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1.プロローグ
ある小さな森に一頭の雄の狼が住んでいました。その狼はいわゆる「一匹狼」でした。その森に来る前は約3年間、15頭ほどの狼の群れのリーダーとして君臨していました。しかし、今年の春に若くて勇猛に育ったある雄に戦いをいどまれ、2度はそれを退けたものの3度目には力及ばず、その若雄にリーダーを譲り渡したのでした。8歳になっていました。その後、群れの中でおとなしく老狼として生きる道もありましたが、未だ老いさらばえる歳ではないと考えて群れを出てさすらい、その群れの縄張りから遠く離れたこの森にたどり着いたのでした。この狼の名をロジャーと呼ぶことにします。
この小さな森には他に狼や狐などの肉食動物はおらず、一匹で住むには手頃な広さでした。しかし、その森は人間の開拓した牧場から近いところにありました。森と牧場の間には、岩のある野原が牧場の柵に沿って帯状に伸びていました。その野原はウサギやネズミなどの小動物の絶好のすみかとなっており、ロジャーは森からこの野原に出て食事のための狩りをしていました。ロジャーはこのようなところに住み着き、半年ほど一匹で自由気ままに過ごしていました。
野原の向う側には柵がめぐらされていて、ロジャーは野原の小高い岩の上から時折その牧場を眺めていました。しかし、決して柵の向う側に行こうとは考えませんでした。なぜなら、まだ若い頃に仲間の狼たちと一緒に柵を越えてひどい目に会ったことがあるからです。ある日、若くてやんちゃな一頭が、あの柵の向うにちょっと行ってみないかと同年輩の若狼に誘いをかけました。リーダーや親たちから、絶対に柵を越えてはならないと言い聞かされていましたが、まだ経験が浅く好奇心旺盛な若い狼にとって、そこは魅力的な魔法の世界のように思えたのです。ある満月の夜、仲間たち4頭はおとなたちには内緒で、そっと柵を越えました。そこには地平まで牧場がひろがっており、若狼にとっては見たこともない別世界でした。彼らは、はしゃぎまわり牧場内を進んでいくと、向うに白っぽい塊のようなものがあり、近寄ってみると羊の群れでした。彼らが一斉に羊の群れに突進すると、羊たちは驚いて逃げまわりました。それがおもしろくて追いかけまわすと、羊たちはますます混乱して右往左往するばかりでした。若狼は食事をしたばかりでしたから、羊を取って食べようとするより、単に羊たちが驚いて逃げまわるのがおもしろかったのです。そんな遊びに夢中になっていたため、騒ぎを聞きつけた人間たちが家から出てきて銃を自分たちに向け撃ち始めるまで、彼らは全く人間に気付きませんでした。満月の光で人間にも狼の姿がよく見えました。結局、仲間の2頭が撃たれて命を落とし、ロジャーともう1頭は命からがら牧場から逃げ帰ったのでした。2頭はリーダーと親たちからさんざん叱られ、ロジャー自身も左耳を銃弾が貫いた痛みにしばらく苦しんだのでした。その左耳は、先が欠けてしまいました。
2.出会い
10月の初めころ、季節は野原の草が穂や種をつける秋になっていました。ある日の午後、ロジャーは野原でおそい昼の食事をとった後、更にウサギを遊びで追い回しているうちに柵の近くまで来てしまい、ドキッとして立ち止まりました。目の前にある牧場はかつて仲間が銃で撃たれて死んだ牧場ではなかったものの、十分用心すべきだと分かっていました。幸い柵のこちら側にも向う側にも背の高い草が生え茂っていて、ロジャーの姿は草の中に隠れていました。ロジャーは引き返そうとしましたが、その時さほど遠くないところで羊の鳴く声が聞こえ、足が自然に止まりました。羊の姿は野原から遠目にながめることはありましたが、あの満月の夜に牧場に忍び込んだ時以来、羊を近くで見たことはありませんでした。もう一度近くで羊を見てみたいという好奇心が、ロジャーの足を止めさせたのでした。
ロジャーはゆっくり柵の前まで行き、緊張しながら柵の下をくぐって牧場の中に入りました。そこから高い草の繁みの中を、背を低くし音を立てないように歩を進めました。やがて背の高い繁みの端まで来ると、草のすき間を通して羊の群れを見ることができました。
20~30頭ほどの羊が、大きな木の下でのんびりと草を食んだり休んだりしていました。牧場は大きな木の向こうにも広がっていて、ゆったりとした起伏の丘の上や斜面に多くの群れが秋の日差しを浴びて、のんびりと過ごしていました。ロジャーもうららかな秋の暖かい日差しに心地よくなって、草むらに伏せてぼんやりとそんな羊たちをながめていました。目の前の大木のまわりにいる群れには、年取った羊、若い羊、子供っぽい羊が混じっていました。
それらの羊たちをなんとなく見ていくうちに、ある羊に目が止まりました。それはまだ若そうだけれど子供っぽさはなく、落ち着いた感じで、群れの中で毛の色が一番白く、端正な顔立ちをした羊でした。角は生えていないので多分雌の羊と思われました。その羊は他の2頭の羊と一緒に歩き回っていましたが、その中ではお姉さん格らしく先頭に立って歩き、その歩みは健康そうで快活なものでした。ロジャーはその羊から目を離さず観察していましたが、その3頭はだんだんロジャーのひそんでいる繁みの方に近づいてきたため、よりはっきり見ることができるようになりました。ロジャーは暖かい日差しでぼんやりしていた意識が元にもどり、目が覚めました。ロジャーはその雌羊に胸がトキメクのを感じたのです。その羊に、なんとなく親近感やなつかしさ、安らかだが初恋のようなさわやかさを覚えたのです。初めて見たようには思えませんでした。なぜだかわかりません。ロジャーはそのような不思議な感じをおぼえながら、さらにその羊を目で追っていましたが、羊たちは途中まで來ると向きを変えて、大木の方へもどっていってしまいました。ロジャーは繁みの中でそっと立ち上がり、周囲の空を見上げました。夕焼けの空高くにホウキではいたような筋雲がありました。ロジャーは今おぼえた不思議な気持ちを大切に心の中に保ち、その場を離れました。森のすみかに帰ったロジャーは、あの雌羊のことが気にかかったままその夜をすごしました。
