●やっぱり兄は恐かった。

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●やっぱり兄は恐かった。

 特に何事もない一日を過ごして帰宅し、階段の一番下の段からふと見上げれば、 「!?」  一番上の段で、兄が仁王立ちで知玄を待ち構えている。 「とーもーのーりーくーん」  最近の兄は優しかったので、知玄はすっかり忘れていたが、 「ツラ貸せや」  ガッと首に腕を回され軽く腹パンされて、思い出した。兄は、基本的にチンピラだ。  知玄はベッドの前に大人しく正座する。兄は玉座に腰をかける王様のように、ベッドにどっしりと腰を下ろした。煙草に火を点け、ふーっと煙を吐き出して、兄は言う。 「あのさぁ、お前、何で茜に(つがい)がどうとか、言っちゃったの?」 「えー……」  昨夜の件か。実は知玄は、今の今まで、何で怒られているのか見当もついていなかった。  あの時、知玄は茜の話をひとしきり聴いた後に言った。 『僕は、お兄さんが何と言おうと、お兄さんのことをカッコいいと思います。だって僕はお兄さんの番だもの』  今思えば、そんなこと言っても何の慰めにもならないばかりか、ただの文脈無視の自己主張をしただけのようだ。それはともかく、知玄は確かに、自分は兄の番だと言った。 「お前、番の意味知ってんの? 辞書で引いたこととかない?」 「えー、辞書で引いたことはないですね。調べるまでもないので……。番って、あれですよね。鳥とか動物とかの、夫婦のこと……」  兄は煙草を口に咥えたまま、知玄を鋭い視線で見下ろしてくる。 「ほぅ、知ってて言ったか。何のつもりで言ったか知らねえが、」 「すいません! 口がツルッと滑りました!」 「いや謝るのはいいが、ひとの話を遮んな」 「すみません……」  兄はぐっと前に身体を傾け、知玄の面前に顔を近づけた。煙草のヤニ臭さと、メンソールの香りと、兄の甘い体臭がない交ぜに香る。良い匂い。だが兄の刃物のような眼差しは、至近距離から知玄をぐさぐさと刺してくる。どすを利かせた、少し掠れた声が、一言一言、はっきりと、知玄に言い聞かせる。 「兄弟の間で、番とか、ねぇんだよ、普通。俺ら完全に、ヤベェ奴らだと思われたじゃねぇか」  男同士で、しかも兄弟で、夫婦(つがい)とは。昨夜、知玄があの発言をした後、茜が「何を言ってるのかわからない」といった表情でぽかんと口を開けていたのを思い出し、知玄の頭の中は、あー! うわぁー! とぐちゃぐちゃになる。  だって、最初にお兄さんが僕を「俺の番」って言ったんじゃないか! 一瞬言い訳しそうになったが、また兄のせいにしてると思い直し、知玄は顔を俯けて言った。 「僕、お兄さんが僕のことを『俺の番』って表現するのが、可愛くて大好きで……その、つい、真似して言ってみたくなってしまったんですね」  やっぱり兄のせいにしてる! 恐る恐る、知玄は目を上げたが、 「そ、そうか。俺だな、俺が悪いなそれは! いい、いい。いいよもう」  兄の首から上、耳までもが、真っ赤に染まっていた。
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