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●行ってもいいですか?
階下に降りてみれば、ちょうど兄がトイレから出て来たところだった。汗で肌に貼り付く黒いTシャツには、波紋状に塩が浮いている。ベルトで引き絞られた腰に、腕を回してみたいなぁ、などとつい思ってしまう。
一つ屋根の下に住んでいても、兄弟という間柄では、そうおおっぴらにイチャつくわけにはいかない。両親の目があるし、自営だから他人の出入りがしばしばある。そういう意味では、ごく普通のカップルよりも不自由かもしれない。
兄は休憩用のテーブルに着くと煙草を取り出して咥えた。知玄も兄の斜め前の位置の丸椅子に腰掛けた。
「お兄さん」
「何だよ、改まって」
知玄はテーブルに額が着くほど頭を下げた。
「お祭りに行ってもいいですか!」
「祭りって、街の?」
「いいえ、ここのです」
顔を上げれば案の定、兄は嫌そうに眉間に皺を寄せていた。
「うちは俺が出てるんだからお前は」
「ややっ、違います違います!」
知玄は慌てて両手を振った。
「見に行くだけですっ。真咲姐さん達と」
「えぇ……」
余計に渋い顔をされた。
午前中、幼馴染の真咲から、『祭り行こうぜ!』とメールが届き、そして偶然にも、同期のレイからもこの地区の祭りを見てみたいと言われたのだ。知玄自身も祭りに行ったことがないと言うと、レイは「近所なのに?」と驚いていた。父の方針で、毎年知玄と母は家で留守番をすることになっていた。
事情を手短に話すと、兄は顰めっ面のまま煙を吐き出した。
「まぁ、今更だしなぁ。親父に言ってオーケーが出たらな」
そして思いの外あっさりと、父の許可は下りた。
「そういうことだったのかぁ……!」
祭りの当日は土曜日で、待ち合わせは夕方五時だというのに、三時頃にはどたばたと家の中が騒がしかった。
「じゃーん、見ろ!」
茶の間で真咲がくるりとターンして、朝顔模様の浴衣を自慢してみせた。母は額の汗を腕で拭って言う。
「若い女の子の着付けはやり甲斐があるわぁー、うちも女の子がいればよかったのにぃ」
母の手によって、真咲の他、真咲のバイト仲間のユユ、そしてレイが華やかな浴衣に着付けられていた。真咲とレイが実は繋がっていたというのが、知玄には意外だ。
母は知玄に肩を当ててささやく。
「あんたやアキちゃんが早く結婚してくれればねぇ」
「そんな、まだ早いですよ」
「何言ってるの、お母さんがあんた達を産んだのは何歳の時?」
「いや知ってますけど、女子と男じゃ精神年齢が違うので、無理です」
そんなひそひそ話をする二人をよそに、女子三人組は円陣を組んでいた。
「いざ、茜をからかいに、出陣じゃ! えいえいおー!」
かけ声というよりもはや鬨の声と言ったほうがいい感じだ。
「茜ちゃん? 彼女がなんですって?」
「祭りに出るんだってよ」
真咲は事も無げに言った。
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