翌日ロジャーはさわやかな気分で目覚めました。昨日のあの雌羊への暖かい想いは心に残っていました。今日も秋晴れで、南寄りのそよ風が吹く心地よい日でした。ロジャーは今日も昨日のあの場所に行ってみようと思いましたが、野原に出るとあえていつもとは違う西の方向へ足を向けました。今すぐあの場所へ行くのはなんとなくもったいないような気がして、楽しみは後にとっておこうと思ったのです。野原の西の方は岩がゴロゴロしていて、歩きにくい所でした。その岩場を突っ切っていくと、その先に小川が北から南へ流れ、その先は牧場の中に通じていました。牧場の柵のところには、10本ほどの背の高いポプラの並木が柵に沿って生え、風に葉がそよいでいました。川の水は澄み切っており、ロジャーはのどの渇きをうるおしました。
ロジャーはその後、一旦森に戻って昼寝をしました。狼は普通夜行性と言われていますが、昼間は休んでいることが多くても、朝夕にも行動するようです。昼寝から目覚めたロジャーは、昨日のあの場所に行ってみました。少しワクワクしながら。繁みからのぞいてみると、昨日同様大木の辺りに羊の群れが陣取っていました。そして、その中にあの雌羊をすぐに見つけることができました。この雌羊をメグと呼ぶことにします。メグは今日は数匹の羊たちと一緒に大木の周囲を歩き回っていましたが、やがておしゃべりしながらロジャーのひそんでいる繁みの方に近づいてきました。もちろんその先に狼がひそんでいるとは知らずに。ロジャーのいる繁みが羊たちの風下になっていたためでもありました。ロジャーは見つからないように草の中に伏せて、彼らの動きを目で追っていました。その時、大木の方から羊の声がしました。するとメグ以外の羊は大木の方に走って行ってしまいました。多分その羊たちは用があって呼ばれたのでしょう。メグだけが一頭残りました。澄み切った青空に一筋の飛行機雲が西に向けて伸びていくのが見え、メグはそれに見とれていました。メグは空を見上げながらゆっくり歩いてロジャーの目の前まで来ましたが、そこできびすを返して皆のいる方へ戻ろうとしました。
その瞬間です。ロジャーはメグに飛びかかり、繁みの中に引きずり込んでいました。一瞬の早わざでした。あっけにとられたメグは何が起こったのか理解できず、声を出すこともできませんでした。手足をバタバタしましたが、身体はロジャーに押さえ込まれて動くことはできませんでした。
ロジャーは首を上げて大木の方の羊たちの様子をうかがいましたが、彼らは全く気付いていないようでした。メグは震えあがって身体をこわばらせてすくんでいました。メグは親たちから狼の話を聞き、十分注意するよう言われていましたが、実際に狼を見たことはありませんでした。それはこのところ狼がこのあたりに出没することがなかったからでした。しかし、メグは今目の前にいるのは狼だと直観的に察していました。そして危険だと感じて、目をつぶってひたすら身体を丸くして防御する姿勢を自然にとっていました。
ところが、しばらくの間なにも起きませんでした。風が草をサラサラとゆらす音だけが聞こえていました。やがて、狼の声が聞こえました。
「すまない。でも、こわがらなくてもいいよ。君を傷つけたり、殺したりはしないから」
その声は、思っていたようなドスのきいた怖い声ではなく、落ち着いた優しい声でした。更に言いました。
「本当に悪かったと思ってる。こんなやり方で君を驚かせるつもりはなかった。でも、とっさにこうするより他はなかった。結局、君を怖がらせてしまって、申し訳なかった」
メグは、その声をどこかで聞いたことがあるような気がしました。それは、なんとなく懐かしく、心が落ち着く感じの優しい声でした。メグは恐る恐る目を少し開けました。目の前には狼の顔のがあり、その目は自分をじっと見つめていました。その目は、獲物をねらう血走った恐ろしい目ではありませんでした。深く穏やかに澄んで慈愛に満ちており、自分に危害を加えるような気配は全くありませんでした。メグを押さえ込んでいるのは、灰色がかった黄褐色の毛を持ち、精悍な顔つきのたくましい身体をした狼でした。メグはそのその姿を見ても、今はなぜかあまり恐ろしさを感じませんでした。むしろ何か不思議な感情が心の中に芽吹いてきました。それはこれまでに経験したことのない初めての感情でした。それは、狼から出ている何かに自分が抱かれ、かつ自分も相手を優しく包み込んでいるような、お互いの身体から出ている波が共鳴しているような感じでした。メグは、今ロジャーの全体から感じる雰囲気が自分の持つ雰囲気に合っており、ロジャーと自分との間に一つの連なるものがあることを、感じ取ったのです。
実は、ロジャーが昨日のメグに目を奪われ、近くで見た時に自分の中に湧き上がった気あの持ちも、メグが今感じたものと同じだったのです。
ロジャーは、メグを押さえつけていた力を抜きました。もうメグが逃げることはないとわかったからです。二頭は見つめ合い、お互いの目の中に誠実さと信頼できるものを見、二頭が運命的な出会いをしたことを悟ったのです。ロジャーはそっとメグに顔を寄せて優しく頬ずりをし、メグもそれに返しました。ロジャーの顔の毛はやや硬いものでしたが、メグはそのその初めての感触をイヤだとは思いませんでした。
そんな時、牧場の方からメグの名を呼ぶ声がしました。どうやら姿が見えないので、さがし始めたようです。メグが
「そろそろ行かなくっちゃ」
と言うと、ロジャーも
「そうだね。、君はメグというんだね。俺はロジャー」
と告げ、それから二言三言ことばを交わした後、他の羊たちが気がつかないように繁みの端からメグをスルリと出してやりました。繁みから出たメグは、そのあたりで休んでいたようなふりをして、群れがいる方へ歩いて行きました。途中一回だけロジャーのいる繁みの方をふり返りました。そのとき、ロジャーもメグもお互いの目が合ったことを確認しました。数日以内にこの場所で再び会うことを約束したことを心に秘めつつ。
ロジャーは森の中の岩山のすき間にあるすみかに戻り、外を見ていました。夕日が西の地平線に沈みゆき、雲をあかね色に染めるのをながめながら、今日起きた出来事を思い出していました。それは、これまでに思いもよらなかった特別な出来事でした。群れを追い出されて以降、一頭で過ごしてきた約半年間の寂しさの中で、心の中に暖かい火がともされ、再び生きていく力が湧いてくるようなことでした。日が沈んで群青色の空が広がってくると、西の空に明星が輝き始めました。「宵の明星」です。ロジャーは、その星が自分であるような気がしました。夜風が寒く感じられる夜中になっても、ロジャーは空を眺めていました。空には雄大な銀河が横たわり、メグの顔を思い浮かべながら朝方まで寝られませんでした。
