128人が本棚に入れています
本棚に追加
その日、執事が避けられた理由
その日、佐和は朝からずっと気になっていることがあった。
「ねえ西嶋」
「はい」
「あなた、和泉と何かあった?」
「……いえ」
一瞬の間を開けて西嶋は答えた。問うた方である佐和は眇めた目で西嶋を見つめる。
「じゃあ何で和泉のところに行かないの?」
いつもは鬱陶しいくらいに隣にいるのに。
半ば呆れ顔の佐和が言った。
そう、いつもなら休日のこの時間であれば勉強している主に紅茶を淹れ、ついでに気の利く彼ならば甘いものでも添えて運んでいる頃合いである。しかし今、西嶋は彼の主である和泉の部屋には行かずに佐和のために紅茶を淹れている。いや今だけではない、朝からずっとそうなのである。
すると西嶋は、やや困惑気味に答えた。
「部屋に来るなと言われましたので」
「なんで?」
「私にもわからないのですが……」
西嶋は今日の朝からの出来事を反芻する。
朝、いつもの通り和泉を起こしに部屋に入ると、彼はすでに目を覚ましていた。それだけではなく机に向かっていたのである。西嶋はわずかに目を見開いたが、それも一瞬の間、すぐに元通りの涼しげな顔に戻ると主のそばに立った。
「今日はお早いですね」
「ああ」
「朝食はお部屋で召し上がりますか?」
「そうする」
「承知いたしました」
「西嶋」
返事を聞くなりすぐに踵を返した西嶋を、和泉が呼び止める。姿勢よく振り返った西嶋に、和泉は参考書に向かったまま言った。
「朝食は他の誰かに持ってこさせてくれ」
「……承知いたしました」
ほんの少し怪訝そうにしながらも西嶋は従順に答えた。それから、と一向に顔をあげることなく和泉が続ける。
「今日は僕の部屋に来るな」
「それはどのような、」
「用はそれだけだ」
それきりなんの反論を許さないかのように和泉は黙った。その横顔を、西嶋はただ呆然と見つめるしかなかった……。
「それはそれは」
「理由も教えてはいただけません」
「何か怒らせるようなことでもしたんじゃないの。朝起こすのが遅くて遅刻したとか」
「昨日はいつも通りの時間にお部屋にお伺いし、カーテンを開いてから声をおかけいたしました。それから風邪を召さないよう、すぐに暖房を付けて温かいミルクティをご用意いたしました」
「……ああそう」
当然のように非の打ち所がない執事の仕事に、佐和は呆れた顔をした。前々から佐和は思ってはいるが……いや本人にも言っていることではあるが、彼は弟に対して非常に過保護である。それは揺るぎない。そしてそれを一身に受ける和泉もまた、なんの疑問も持たずにそれに甘んじている節がある。
元々、和泉は天真爛漫な姉の隣で静かに本を読んでいるような子供だった。兄たちに比べ歳が近いからよく二人で遊んでいたが、常に佐和が行きたいところへ連れ回しているような調子だった。まあ佐和に言わせれば、彼が言わないせいで自分がわがままに見えるだけ、らしいのだが。なんにしろ、そんな彼が唯一好き放題言えるのが、西嶋なわけで。そんな和泉が、西嶋を避けるというのは非常に珍しいことだった。
「それにしても部屋にこもりっぱなしだけど、あの子は何してんの?」
西嶋の淹れた紅茶に口をつけながら佐和が言った。ブルーベリーを練りこんだ甘さ控えめのスコーンとよく合っている。
「明日は全国模試があるそうですから」
「真面目だねえ」
「佐和さまはいいのですか?」
「私はいーの」
佐和はこの春に高校を卒業する。そのままエスカレーター式の女子大に行く予定なので、余裕があるようだ。今日も勉強はほどほどに借りてきたDVDを見続けている佐和のために、空になったカップに西嶋はお代わりを注ぐ。
「ねえ西嶋」
「はい」
「そんなに気になるなら行ったらいいんじゃない?」
さっきから二階を気にしている執事を見兼ねて、佐和がため息まじりに言った。
「しかし、来るなと言われておりますので」
「でも気になるんでしょ?行ってきなよ」
西嶋はそれには答えずに微笑を残して部屋を出て行った。言われるまでもなく最初っから行くつもりだったんだろうけど、と思いながら佐和はまたスコーンをぱくりと口に入れた。
最初のコメントを投稿しよう!