているのだ。
4.
映画は私にとって――大好きな亡き姉、四条夏雨との大切な思い出だ。
病室と自宅とを行き来する人生だった夏雨は、映画が好きだった。
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