一方メグは仲間の羊の群れにもどると、他の羊からどこへ行っていたのかと聞かれました。メグは、草原の中で暖かなお日様の日差しを浴びて眠くなったので、しばらくウトウトとしていたと言い訳をすると、彼らは気にも止めず、それ以上は特に追及されませんでした。しかしメグの心の中は違いました。先程までのことが本当に起こったことなのだろうか、実は昼寝をしていて夢を見たのではないか、とも思いました。しかし、身体に残ったロジャーのかすかな匂いで、夢ではないことがわかりました。やはり現実のことだと思うと、メグの心は熱くなり、あの狼のことが好ましく、胸いっぱいに広がってくるのでした。そのことができるだけ表情に出ないよう平静をよそおうのにやや苦労しましたが、夕暮れになって皆が思い思いに今夜寝る地面の穴の中に入りはじめたたため、なんとか他の羊たちに悟られないようにすることができました。メグも穴の一つに入り、そこから「宵の明星」を見ながら、ロジャー同様満ち足りた気持ちで、心安らかな眠りに吸い込まれていきました。
3.逢瀬
翌日は、昨日の夕焼けが嘘であったかのように、朝から低い雲がたれこめて、昼前から雨が降ってきました。雨は羊たちにとってもうっとおしいものでした。特に、何日も続く雨は皆嫌いでした。雨自体は羊の水をはじく厚い羊毛のために気にはなりませんでしたが、雨で水を含んだ草はおいしくなく、ぬかるんだ地面や水たまりは気持ちの良いものではありませんでした。夕方になる前に、牧羊犬が羊たちを追い集めにきて、全ての羊たちは牧舎の中に入れられました。多分2~3日雨が降ると予想した牧場主が、羊を牧舎に入れた方が良いと判断したのでしょう。
結局、その翌日も翌々日も雨はシトシトと降り続き、羊たちは皆牧舎の中でたいくつな時を過ごさねばなりませんでした。牧舎は広くなく、少し動けば身体が触れあうほどであったため運動ができず、皆だんだんイライラし始め、2日目には気が短いものがブツブツ言ったり、ちょっとしたことでケンカやこぜりあいが起きるようになりました。凍るような寒い冬の間はやはり牧舎の中で長く過ごさねばなりませんでしたが、この時期と冬の間とでは状況が違うのです。秋は羊にとって繁殖期であり、いくら普段おとなしい羊でも発情によるイライラ感が増す時期なのです。これに対し冬は通常通りのおとなしい羊にもどるのです。リーダーの羊が、お互いにがまんし譲りあって過ごすよう注意するのですが、やはり気が立って柱や壁に当たり散らしている羊もいました。
そんな中、メグは食事のとき以外は牧舎のすみに座って、ロジャーのことを思い浮かべていました。ときには、となりの羊から話しかけられても気がつかないこともあり、メグは変になったんじゃないかなどと言われましたが、メグは適当にごまかしていました。ロジャーが別れ際に、「数日後にまた来るからメグにも是非ここへきてほしい」と耳元で言った言葉が、メグの頭の中で何度もよみがえってきました。それは少しおそろしい気もしましたが、逆に気をそそられるものでもありました。正直言って本当にまた行っても大丈夫なのか、相手は狼で先日はたまたまお腹が一杯だったから食べられなかったけれど、今度行ったらどうなるかわからない、と言う自分がいました。しかし、あの狼は最初からメグを荒々しく扱うことはなかったし、あの目は本当に優しさと思いやりを含んだものだった、と言うもう一人の自分もいました。
3日間続いた雨は4日目にはあがり、再び秋らしい晴天が戻ってきました。羊たちは一斉に牧場に放たれ、久しぶりの日差しを浴びて牧場の中をかけ回り、新鮮な草をはみました。メグも久しぶりにさわやかな空気を吸い込み、甘く柔らかな牧草を食べまわり、他の羊たちと遊びまわりました。しかし、どんなときでもロジャーの言ったことばを忘れてはいませんでした。ロジャーは別れ際に、数日後にまた来ると言いました。今日は会った日から4日目です。草をはみ、他の羊たちと飛びまわりながらも、メグは時々あの繁みあたりをそれとなく観察していました。でも、ロジャーがそこに来ても、どうやって自分にそのことを知らせるのかは聞いてはいません。そのサインをキャッチできなければ、どうしようもありません。そこで、皆と駆け回るときに大木のあたりから、繁みの近くまで行ってみたりもしました。しかし、皆に怪しまれないようにするためには、そんなに頻繁にそこへ行くことはできませんでした。昼が過ぎて、太陽が西に傾いていっても、特に、繁みのあたりには変化はありませんでした。しだいにメグは元気がなくなってきて、ついに夕日が最後の輝きを放って地平に沈んでしまったときには、落ち込んでしまいました。今日会えなかったさびしさだけでなく、いろいろな疑念が生じてきたのです。ロジャーのことばは出まかせではなかったのか、ロジャーは本当は自分のことなど全く気にも止めておらず、もう忘れてしまったのではないか、などなど。しかし、逆にロジャーのあのときの表情は、そんないい加減な感じではなかったはずだ、多分今日はなにか理由があって来れなかったのだという思いもありました。そんなことをグルグルと思い悩みながら寝床の穴のところまで来ましたが、今日はダメだったがまだ明日があるさ、と気を取り直して穴の中にうずくまりました。西空には、先日同様「宵の明星」が輝いているのが見えました。
