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彼女の恋した男について
ここに一人の女の子がいた。二十をいくつか過ぎてはいるがまだ幼さの残る顔をした彼女は、高校を卒業すると地元の短大に進み、つつがなく卒業した。そして地元の商店街にあるこじんまりとしたお花屋さんに就職が決まった。
素直で気性の明るい彼女は、年老いた店主夫婦にはもちろんのこと、すぐにお客さんにも気に入られたし、美人ではなかったが小作りなかわいらしい顔をしていたので、やがて商店街の看板娘になった。彼女は、近くにできたショッピングセンターの影響や、少しづつ訪れる過疎化の波にのまれるなどして客足の減ってきていた商店街に咲いた一輪の花であった。
はたして彼女は、この商店街みんなの娘となったのである。
「ごめんください」
ここに男が一人いる。黒髪を丁寧に後ろへ流し、眼鏡をかけていてもわかる端正な顔立ち。ともすれば不自然になってしまうであろう黒のスリーピースのスーツを着こなす姿はモデルのようでもある。姿勢よく所作も美しいその男は、一度でいいからあんな男の隣に並びたいわ、とすれ違う商店街のマダムたちの視線をさらっていく。そしてこの男に淡い恋心を抱く者がいた。
そう、商店街の娘こと花屋の彼女である。
「今日はどのお花にしますか?」
「どういたしましょうか……こちらは?」
「ホリホックといいます。本来は植木や花壇などで栽培して……」
勉強熱心な彼女は店頭に並ぶ花も、そしてそれ以外の花や植物についてもきちんと説明できるようにしていた。その内容は、時期や原産国、育て方から花言葉まで多岐に渡る。その淀みない説明を、男は静かに聞き終えた。
「こちらを5本頂けますか」
「今お包みしますね」
彼女は言われた数だけ花を抜くと店の奥に入った。男が代金を支払い、彼女は紙に包んだ花を手渡す。そのまま去るのかと思いきや、ふと男が口を開いた。
「あなたはいつも、どの花についてお聞きしても答えて下さいますね」
「はい。お客様に聞かれてもお答えできるようにしたいので。それに何よりお花がとても好きなんです」
小さい頃からの夢である、いつか自分の花屋を持つべく彼女は毎日のように勉強していた。もちろん花についてだけではなく、経営についても目下勉強中である。彼女は非常に努力家なのだ。
「すごいですね」
微笑まれて彼女は頬を赤く染める。その健気な様子はまさしく野に咲く可憐な花であった。
「それでは失礼いたします」
「また、お待ちしております」
その可憐な笑顔で男を見送る彼女を、見ている者たちがいた。
「おい、あんた」
さて商店街を歩いていた男ーー西嶋は、とある店の前で呼ばれて足を止める。その手には買ったばかりの美しい花束が抱かれている。
「あんただよ」
「何かご用でしょうか」
食欲をそそる油の匂いが染み込む精肉店。ガラスのショーケースには、グラム売りの精肉の他、衣がたっぷりついたコロッケやトンカツ、メンチカツなどが並んでいる。そのガラスケースの向こうから、中年の店主が西嶋を睨んでいた。
「ちょっとこっち来い」
尊大に手招きされて、西嶋はショーケースの前に立った。するとどこから見ていたのか待っていましたとばかりに、花屋の老夫婦を始め、数人の商店街の店主やらおかみさんやらが西嶋を囲んだ。
「お前、しのちゃんのことどう思ってんだ」
「しのちゃん?」
「そんなことも知らないのかい!あの花屋のかわいらしい女の子だよう」
知らない名前に聞き返した西嶋を咎めたのはこの精肉店の隣にある魚屋の奥さんである。たっぷりとふくよかな腰に手を当てて、出来の悪い息子を叱りつけるように怒鳴る。
「ああ」
「それで、しのちゃんのことどう思ってるんだい?」
「どうと言われましても」
「あんなかわいらしい女の子を見ても何にも思わないのかいあんたは!」
信じられないというように首を振った老人ははす向かいの時計屋である。正確に時を刻む時計のように几帳面な男だ。
「とても熱心で素晴らしい店員さんだと思いますが」
「そんなこと聞いてるんじゃないよバカだねえ」
