暗主が名主に代わる時

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 暗主がいた。怠け者でどうしようもない王だった。教養も無く、政治事に興味も示さない、出来損ないの王だった。それに加えて、妾腹だった。  後継が他に居ないからと、仕方なく置かれたお飾りの王だった。  そんな王に使えるのが、この私だ。前王の慈悲により、母親も分からぬ私は王室に引き取られた。しかし前王から以外の私の評判はとても酷かった。周りの者曰く、穢れた王には穢れた者がお似合いだと囁かれている。  王は読み書きすらできない私に何もお求めにならない。  ただ唯一、時折、王の自室に呼ばれる夜がある。  こじんまりとした部屋に、物はほとんど無い。いつ拝見しても、生活感の感じられぬ部屋だった。  この部屋に呼ばれる時は、私の手には必ず王冠があった。決して派手ではないが、ずっしりとした重みのある、金色に輝くこの王冠は、私がいつもお預かりしている。言い方を変えれば、王の目に触れぬように隠してある。  今宵も部屋に呼ばれた私は、静かに椅子にお座りになられた王と対峙する。そして目を閉じたままの暗主に王冠を被せた。これは一種の儀式であると私は思っている。  「南の方が荒れる。東国が土地を求め兵を挙げれば、南国は敗北するだろう。第一の貿易国である南国が滅べば、たちまち我が国は立ち行かなくなる」 目を開いた名主は表情一つ変えず、そう言った。  次に、すぃ、と茶色がかった瞳が流れ、私を射抜く。 「我が裏で手を引く。それまでにお主の動ける範囲でいい、東国の監視を」 「是」 私が許される答は、それだけだった。  時間にして、半刻にも満たないこの会話の後、私は静かに名主の頭上に手を伸ばす。そして、ゆっくりと名主の頭上で輝く王冠を外した。  一度瞬きをした暗主は 「優れた王であろうとする度、どこか暗主であるこの俺を失っていくような気がするのだ」 と酷く疲れた顔で呟いた。  私は知っている。この王はとても賢く誰よりも民を案じているということを。お飾りの王などという言葉は似合わない、本物の王だということを。それを表に出す引き金が王冠だということを。そして名主になろうとする毎に、素の王を失ってしまうということを。気付いても、私は王冠を被せ続けなければならない。これが私の役目だから。  「では、なぜお止めにならないのでしょうか?」 私がそう尋ねると 「我は王ぞ、甘く見るな」 厳しい声で暗主は言い放った。その王は紛れもなく、名主の時と同じ顔をしていた。  しかし、ふっと息を吐いた暗主は一変した声音で 「なあ、もし俺が王冠を外しても『元に戻らなければ』、もう二度と王冠を外さず、そのままでいさせてくれないか」 と哀訴した。  頭の回らない私でさえ、自我を失ったならば失ったままでいさせろ、そう仰っているのだけは分かった。  私に許されているのは肯定の返事のみ。ならば 「必ず戻させていただきます。それも私の役目ですから」  私の役目は暗主が名主に変わる引き金を引くだけではない。この王を冷静で頭の切れる王に代え、元の政治事や争いを嫌う優しい王に戻すこと。その鍵となる王冠を操る役目を担っている。  それを聞いた暗主は 「なら約束だ。お主だけは、この暗主を赦してくれ。赦し受け入れ、お主と話す時のみは、俺に俺自身を忘れさせないでくれ」 そう縋る姿は見捨てられるのを恐れる子供のようだった。  「えぇ、約束です」 私が死ぬまでは、あなたを守る。この王冠を操ってみせる。  私は手にした王冠に力を込めながら、恭しく愛しき我が王に頭を垂れた。
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