同居生活の始まり

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 とぼとぼと戻って部屋のドアを開ける。そこにはさっきまでと変わらず声もなくぽろぽろと涙をこぼす子供がいて俺は心底困った。 「正直こっちが泣きたいよ……」  とりあえず玄関にいても仕方がないと、俺は部屋に上がる。引っ越して1年ほどになるアパートは、玄関から歩いて3歩もすれば生活スペースについてしまう安普請で、ワンルームのユニットバス付き。ただし二階の一番奥に位置するこの部屋だけはキッチンが独立した割と広い作りになっていて、それが決め手になって俺はこのアパートに決めた。  冷蔵庫から冷えた牛乳を出すと、コップに注ぐ。ぐいっと飲み干してから、子供が付いてきていないことに気が付いて、キッチンから顔を出した。子供はまだ涙をこぼしたまま、寒々しい玄関に立ち尽くしていた。 「……ほら、そこにいても仕方ないから」  子供は涙を流したまま首をかしげている。その、木にとまった小鳥のようなしぐさを見ながら、折れそうに細い首でいったいどうやって頭を支えているのかと、俺は不思議に思った。 「えーと、……えいた?」  名前を呼ぶと、子供は驚いたような顔をした。その拍子に涙が止まる。それをまた不思議に思う。 「お腹すいてないか?」  子供はぽかんとした顔のまま、しばらく返事をしなかった。意味が通じていないのかと俺がもう一度口を開こうとしたとき、子供が小さく頷いた。それを確認してから冷蔵庫を開いて一瞥する。卵が三つ残っていた。 「じゃあオムレツにするか。あ、卵食べれるか?アレルギーとか、なんて言ったらいいんだろ……卵を食べてお腹痛くなったりとかしたことないか?体が痒くなったりとか。他の食べ物でも」  今度はすぐに首を振ったのを見て、コミュニケーションに問題はなさそうだと判断した。キッチンから出していた顔を戻して冷蔵庫から残っていた卵とチーズ、牛乳を取り出す。子供はまだ入ってきていなかったから、俺はもう一度玄関を覗いた。 「えいた」  呼んでも来ないからと手招きすると、またびっくりした顔をしてから慌てて靴を脱ぎ始める。その小さな背中に背負ったパンパンに膨らんだリュックサックはやっぱり小さかった。  恐る恐るというように部屋に上がってきた子供が傍までやって来る。すぐ隣に並ぶと本当に俺の腰ぐらいまでしかない。 「牛乳とかも大丈夫だよな?お母さんに食べたらダメって言われてないか?」  少し考えたのち首を振ったのを見て、俺は小さめのボウルに卵を2つ割った。そこに牛乳を適当に加える。それをさっと溶いてたっぷりのバターを溶かしたフライパンに流し込んだ。ほどよく固まり始めた卵の上に小さくちぎったチーズをのせる。それをくるむようにして卵を丸めていく。 「よっと」  フライパンを返すと、湯気の立ったオムレツが黄色い小山みたいにお皿に乗った。 「ケチャップはどうする?」  顔を覗き込むと細い肩をびくりと震わせる。いちいちこんなに驚いていて心臓は大丈夫だろうかと心配になる。小動物は大きな生き物よりも心拍数が多いんじゃなかったっけと関係ないことを考える。  子供が遠慮がちに頷いたのを見て、俺は冷蔵庫から取り出したケチャップでオムレツの上に魚を描いてやった。着ていた服が魚の絵だったからだ。  それを見た子供は、ここに来て初めてふわり、と笑った。 「とりあえず手を洗って」  言いかけたところで、隣に立つこの子供では水道に手が届かないことに気付く。一瞬考えてから、脇に手を入れて体を持ち上げてやった。またもやびっくりしている子供を促して手を洗わせる。その軽い体は柔らかくて熱かった。 「あっちの部屋行って食べてな」  子供はさっきよりはわかりやすい動作で頷くと、手渡した皿とスプーンを持ってなんとも危ない足どりでキッチンを出ていった。  俺は冷凍しておいたご飯を電子レンジに入れるとその間に自分用のオムレツを作る。卵は残り一つしかなくなったけれど、もともと食べるつもりもなかったからちょうどいいくらいだった。温めたご飯を二つに分けると、小さなオムレツの乗った皿とご飯、麦茶とコップを二つお盆に乗せてキッチンを出た。  突然の訪問者に片付ける間もなかったから敷いたままの布団のせいで、足の短いテーブルにオムレツの乗った皿を置いたまま隅の方で子供は待っていた。 「先食べていいって言ったろ?」  けれど子供は何も言わないでこちらを見るばかりで、布団を畳みながらやっぱり子供はよくわからないと思う。 「誰が来ても絶対にドアを開けちゃだめだからな?あと火は絶対に使わないように。それからテレビとかも見ていいし、眠くなったら布団で寝ていいから」  しつこいぐらいに繰り返すと、子供はこっくりと頷いた。寒くないようにエアコンを入れる。それでもまだ不安でしばらく子供の顔を見ていたけれど、これ以上は遅刻すると、後ろ髪を引かれながら部屋を出ると鍵を閉めた。 「いったいこれからどうしたらいいんだろ」  俺はひとり呟いてから、盛大にため息をつき、歩き出した。
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