1242人が本棚に入れています
本棚に追加
伊藤さんは、私とは違う。
彼女は私のように、初めから絶望の世界にいたわけではないはずだから。
「この間、伊藤さんが生活していた施設を訪ねました」
一瞬、彼女の頬がピクリと反応した。
「そう」
「そこで、伊藤さんのことを覚えていた職員の女性に、これを見せてもらったんです」
カバンから、透明のファイルを取り出す。その中には、写真と手紙が挟んであった。
どちらも、年数の経過を感じさせるものだ。
写真には、十数人の子供と数人の職員が写っていて。皆、とても幸せそうに笑っていた。
「この女の子は、伊藤さんですよね?」
写真の中央で、誰よりも楽しそうに目を細めているのは。
紛れもなく、幼い頃の伊藤さんだった。
「私には、この笑顔が作られたものだとは思えません。その女性職員の方も、伊藤さんは明るくて笑顔の絶えない、優しい女の子だったと難度も口にしていました」
「…こんな写真、残っていたのね」
伊藤さんは虚な表情で、それをジッと見つめている。そしてファイルの上から指でそっと、写真をなぞった。
「伊藤さんが、その職員の方宛に買いたという手紙も、貸していただきました。とても大切なものだから必ず返してくださいとしきりに仰っていました」
薄紫の、小さな便箋。端の方に菫の花が一輪、描かれている。
「伊藤さんがいかに施設の人達が大好きか、その思いの丈が書かれているそうです。私は中身を、見ていませんが」
「…覚えていないわ、そんなもの。人違いじゃないかしら」
「その方は、伊藤さんに謝罪していました。自分が貴女の小さな異変も見逃さなかったら、傷付けなくて済んだのにと」
「嘘よ!」
瞬間、伊藤さんが声を荒げる。彼女らしくない表情で、私を睨みつけた。
「そんなの嘘、絶対に気付いていたはずよ。気付いていて、見て見ぬ振りして私を生贄にしたの」
「そんな様子には見えませんでした。あの方は、貴女を思って泣いていました」
「白々しい!知らなかったなんて、通用するわけがないわ。だってそうでしょう?私をあの男の生贄にしたんだから。あの子達は全部知っていて、私を利用したのよ!!」
店の中だということも厭わず、伊藤さんは立ち上がる。
全身で、私の言葉を否定した。
雰囲気から伝わってくる。
彼女の怒りと憎しみ、そして哀しみが。
最初のコメントを投稿しよう!