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21.お菓子作り教室初日 3
調理と戦闘での火の精霊の力の使い方は異なる。調理の場合は火力の維持と微調整が必要となるし、火の精霊の炎だけよりは薪を使った方が火の精霊の力の消耗を抑えて効率的に熱を使うことができるのだが、薪の燃焼は意思で操る火の精霊のものとは違いこれもまた一言で言うと“慣れ”なのである。
「火の加減は中火でそれを維持してって…………ブランシュ! ブランシュ!」
「なんですの?」
「火、強すぎ!」
「え?」
窯の中ではブランシュの火の精霊が炎と一緒に踊っていてゴウゴウとすごい音がしている。薪は強い炎に巻かれ、黒焦げを通り越し、白くなったそれが赤々と光っていて、窯から吹き出る熱が顔に当たる。
「焼くんですわよね?」
「そうだよ。でも、最初は窯を温めるくらいでいいから弱めて!」
「えぇ?!」
少し不満そうな顔でブランシュは眉をしかめると窯の中の火の精霊が纏う焔が小さくなるが、まだ弱火と呼ぶには少々強い。
「ブランシュ。もう少し弱く」
「もう少し?! これよりも弱くしてどうするんですの?!」
信じられないと顔いっぱいに貼り付けて振り返ったブランシュに私は眉を寄せる。
「弱火で時間を掛けて焼くんだよ。そんなに火が強くちゃすぐに表面が真っ黒焦げになっちゃうよ」
「あら、そんな事でしたら私に任せていただけるかしら!」
自信たっぷりに胸を張るブランシュはふふん、と鼻歌のように鼻を鳴らすと窯の中を覗き込んだ。
「美味しい焼き色の付いたクッキーに仕上げて見せますわ!」
「え、あっ……!」
ブランシュが“真っ黒焦げ”というワードにだけ反応している事に気づいたが、私が声を掛けるより先に窯の中の火の精霊がまたも元気に動き回り始める。
(いや、ただ焼き目を付ければ良いってだけじゃないんだけど…………あぁっ!)
もはやキャンプファイヤー状態の窯の中なのだが、真剣な顔で窯の中のクッキー生地を見つめるブランシュの横顔に私は心の中で諦めのため息を吐いた。
窯壁を舐めるように蠢く焔がクッキーの表面をこんがり狐色にするのにそれほど時間が掛からず、ちょっと焦げすぎな部分もあるが見た目にはしっかり焼けたクッキーが出来上がる。
「わぁあ!」
「ふふん」
笑顔で喜びの声をあげるサーラと得意満面に顎を上げるブランシュの前に置かれた天板の上に並ぶクッキーは、本当に美味しそうに見える。
……見た目だけは。
「さっ、いただきましょう!」
「はい」
二人は焼きたて熱々のクッキーを各々一枚指で摘みあげると瞳を輝かせながらパクリと齧り付き、そして眉を寄せて表情を曇らせた。
「うっ……こ、これは……」
「な、なんですのっ!? これはっ!」
口を押さえる二人に私も一枚クッキーを手に取り、半分に割ってみる。案の定、表面はカリッと焼けているクッキーだが中はまだまだ生焼け状態。これを口に含んだら思い描いていた食感との見事な違和感で気持ち悪いことだろう。
「フェリックス様、これは?」
口元をモニョモニョと動かしながら不快そうな表情で尋ねてきたサーラに私は苦笑を浮かべた。
「生焼けだね。焼く時間が足りなかったんだよ」
「でもっ! こんなに表面は綺麗に焼けてますのよ?!」
「そうだね。表面はね」
眉を寄せ、不満そうな顔でグイッとクッキーを突き出すブランシュに私はどう説明したものかと唸りながら口を開いた。
「う〜ん……料理の焼くっていうのは火力よりも時間の方が重要なんだよね。強い火だと、表面はすぐに焼けるんだけど、中までは火が通らない。かと言って、強い火力のまま中まで火を通そうとすると真っ黒焦げになっちゃう……まぁ私がやってみせるから。ね」