翌日も良い天気でした。今年生れた子供の羊たちは、日が昇ったころからすでに牧場を駆け回っていました。メグたちおとなの羊も日差しが暖かく感じられるころには穴を出て、新鮮な草を求めてあちこち散りはじめました。午前中は何ごともなくいつものように時が過ぎていきました。メグは、時折あの繁みの方に目をやりましたが、特に変わったことはありませんでした。昼が過ぎて、皆は昼寝をしはじめました。それまでに食べた草を反すうしながら、暖かい日を受けてのんびりとしていました。メグも同じようにしながら、やっぱり今日もロジャーは来てくれないのか、あの日のことはあの時の一時のできごとにすぎなかったのか、とあきらめの気持ちになってきました。昼寝が終わり、羊たちは再び牧場の中を好き勝手に動きはじめました。子供たちはふざけあったり、かけっこしたりして、元気に飛びまわっています。メグはがっかりした気持ちで、他の羊たちの後をぶらぶらとついていきました。他の雌羊たちは、どの雄羊がかっこいいとか、イケメンだとか、この時期に恒例の話題で盛り上がっていました。牧場で放牧されている羊は、自然交配が普通です。従って、羊たちはそれぞれ繁殖の相手を自分で探すのです。狼などの群れを作る動物の繁殖は、基本的には雄のリーダーが群れの雌を一人で独占します。しかし、放牧されている羊の数は多く、リーダーと言っても群れを統括して自分の勢力範囲を維持することはできず、群れはいつも流動的でリーダーも絶対的な地位を有しているとはかぎりません。それゆえ交配もそんな状態の中で自由に行なわれるのです。もちろん羊にもそれぞれ個性があり好き嫌いがあるため、雄も雌も、この時期になると自分の好みに合う相手を探すようになるのです。時折相手をめぐって争いになることもありました。しかし、メグにとっては、そんなことは今はつまらない話に思われました。
そうして、牧場の南の方まで行ったあと再び大木のところまで戻ってきたときでした。メグはあの繁みのところで何かが動くのを感じました。おや、と思って首を伸ばしてそのあたりを注視しましたが、なにもありませんでした。なんだ、と首を戻そうとした瞬間、またそこでなにかが動きました。メグは「ひょっして」と、そのあたりに目を向けていると、しばらくして再び黒いものが繁みの上でをすっとよぎるのを、今度ははっきりと見ました。ロジャーだと直感しました。そうとわかると、今度はいかにして他の羊たちに気付かれないようにそこに行くのかが問題です。それまで気落ちしてダラダラと歩いていたのに、急にソワソワした気持ちになりました。だが、それを仲間に感づかれないように装うのが大変で、どうやってロジャーのところへ行こうかと考えましたが、良い方法は思いつきません。そのときです。大木の南側のくぼ地あたりにいた群れで大声が聞こえました。なにかの騒ぎが起きたようでした。大木の周りにいたメグの群れの羊たちは、何事かとそちらの方を見て、多くの羊はそちらへ駆け出しました。メグにとってはまたとないチャンスです。皆が騒ぎの起きたくぼ地の方へ走って行ったり気を取られているのを確認したあと、メグは繁みに向けてそっと、しかし素早く足を進めました。また、繁みで黒いものが揺れました。それは、ロジャーのしっぽだとわかりました。
メグがその繁みの中にスルリと入り込むと、そこにロジャーが待ち受けていました。メグはロジャーの胸の中に飛び込みました。ロジャーはメグを受け止めようとしましたが、メグの勢いで後ろに倒れ、二頭は草むらの中に転がってしまいました。二頭は抱きあったまま草むらの中を転げまわりました。二頭は会えた嬉しさのあまり声を上げてしまうところでしたが、かろうじて押さえ、ただのどの奥でクックックと笑いあいました。ロジャーはメグを見つめてギュッと抱きしめ、そして優しく口づけをしました。メグも笑顔でそれに口づけで返しました。それから二頭は、牧場から離れるためもう少し柵の近くまで移動し、そこで改めて抱合い、長いキスをしました。メグは、昨日から待っていたのになぜ来なかったのかと、口をとんがらせて言いました。ロジャーは、実は以前の狼の群れで確認したいことがあり、昨日はそこまで行って夕方戻ってきたのだと、わけを話しました。ロジャーは、以前の群れがどうなっているかを見に行ったのですが、新しいリーダーの下でうまくやっている様子を見て、安心して帰って来たのです。メグは、何を確認しに行ったのかちょっと気になりましたが、それを質問することなく、「うれしい」と言って、またロジャーに抱きつきました。メグの物事にさほどこだわらない楽天的な性格が、そうさせたのでした。ロジャーもメグの耳元で「ああ、おまえに会いたかった。俺もすごくうれしい」とメグを抱きしめました。メグは、先日ロジャーに初めて会ったときの恐ろしさは、もう微塵も感じていませんでした。あのときは、恐怖に身体中がこわばり逃げることもできず、絶望的な気分になったのに比べて、今はなんと幸せな気分でいることか。そして、メグは自分の方から積極的にロジャーに顔や身体をすり寄せてきたため、ロジャーは少々驚きました。実は、めぐの身体は、羊の繁殖期である秋に入っていたためすでに準備ができていたのでした。それに対し、狼の繁殖期は通常冬の1~2月なので、ロジャーはまだ十分な身体の準備ができていなかったのです。
しかし、ロジャーは、先日からのメグへの想いと、今こうしてメグが自分にぴたりと寄せている身体から発散する匂いによって、一気にホルモンが分泌され、メグに対応できる身体になりつつあることを感じました。二頭は、じゃれあうように頬ずりをし、抱き合い、キスをしあい、身体の匂いをかぎ、身体をなめ合うことで気持が高揚してきました。ロジャーはメグが受け入れられるようになっていることを確認して、後ろからそっと、メグの身体に自分の身体を寄せていきました。メグもロジャーを受け入れやすいような姿勢をとりましたが、メグの背中のふわふわの毛はボリュームがあってロジャーは腕を掛けるのに少し苦労しました。なんとか両腕を伸ばして自分の方に引き寄せ、うまくメグに接合することができました。その喜びはロジャーにとっても、メグにとっても最高のものでした。
狼の群れを率いて子供を何頭もつくってきたロジャーは、もちろん初めてのことではありません。しかし、メグとのそれは、相手が羊ということだけでなく、これまでに経験したことのないようなものでした。それは、運命的な出会いをして、心が十分に通い合える相手だったからでした。実は、メグも初めてではありませんでした。今年の春、一頭の子供を産んでいました。メグの初体験は昨年のことでした。それは、メグにとって初めての大人への舞台でした。メグは、その端正で美しい顔立ち、真っ白な毛並み、そして明るく聡明な性格で多くの雄羊を引きつけ、たくさんの申し込みがありました。親たちからは、軽々しく相手を決めてはいけないと注意を受けていました。結局、メグも気に入ったハンサムで力強そうな雄羊を選び、そのときのうれしくドキドキするような気持ちは、忘れられないものでした。しかし、今ロジャーと一緒に味わっている気持ちは全く異次元のもので、全く比較できないものでした 。
