1245人が本棚に入れています
本棚に追加
「どうぞ、入ってくださいっ」
私が言うと同時に、ドアが内側に開く。
いつもの穏やかな表情とは違う、心配の色を浮かべた綾人さんが部屋へと入ってきた。
「梅ちゃん、大丈夫?」
私にかけより、優しく肩を掴む。まるで、伊藤さんのことなんて見えていないようだった。
「私は大丈夫です。すいません、急に呼び立てて」
「大丈夫、今日はちょとやり残した仕事してただけだったから」
スーツ姿の彼を見て、申し訳なさが込み上げてくる。だけどもう、綾人さんに余計な心配をかけたくないからと心の内を隠すことは、やめたから。
「…梅子さん」
「私が連絡しました。一人では、不安だったので」
伊藤さんは、残念だとでも言いたげに溜息を吐いた。
「伊原さんがいると、話し合いにならないわ。どうしていつもこの人を頼るの?」
「綾人さんは、私のとても大切な人だから。心から信頼できるんです」
「心から、ねぇ」
綾人さんは私の隣に腰掛けると、一度私の方に視線を向けて表情を和らげる。
それからまたすぐに、今度は厳しい瞳で伊藤さんを見据えた。
「一体どういうつもりでここへ?迷惑だと分からなかったんですか?」
「もう、梅子さんには伝えてあるの。伊原さんに言う必要はありません」
「伊藤さんは私と暮らしたい、と…」
「な…っ」
綾人さんは信じられない、という表情を浮かべる。テーブルの下で、彼がグッと固く拳を握り締めるのが見えた。
「あれだけのことをしておいて、よくそんな…」
「私は、梅子さんと話がしたいの。伊原さんと話す気はありません。彼女もいつかきっと、私の本当の気持ちに気が付いてくれる」
「本当の気持ち?分かるはずありません。人を陥れようとするような人間のことなんか」
「何不自由なく生きてきた伊原さんには分からないと思います。貴方は、私達とは違う」
「私達?梅ちゃんと貴女だって違う」
「違わないわ、私達は同じよ。死んだ方がマシだと思えるほどの苦しみは、味わったものにしか分からない」
「それは、児童養護施設時代のことをおっしゃっているんですか?それとも、里親のこと?」
綾人さんの言葉に、能面のようだった伊藤さんの表情が微かに変わった。
最初のコメントを投稿しよう!