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伊藤さんは唇を真一文字に結んで、パッと俯く。しばらくして顔を上げた時には、いつもの穏やかな表情に戻っていた。
「お互い境遇に恵まれなかったもの同士、これからは理解し合って生きていきましょう?」
「…」
違う。微笑みを浮かべて私を見つめるこの人は、本当の「伊藤菫」ではない。
伊藤さんが心を隠したままでは、私達は永遠に理解し合えない。
今の伊藤さんは、ただ私を利用しようとしているだけ。ハッキリとした真意はまだ分からないけれど、信頼からくるものではないことだけは明らかだった。
彼女が私に執着している理由はたった一つ。
私が、虐待されていた憐れな人間だから。
ただ、それだけだ。
「本音を、見せてください」
「…何?」
「伊藤さんのその笑顔は偽物です。本当は笑いたくないのに、無理して笑っているような気がします」
「何が言いたいのかしら」
「そのままでは、私達が本音でぶつかることはできないと思うから。だから私は、伊藤さんの本当の気持ちが知りたいです」
「…」
「私は…」
「私に嵌められたくせに、随分とお優しい心をお持ちなのね梅子さんは」
もう、先程の揺れた瞳を見せることはない。伊藤さんは柔和な口調で、そんな嫌味を口にした。
「本音を見せ合うことに価値を見出せないわ、私は。梅子さんはきっと私を裏切らないだろうから、だから一緒にいたいだけよ。それに、私達は姉妹なんだから本来共に過ごすはずだった時間を、取り戻したいの」
「…」
先程の口ぶりからすれば、これも本音ではないだろう。私だって、姉妹云々の前に伊藤さんからされたことはまだ許せない。
だけどなぜだろう。その表現を少しだけ、嬉しいと感じてしまった。
ただ、私を丸め込めたいだけの方便。間に受ける私は、世間を知らない愚か者なのかもしれないけれど。
この人の取り繕った笑顔と言葉の中には、もしかしたら本当の部分も混ざっているのかもしれない。
されたことだけに腹を立てて、全てを嘘だと決めつけることが本当に正しい道に繋がるのだろうか。
まだ自分自身、伊藤さんとの決着をどう着けるか決めきれてはいないけれど。
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