ロジャーとメグは、初めての経験に酔いしれて、しばらくの間そのままじっとしていました。二頭とも心と身体の両方が充実した満足感を感じていました。やがて、日差しが西に傾き、秋の夕暮れのヒンヤリした風にロジャーはメグから身体を離しました。二頭は黙っていましたが、お互い心の通い合いを感じて、心の中は暖かい想いで一杯になっていました。
ロジ一とメグは、一週間後の昼寝後に再開することをを約束しました。あまり頻繁にメグとが姿を消すと、皆にあやしまれるだろうと考えたのです。本当は二頭とも毎日会いたい気持ちでしたが、我慢することとしました。その日が雨だった場合は、雨が止んだ次の晴れた日としました。ただ、メグが
「この茂みに入るのは皆に見られやすいのがちょっと・・・」
と心配をしたので、ロジャーは少し考えてから、先日散歩に行ったとき見たポプラ並木を思い出して、言いました。
「それなら、ここから西へ少し行ったところにある川のそばのポプラ並木のところはどう?」
「そこなら知ってる。あそこなら周りに藪がいくつかあって見られにくいから、いいかもしれない」
とメグも同意したので、場所はそこにすることとしました。10本ほどのポプラ並木の中間あたりとしました。
二頭は別れがたい気持ちで一杯でしたが、いつまでもここにいるわけにはいきません。お互いもう一度見つめ合いキスをして、後ろ髪を引かれる思いで別れました。
次にロジャーとメグが会ったのは、前回からちょうど一週間後の10月半ばでした。このころになると、羊たちは雄も雌もお互いに相手を探して、自分の群れの中だけでなく、他の群れの方にも出かけて行くようになり、動き回りました。それはメグにとっても好都合で、たとえ一人で群れから離れたところにいても、誰も不思議がるようなことはありませんでした。メグにも、雄羊から多くのアタックがありました。メグは、母となるには十分な身体になっていましたし、なにより毛色が白く端正な顔立ちをし、聡明で明るい性格を、雄羊たちも知っていたからです。中には、雌羊たちに評判で憧れの雄羊もいて、「ちょっとあそこの木陰に行かないか?」と誘われました。このことばは雄羊からの誘いの常套句でしたが、メグは無視するか愛想笑いし、それでもしつこく付きまとう雄羊にははっきり拒絶しました。今のメグにとって、もう雄羊には全く関心がなかったのです。そのため、雄羊や他の雌羊は、メグはどうかしたのではないかと噂をし合ったほどでした。それを聞いた母親や叔母が、大丈夫かと心配しましたが、メグはなんともないと言って、平然としていました。
約束の当日は、雨上がりのよい天気でした。メグは、最初は仲間の雌羊と一緒に相手を探すふりをして歩いていましたが、やがて仲間たちはそれぞれお目当ての雄羊や気に入った雄羊を見かけると離れて行き、ばらばらになりました。メグはそのチャンスに、約束のポプラ並木の場所へ駆けていきました。ポプラ並木までの場所には低木の藪が点在しており、メグはその藪をうまく使って皆があまり見えないように、ポプラ並木に近づくことができました。そして、はやる気持ちを抑えながら5本目のポプラを目指して草むらの中に飛び込むと、ポプラの木の下まで草をかき分けて走りました。ロジャーが待っていました。
二頭は、一週間待った後の再会の嬉しさに、ひしと抱合いました。「会いたかった」とメグ、ロジャーも「俺もさ」と言って、キスを繰り返してしばらく抱きあったまま横になっていました。
しばらくして、ロジャーはいきなりメグを仰向けに倒すと、メグの身体の上におおいかぶさりました。ロジャーはメグに頬ずりをしながら「かわいいやつ」とつぶやき、メグはそれに「ああ」という声を洩らしました。ロジャーはメグの口の中に舌を差し入れてきました。メグが口を少し開けると、ロジャーは長い舌をメグの舌に絡ませるように転がし、メグもそれに応えました。ロジャーの口はまさに獲物に喰らいつくように大きく、何やら血の匂いも感じるものでした。
「ああ、おまえを食べつくしてしまいたい!」
「ええ、いいわよ。わたしを全部食べてしまって!」
この日には、ロジャーは前回のメグとの逢瀬により、例年より早く雄としてメグに十分対応できる身体になっていました。またメグは前回すでに準備はできていましたが、今日はさらに気分が盛り上がり、普段のメグであれば口にしないような言葉も発するようになっていました。
ロジャーは、次に口をメグののど元にもっていき、舐め始めました。メグはくすぐったいと顎を引きましたが、強引にのど元に喰らいつくようにして、力を抜き半分噛んだりもしました。メグにとって初めての経験でしたが、もちろん怖いどころか、逆に快感を感じていました。多分最初に会ったときに同じようにされていたら、いくら好ましいと感じていたとしても、恐ろしいと思う気持ちの方が強くて、逃げ出していたでしょう。次にロジャーはその口を徐々に胸の方にずらしていきました。胸の毛をかき分けて肌に耳をつけて、メグの心臓の鼓動がドクドクと打っているのを聞いて、楽しんでいました。
ロジャーがさらに口を移動させていくと、ついに胸の毛のない部分に辿り着きました。そこには、白くて柔らかそうな丘が二つ並んでいました。
その色は、ややピンクがかってきれいでした。そしてそこに鼻を寄せるとなんだか良い香りがして、ロジャーはうっとりしました。そっと触ってみると、プルンと弾むようでした。それは雌狼のものとは、色も大きさも感触も違っていました。ロジャーがその双丘の先を舌でころがしていくと、固くなってきました。双丘を交互に舐めまくり、双丘の間の谷間に鼻を突っ込んで手で双丘をさわってりいると、だんだん双丘は全体がピンク色になってきました。メグはロジャーの行為により、双丘が暖かく少し膨らんでくるのがわかりました。そっと目を開けてみると、ロジャーはメグに夢中になっていました。上空に目を移すと、ポプラの枝葉の間に青い空と白い筋雲が流れていました。幸せな気分でした。
