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「私は、伊藤さんとは一緒に暮らしません。私には大切な家族がいるんです」
「貴女にとってはそうでも、向こうにとっては違うんじゃない?梅子さんが出ていったところで、時期に忘れるわ」
「そんなことはないです。私にとって蓮見家の人達が大切なのと同じように、蓮見の人達も私をそう思ってくれています」
「どうして、それが分かるの?」
「側にいれば分かります」
「分かった気になっているだけでしょう?」
「いいんです、それでも」
私があの家に引き取られてから今までずっと、線を引いていたのは私だ。
優一おじさんも栞おばさんも善君も、普通ではない私に普通に接してくれた。
気付けなかった。それがどれだけ、凄いことなのか。過去に囚われて、今が見えなかった。
それに気付かせてくれたのは、綾人さんであり職場の人達であり。
そして、一条さんや同級生の人達、伊藤さん。
私に好意的でなかった人達に、気付かされたこともある。
傷付けられて、怖くなる。傷付く前に、バリアを張って。その痛みを知っているから、また繰り返すかもしれないと臆病になって。
だけど、そうではなくて。
傷付くことは、これから先もきっとなくならないけれど。
傷付けられたその先、自分がどうするのか。
その選択は、自分自身で決められるから。
傷付かないことを選ぶのではなく、傷付いたその後自分がどうしたいのか。その気持ちを、大切にしたい。
「私、分かったんです」
幾ら口撃をしかけても私が怯えないことに、伊藤さんは少し驚いている様子だった。
「例え傷付けられても、いいんです。とても辛いし、立ち直るには時間がかかるかもしれないけれど。私自身がその人を心から信頼していたなら、その気持ちはなくならないから。だから、それだけで私の心は報われます」
「…貴女は、何を言っているの?」
「綺麗事かもしれない、実際に裏切られた後もこんな風には言えないかもしれない。だけどこれが、今の私が出した答えです」
「バカじゃないの?傷付いてもいいなんてそんな…そんなことあるはずがないわ」
「私は、物心ついた頃からずっと両親に虐げられて生きてきました。頭の中も心の中も、いつも恐怖でいっぱいでした。どうして、私がこんな目に遭うんだろう。そう思って抵抗すれば、更に地獄を見ることになって。だから私は、期待することをやめたんです。そうしなければ、生きてはいけなかったから」
「そうよね?貴女は地獄にいて、その辛さを知ってる。普通の人には、それは理解できないわ。同じ気持ちを味わった人にしか」
「理解なんて必要ありません」
「…は?」
「私は、私の中に生まれたその人を信じたいという感情を大切にします。その先のことは、考えません」
「…」
「結果として相手から同じ感情を返してもらえなかったとしても、いいんです。そのことにようやく気付けた」
きっと今、伊藤さんにとって残酷なことを私は口にしている。
伊藤さんと私は、ちっとも似ていない。
きっと、逆だ。
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