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同居生活の始まり
六つ年上の姉は、よく言えば行動力があって自由で器の大きな人だったが、悪く言えば少々無鉄砲で無責任でもあった。俺が中学生になったときに高校を卒業した姉は、両親の心配をよそにあっという間に家を出ていった。最初こそ連絡先を聞いてはいたものの、気が付けば姉の住んでいたはずのアパートには知らない住人がいて、あとはたまに一方的に連絡が来るくらいになった。さらに気が付けばそれさえもなくなって、しまいには両親も姉を心配することをやめてしまった。
姉より六つ下だった俺はそれほど姉と親しかったわけではなかったから、特に寂しいとも思わなかった。ただ両親が、学習机が残されただけの姉の部屋の前で時々ため息をついているのを見ては、自分は絶対にこの人たちに心配をかけまいと思った。
「詠史、久しぶり」
バイトから帰ったばかりの俺は、学校に行く前に一眠りしようとせんべい布団を引いたところだった。だから、本当のところ、朝早い来客を無視して出ないでおこうかとも思ったのだが、そこは運命、というやつなのかもしれない。
「元気だった?」
暖かそうなニットのロングカーディガンにデニムのスカートというさっぱりとした格好の姉は、ついこの間もここに来ていたような気軽さであいさつをした。
「なにして、今までどこに、母さんたちは」
突然の訪問にパニックになっている俺の質問には何一つ答えずに姉は後ろを向くと、「ほら」と誰かに呼びかけた。いったい何だというのかと思っていると、その誰かは俺が思っているよりもずっと低い位置にいた。
「これ、英太。あんたの甥っ子」
姉の腰ほどしかないその誰か―――子供は、姉の足にしがみついたままこちらを恐る恐るという風に見上げた。彼が人見知りをしているのは明らかなのに、姉が強く背中を押すから二人の大人の顔を見比べながら無理やりに俺の前に立った。
「じゃあ英太のことよろしく」
そのまま背を向けようとするから、俺は慌てて姉を引き留めた。
「ちょっと待ってよ、意味が分からないから説明しろよ」
見るからに不安そうなこの子供を置いていったいどこへ行こうというのか、いやな予感しかしなくて強引に姉の腕をつかんだ。
「あたし、これからいかなきゃいけないところがあるから。悪いんだけど英太のことしばらく預かって。用事が済んだらちゃんと迎えにくるから」
母親において行かれることを察したのか子供が泣き出す。小さな子供なんて相手にしたこともない俺は困り果てて子供の前にしゃがむ。その間に姉はするりと玄関を出て行った。
「ちょ、ちょっと待てって!」
一向に泣き止まない子供を宥めるけれど埒があかないと、ひとまず姉を追いかけて外に出た。階段を降りる間もなくアパートをぐるりと囲む塀からちょうど出ていく見慣れない軽自動車が見えた。慌てて階段を降りて塀の外まで出ていくけれど、もうとっくにその姿は見えなかった。
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