ロジャーはピンク色になった双丘に満足すると、今度はさらに顔をメグの脚の方にずらしていきました。そして、遂にロジャーの舌はメグの大切な部分に到達しました。両側の白い毛を分けると、そこには先程の双丘よりもっとピンク色をした柔かい部分がありました。ロジャーは初めて見るそれにそっと舌を這わせると、すこし草の香がして、それもすごく新鮮でした。その部分を舐めていると、割目から透明な液がにじみ出てきて、それを舌先で掬い取ると、トロリとして甘い感じがしました。ロジャーは長い舌をその中に差し入れ、舌先をチロチロと動かしながら深く進めていくとさらに甘い感じの液が出てくるのがわかりました。メグは荒い息をし始め、ロジャーは夢中になってそのピンク色の花を舐め回しました。メグは小さな声を切れぎれに漏らすようになっていました。
ロジャーは、やおらメグの身体の上に自分の身体を重ねて、自分の膨れ上がったものをメグの湯気の立つようなピンク色の花に差し込みました。初めはゆっくり、そしてグッと奥まで。メグは「あっ!」と声を上げ、ロジャーを下からギュッと手足で抱きしめました。ロジャーは腰を動かし初めました。前後に、左右に、円を描くように、ゆっくりそして素早く。メグの内部はロジャーのものをしっかり包み込み、吸いつくように反応しました。どの位の時間か、多分そんなに時間は経っていないと思われますが、ロジャーは我慢できなくなって、自らの内部の気を渾身の力を込めてメグの身体の奥深くにドッと放出しました。メグもその瞬間身体を震わせて声を発し、ロジャーの気をしっかりと受け留めたのでした。
ロジャーとメグは、しばらくそのままじっとしていました。最高潮にまで達した心と身体が、ゆっくりと熱を発散させながら降りてくる、その余韻を味わい楽しむかのように。メグは余韻がまだ残る中で薄っすらと目を開けて、空の筋雲が西に傾きつつある太陽の光を受けて金色がかってくるのを、眺めていました。こんな素晴らしいことは初めてでした。
ロジャーとメグは、約一週間後に再びポプラ並木のところで会いました。二頭はますます濃密で夢の様な時を過ごしました。ロジャーは狼のどう猛さを少し出しながらメグを攻め、メグは心も身体も開いてそれを自由にこだわりもなく受け入れました。
今日もめくるめくような絡み合いと絶頂へ達した後、雲の上を漂っている感じのうっとりした時をすごし、ロジャーは言いました。
「俺の可愛いい、可愛いい、大事なメグ! おまえはもう俺のものだ、絶対手放さないぞ」
「ほんとう? うれしい。 わたしもよ!」
とメグ。
「でも、俺は狼だぞ。それでもいいのか?」
「うん」
と、メグはしっかりうなずきましたが、続けて言いました。
「でも、もっとあなたのことをもっと知りたい」
ロジャーは腕の中にいるメグから身体を離し、両手をメグの肩に置き、メグの目を見つめながら答えました。
「それはそうだな」
そして、8年ほど前に生まれ、群れの中で一人前の狼となり、その後群れの中で体力と知力にすぐれた勇敢な狼として認められ5歳でリーダーとなったこと、リーダーとして活躍していた頃のできごとなどをかいつまんで話しました。しかし、3年間ほどリーダーを務めた後、次世代の若者が群れに加わってついにリーダーの座を追われたこと、その後は群れから離れて放浪したあげく、ここの小さな森に一頭で住むようになったことなどを話しました。メグは、その話を興味深そうに目を輝かせて、時折うなずいたり、笑ったり、悲しそうな顔をしたりして聞いていました。メグは、ロジャーの話しぶりや、リーダーとして群れを率いていたころの話の内容から、ロジャーの勇敢さや知性だけでなく、優しさや他を思いやる心の暖かさを感じ取りました。それは、ロジャーの少し憂いを含んだ目を見てもわかりました。初めてロジャーに会った、というより突然拉致された時の身体が凍り付くような恐怖心が、短時間のうちに逆に不安の解消とロジャーへの好意と信頼に変わったのも、このロジャーの目によるものでした。話し終えると、ロジャーは言いました。
「君の話しも聞きたいな」
メグは、この牧場で生まれて4年以上経つこと、父や母や兄弟姉妹、叔父や叔母、いとこなどの親戚のものを中心に群れを作っているが、他の群れと一緒になって大きな集団で過ごすことも多いこと、夏は天気に関係なく外で過ごすが、台風や長雨の時そして冬の間は基本的に牧舎の中で過ごすことなどを話しました。
ロジャーは黙ってメグの話を聞いていましたが、少しちゅうちょした後、思いきって気になっていたことを聞きました。
「子供はいるの?」
メグは正直に答えました。
「実は、今年の春に初めての子を産んだの。やんちゃな男の子。同じ群れの中にいるわ。父親は違う群れの若くて強そうで、多くの雌羊たちの憧れの的だった雄羊で、私は初めての経験だったから好奇心もあって、すぐに子供ができたわ」
それを聞いてロジャーは少し安堵しました。当然自分は狼のリーダーとして幾頭もの子供がおり、もしもメグが雄羊との関係が全くなく、自分がメグの初めての相手だったらメグに申し訳ないと思っていたからでした。
いくら運命の相手であったとしても、種が異なる自分がメグの初めての相手だとしたら、あまりにメグに酷だと思ったからでした。
「そうか、ありがとう。でも、こうやって君とめぐり合えたことは、とても嬉しいよ。群れを追われた俺にとって、こんなことは思ってもみなかったことだし、とにかく君と一緒にいられることはとても幸せで、現実じゃないみたいだ」
「私もそうよ。まさかあなたとこんな風にめぐり合って、あなたにこんなに心を奪われてしまうなんて・・・・」
午後の日が西に傾き、雲は美しいあかね色に染まりつつありました。そろそろメグは帰った方がいいと、ロジャーに促されて、メグは立ち上がりました。二頭とも後ろ髪を引かれる思いで別れました。
4.提案
その後、二頭は秋の気まぐれな天気にじゃまされながらも、逢瀬を重ねました。会うたびに二頭はいろいろな話しもしました。家族のこと、群れの仲間のこと、ロジャーの経験談、ロジャーの左耳がなぜ欠けているのかなどなど、どんなことを話していても楽しく、あっという間に時間は過ぎました。ロジャーは、メグと会うことで心も身体も若返った気がしました。
そして秋は深まり、森の木々の葉が赤や黄色に染まり、野原の草も枯れた色に変わり始めた11月上旬になっていました。その日、ロジャーは恐る恐るメグにある提案、というより申込をしました。その話を持ち出すのに慎重だったのは、それはロジャーはにとっては好ましい内容でしたが、メグにとっては大変なことだと分かっていたからでした。それは、メグと一緒になって森で暮すことができないか、というものでした。この提案・申込は、メグにとってハードルが非常に多く大きいものでした。