「まあまあ魚屋の。そんなこと言っても彼も困るだろう」
いきり立つ魚屋の奥さんをとりなしたのは、その魚屋の逆隣にある写真館の主人だ。普段はデジカメの普及を嘆いている。
「あんた、ご結婚はされているのかな」
「いいえ」
そこで精肉店に集まった一同は、胸を撫で下ろす。何を隠そう彼らは商店街に咲く可憐な花がこの男に懸想しているのを知り、なんとか成就させるべく、余計とは知りつつもお節介を焼こうとしているのである。何せ彼女は控えめで自らアピールしようとはしない。ここは我らがかわいい娘のために人肌脱がねばと、商店街を挙げて応援する所存なのだ。
「恋人は」
「おりません」
「よし、いいぞ。あんた仕事は何だい。いつも平日でも昼間っから花を買いに来るが」
「とある家の使用人をしております」
「なんだ使用人てのは」
「金持ちの家に、いるってことだろ。まあまあ合格じゃないか」
娘が惚れているからと言って、無条件に嫁にやるわけにはいかない。ちゃんと自分たちの眼鏡にかなう男でなければとは彼らの共通認識だ。
「それで、どんな女がいいんだ」
「どんな?」
「あれだよほら好きなタイプは」
「背は高い方がいいか低い方がいいかとかさ」
焦れたように言ったのは商店街の端にある饅頭屋の頑固親父だ。しかし彼の作る豆大福は絶品である。
「どっちがいいんだ。あれだろ、低くていいだろ」
「はい」
「あの子は小柄だな」
「そうさな。小柄で子供みたいだものな」
「髪の長さはどうだい。短い方がすっきりしていいわよねえ」
「そうですね」
「あの子はおかっぱだったな!」
「違うよばかだね。ありゃ『ぼぶ』って言うんだよ」
声を張った饅頭屋に床屋の主人が横槍を入れる。手にはハサミを持ったままで、どうやら客をほったらかしでやってきたらしい。
「黒髪がいいだろ?」
「はい」
「よし、いいぞ!」
「口数は少ない方がいいよな」
「はい」
「おっぱいは小さくていいよな?」
「あんた最低だね!」
「別に」
「そらみろ!」
「趣味は」
「読者など」
「あの子本読んでたよな?」
「図鑑かなんか見てたな」
「セーフだ」
次々にとめどなく投げかける質問に、西嶋は淡々と答えて行く。それに商店街の主人たちは一喜一憂する。それも全てかわいいあの子のため。
「性格は」
「落ち着いている方が」
「ぴったりだ!」
「普段は落ち着いているのに不意に見せる子供っぽい仕草がいいです。甘え下手なのに私にだけは甘えて下さるので使用人としては冥利に尽きますね。あとは周りの人を思いやるあまり自分のことをないがしろにしがちなところが心配でもありますが、そういう優しさを見るにつけ私が支えなければと思います」
一息に言い切った西嶋を、取り囲む商店街の面々はぽかんと見上げる。
「誰の話だ」
代表で聞いた精肉店の主人に、西嶋はこの上なく甘やかな笑みを浮かべる。
「もちろん、私の世界で一番大切な方のことです」
それでは失礼いたします、と丁寧に頭を下げると唖然とする一同を置いて西嶋はその場を去った。後に残された彼らはというと。
「あの子になんて言えばいいんだ……」
かわいい娘の失恋を悟って悄然とした。
「その花は初めて見るな」
本を読んでいた和泉は顔を上げる。窓辺に置かれた花瓶には、幾重にもなる花弁が美しい、ピンク色の花が飾られている。
「ホリホックと言うそうですよ」
「初めて聞いた」
「永遠にあなたのもの」
突然告げられた言葉に、和泉がきょとんとした顔で西嶋を見る。それに、花の香りよりもさらに甘い笑みを返した西嶋が続ける。
「この花の花言葉ですよ」
「へえ」
「いつも私がお伺いする花屋の店員の女性がとても詳細に教えて下さいました」
「そんなことまで知っているんだな」
「はい。とても優秀な店員ですね」
言って一礼した西嶋は、主のお茶を用意するために部屋を出た。その花を主の自室に飾った意味は、花屋の彼女も商店街一同も、そして彼の主でさえ、知らぬことである。
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