と改めて残りのクッキーを天板に並べていくが、納得いかないという表情のブランシュは口を尖らせている。そんな彼女にどう声を掛けて良いのか分からずオロオロするサーラ。可愛い少女たちの様子に気づかれないように小さく笑いつつ、私は窯の中に天板を入れた。
薪を窯の中に入れ、私の火の精霊のエンちゃんを薪の上に乗せる。最初は弱火で薪に火をつけ、ゆっくりと窯の中を温めながら薪に付いた火が大きく強くなっていく様子を確かめる。
時々、薪をくべながら待つ間、二人を椅子に招き紅茶を淹れて手作りの木苺ジャムとスコーンを出すがブランシュは口にはするものの、ムスッと口を尖らせ黙ったまま。その様子にオロオロしながら努めて明るい声でスコーンと木苺ジャムの美味しさを褒めてくれるサーラ。私は仕方ないと特に気にせず、サーラに笑顔を向け手前味噌だが木苺ジャムとスコーンの出来の良さに舌鼓を打っていた。
そうこうしている内に漂う良い香りが厨房内を満たしていく。
「わぁ。とっても良い香り」
深く鼻から息を吸い込みながら顔を輝かせ言ったサーラに私はニッコリ微笑み、窯の中を覗き込んだ。良い感じに燃えている薪の上で寛いでいたエンちゃんが尻尾をふりながら見つめてくるのに、お疲れ様、と声をかけクッキーに目をやる。程よい焼き色の付いたクッキーが天板の上に並んでいた。
「なんでですの? なんでフェリックスは簡単に焼けて私にはできないんですの?!」
クッキーを前に唇を噛み締め、そのちょっときつめのアーモンドアイを潤ませ泣くのを堪えているブランシュに私とサーラは驚きで固まり、ただただ見つめていた。
「私はアウルム殿下の婚約者になるのよ。すべて完璧でなければならないのよっ……! なのに、こんな、こんな……クッキーすら焼けないなんて」
「ブランシュ…………」
普段はプライドの高さと居丈高な態度でいるため気づかないが、まだあどけなさの残る彼女なりに、王太子妃になる事に対する重圧や繊細な思い、努力が無い訳がないのだ。今まで、どれだけ努力してきたのか。それは私には分かるはずもないが、勝気で負けず嫌いのブランシュにとって、たかがクッキーひとつだったとしても完璧にこなさなければならない事なのだろう。
「大丈夫だよ、ブランシュ。まだ婚約式の日まで時間はあるよ。それまでいくらでも練習に付き合うから」
「そうですわ、ブランシュ様! がんばりましょう。私もお付き合い致します!」
「二人とも……ぐすっ」
辛うじて涙を溢してはいないが、鼻を啜ったブランシュは恥ずかしそうに顔を背けながら口をちょっと突き出してボソボソっと
「わ、私……クッキー程度で満足するつもりはありませんのよ?」
「うん」
「……スコーンやチーズケーキだって……」
「うん。作れるようになろう」
「アップルパイも美味しいジャムもですわよ?」
「ふふ……時間がいくらあっても足りないね。でも、きっと作れるようになるよ。大丈夫」
私の言葉に赤くなったブランシュの顰めた横顔が少し緩んだ。
「そ、そこまで言うんでしたら仕方ありませんわね! お二人の練習に付き合って差しあげてもよろしくってよ!」
いつもの勢いを取り戻し、こちらを見ずに胸を張って言ったブランシュの頬はまだ赤い。そんな彼女の様子に私とサーラは顔を見合わせ、そして笑い出した。
「あはははっ」
「うふふふ」
「ちょっ、ちょっとなんですの?!」
顔を真っ赤にして怒った顔で私たちに向かってそう言ったブランシュだが、自分の言ったことの滑稽さに気づいていない訳がない。睨みつけるような顔を作っていたブランシュだが、やがて私たちと一緒になって笑い出し、厨房内は笑い声と焼き立てクッキーの良い香りで満たされていた。
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