まず、群れからメグが姿を消したら、父母や親戚の羊たちは必死にあちこち探し回るでしょう、そしていなくなったとわかった時の悲しさや落胆はいかばかりなものか。第二にメグの食事です。森の中には草はあまり生えていないので、野原に出てくる必要がありますが、野原の雑草は牧草のようにおいしいものは少なく、栄養価も低いと思われます。特に冬の間は草が枯れてなくなるため、牧場で人間がくれる干し草のようなものはありません。しかも、野原で食事をするのは、人間に見つかる恐れがありました。他の動物ならロジャーが追い払うことができますが、もしもロジャーが人間に見つかったら、それこそ牧場の羊を狙いに来たと思われて、銃で殺されてしまうかもしれません。第三に住むところです。ロジャーは森の岩場の穴に住んでいますが、牧舎のように強い風雨や雪を防ぐことはできません。。メグは冬場には厚い毛で被われるため寒さにはある程度対応できるとしても、それで十分かどうかわかりません。第四は、そのメグの厚い毛を夏になる前に刈ることができないことです。羊は毛を刈らないと夏の暑さに耐えられないのです。最期に、メグが群れから離れてロジャーと
二頭だけで暮らせるかどうかです。羊は生れた時から集団生活することで生活しています。狼のように一頭だけで過ごすことができる動物ではありません。
ロジャーは、このような問題があることもメグに話しをしました。ところがメグは、確かに問題はあるかもしれないが、私はロジャーと一緒にいられるなら、そんなことは気にしないと、屈託なく言いました。メグは、ロジャーとずっと一緒にいられるということが、よほど嬉しかったのです。しかし、ロジャーは自分で言い出したことなのに、やはりよく考えないとダメだと思いました。この提案はメグの方の環境変化が大きすぎ、メグがそれに耐えられるかは難しい問題だと考えました。メグは牧場の外の経験がないから、楽天的に考えているのです。ロジャーは、メグを愛しているからこそ、余計にメグのことをよく考える必要がありました。結局、ロジャーはこの話はなかったことにしようと、メグに言いました。メグは、
「えーっ、どうして。私は何とかなるわよ」
と答えましたが、やはり牧場の外のことを知らず、楽天的な性格によるものでした。メグがあまりにその提案に乗り気で嬉しそうなので、ロジャーはやむを得ず、これからじっくり二人で考えることにしよう、ということにしました。
メグと別れた後、ロジャーはメグにその提案をしたことを後悔していました。考えれば考えるほど、メグの側の負担や苦労が大きすぎることがわかってきたからでした。
一方、メグは問題の深刻さが十分理解できていないようで、ロジャーと一緒に住む想像をして、嬉しくてたまりませんでした。その心の中を他の羊に悟られないようにふるまうのが大変なほどでした。
5.死と生
それから5日間ほどたった11月半ばのころでした。その日は暗い雲が空一面をおおい、冬を告げる冷たく強い風が吹く日でした。羊たちも、そんな天気になんとなく憂鬱な気分で過ごしていました。前回会って以来、あまり天気が良い日がなく、メグはロジャーに会っていませんでした。その間、メグはロジャーと一緒になった森の生活を想像して、勝手にいろいろなことを考えていました。
その日の、今にも雨が降り注いだ降り出しそうな午後のことです。突然牧場の北のほうから、ダーン・ダーンという音が鳴り響きました。初めは5回くらい、続いて3回。それは銃声でした。
羊たちは、その空気をつんざくような音に驚き、一斉に音のした方とは反対の方向へ走って逃げました。何の音かはわかりませんが、恐ろしい音だと直感したからでした。牧羊犬は興奮した様子で、音のした北の方へ走り去っていきました。やがて冷たい雨が降り始めたため、羊たちは木の陰や牧舎の方へ動き出し、夕方前には皆自主的に牧舎の中に入ってしまいました。音がしたのはあの時のだけでしたが、羊はなんとなく落ち着かず、かつ冷たい雨を避けたかったからです。あの音がした理由は誰もわかりませんでした。その夜、冷たい雨は時折強くなりながら、一晩中降り続きました。メグも牧舎の隅でなんとなく不安な夜を過ごしました。
翌朝、夜の明ける前に雲は空からすっかり消え失せ、朝日が牧場全体に注いでいました。風は氷のように冷たく感じましたが、すでに分厚い毛をまとった羊たちは、明るい太陽の下に駆けだしていきました。その日から数日間は晴天が続きました。メグは、時々ポプラ並木のところに行ってみましたが、ロジャーには会えませんでした。晴天になってから、2日経ち、3日経っても、ロジャーは現れませんでした。しかし、ロジャーを心から信じていたメグは、きっと明日には来てくれると、天性の楽天的な気分で過ごしていました。
ところが4日目のことでした。羊たちの間である噂が広がっていて、それがメグの耳にも入ったのです。それは、あの恐ろしい音がした日の夕方に、一頭の黒っぽい動物が外から牧場の納屋の中に運ばれてきた、という噂でした。そしてそれはどうも狼らしいというのです。メグは、ギクリとしました。その黒い動物はひょっとしたらロジャーなのではないか、と。メグは、父母や周りの友達、他の群れの羊たちに聞いてみましたが、詳しいことは知らないという返事ばかりでした。そこで、メグの群れのリーダーに聞いてみると、自分もよく知らないが、その動物が運び込まれた東門の辺りの群れのリーダーならもう少し詳しく知っているかもしれないと教えてくれました。メグは、その東門の群れのリーダー羊のところへ駆けていきました。その羊は以前見かけたことはありましたが、話しをしたことはありませんでした。めぐはその羊を見つけると、真っすぐに進んでいき簡単な挨拶をしたあと、その動物のことについて詳しい話しを聞かせてもらえないか頼みました。その老羊は、
「お嬢ちゃんは、なぜそんなことを聞きたいのかな?」
と言いながらも、だいたいのことを話してくれました。それは、先日銃声がしたあとに、牧童たちが手足を棒に結わえてぶら下げた動物をかついで東門から入ってきて、納屋の中へ運び入れたのを自分も見たというものでした。そして、それは形や大きさからするとたぶん狼ではないか、と。
「いやー、このあたりにまだ狼がいたなんて、驚きだよ。でも、我々が襲われる前に退治してくれてよかったよ」
と付け加えました。メグは気が動転して震える声で、その狼はどんな様子だったかを聞きました。
「もう死んでたと思うよ。手足を縛られて首をダランと垂らして動かなかったから。そういえば、その狼は片一方の耳がなかったな」
と教えてくれました。メグは、心臓が止まるかと思いました。それでもなんとかお礼を言うと、トボトボと自分の群れの方へ歩き出しました。どこをどう歩いているかわかりませんでした。
「ロジャーだわ、ロジャー。でも、なぜ、なぜ・・・・」
群れに戻ったメグは、ぐったりして地面の穴の中に潜り込んでしみまいました。母親や兄弟たちが来て、どうしたのかと心配そうな顔をして見ています。叔母も来て、ここ数日の寒さで風邪を引いたのではないか、こんなところより牧舎の中で休んだほうがいいのではないかと言ってくれ、メグは牧舎に入って横たわり、悲しみをこらえていました。そして本当にそれはロジャーなのだろうか、なにか間違いではないか、確かめることができないか、と思い巡らしていました。納屋へ行けば運ばれてきたその動物がまだ置かれているかもしれないとも考えましたが、メグにはそこに見に行く勇気はありませんでした。
メグの方悲しみは、簡単にはいやせそうにはありませんでした。しかし、メグはこうも考えました。あれがロジャーではなかったとしたら、ロジャーはメグに会いに来るだろう、そうならメグが牧舎の中でいつまでもメソメソしていては、ロジャーが来ても会うことはできない。そうだ、外に出て、ロジャーに会いに行かなければ、と。そう考えたメグは、翌々日には外に出て群れの中に戻りました。皆は、風邪が早く治ってよかったと喜んでくれましたが、メグの心中は失望と期待とが入り混じっていました。メグは、天気の良い日には今までのように時々ポプラ並木の辺りに行って、ロジャーが来ていないか確認しました。しかし、毎日がっかりした気持ちで夜を迎え、そんな日が続いたため、やがてメグの期待はしぼんでゆき、失望の方が心の中を大きく占めるようになりました。メグの元来の明るさ・快活さはすっかり失せてしまい食欲も落ちてきたため、母親たちは再び心配するようになりました。
やがて12月に入り、羊たちは風のない晴れた日は外に出て歩き回りましたが、雨が降ったり北風が強くて寒い日は牧舎の中で過ごすことが多くなりました。いよいよ本格的な冬の到来です。メグは相変わらず暗い表情をしていました。
ところが、霜が牧場一面に真っ白に降るほどの寒いある朝のことです。メグは身体の異変気づきました。その異変は腹部辺りの張りのような痛みのような感じで、最初は前日に食べた牧草に悪いものが混じっていたのかと疑いました。しかし、同じ牧草を食べたほかのヒツジはなんともないと言います。母親は
「困ったわねえ、どうしたんだろう。ひどくなるようなら、牧童に知らせなくては」
と、心配そうに見守っていました。しかし、その張りや痛みはそれ以上ひどくなることはありませんでした。そんな時、メグは昨年子供を身ごもったときの感じと同じではないが、似ている感じだと気づきました。母親にそのことをそっと打ち明けると、母はちょっと驚いた顔をしました。なぜなら、メグは今年は子を授からないだろうと思い込んでいたからです。それは、メグが雄羊の誘いを一切断わっていたことを知っていたためでした。母親は、目を丸くして、
「おやまあ、そいうことだったのね。おまえったら。心配して損したわ。
でも、よかった、よかった。そうなんだね」
と安心して、さっそく父親や叔母もたちに知らせに向こうへ行ってしまいました。
しかし、メグの心中は少し複雑でした。今年はどの雄羊の誘いにも一切乗っていません。ただ一人の相手はロジャーだけです。でも、ロジャーは羊ではなく、れっきとした狼です。こんなことが起こり得るのか、とメグは疑問に思いました。しかしいくら考えても、ロジャーしかないのです。
もし、お腹の子がロジャーの子だとしたら、こんな嬉しいことはないけれど・・・・。もう一つの可能性は、病気か何かで同じような症状が出ていることです。しかし、病気ならこれから症状が悪化して、牧童が気付けば獣医にみせてくれるでしょう。万一気付かれずこのまま病気で死んだとしても、ロジャーの後を追ってあの世へ行けばよいのだ、とも考えました。というのは、あの事件があった後、結局ロジャーに会うことは全くできなかったからです。やはりあの日運ばれてきたのは、ロジャーだと思わざるを得なかったのです。メグは、普通では有り得ないことでしたが、ロジャーの子である方にいちるの望みを掛けていました。
その答えは、年を越して1月に入るとある程度わかってきました。子が授かった兆候がいくつか現れてきたからです。まずお腹がすこし大きくなりました。また、乳房も張った感じになってきました。食べる草も、やや酸っぱ味のあるものをより好んで食べるようになりました。
羊たちの間では、メグに関する話題が持ち上がりました。一体メグの相手は誰なんだろうということでした。雄羊たちの間では、誰が抜け駆けをしてメグの心をつかんだのだろう、自分ではないから他の雄羊の誰かがうまくやったに違いないと、疑いと羨望の目でお互いを見ていました。ある一頭の雄羊が、内緒話しだが実は俺なんだと自慢げに打ち明けたことがありましたが、その話しがメグの耳に入ったとたん、メグがキッパリと否定したため、その雄羊は笑い者になりました。一方雌羊たちはメグの悪口を陰で言い合っていました。
「なにさ、自分では雄羊に全くその気がないように振る舞っておきながら、知らないうちにどこかで誰かといいことをしていたなんてさ。一体自分が何様だと思っているのかしら」
特に、雄羊にもてず子のできなかった一部の雌羊は、あちこちで言いふらしていたようですが、メグはそんなことには一切気をかけませんでした。
メグは、日が経つにつれて兆候がはっきりしてくることに喜びを感じていました。メグはもう疑ってはいませんでした。決して病気ではなく、お腹にロジャーの子がいることを。
羊の妊娠期間は約150日です。春が近づいてきて、外はまだ冷たい風がときおり吹き、雪が舞う日もありましたが、陽光はだんだん明るく輝くようになってきました。雌羊たちのお産が牧舎のあちこちで始まりました。そして、メグは3月20日に出産しました。子供は2頭でした。羊に2頭の子が生まれることは珍しくありませんが、牧童たちが驚いたのはその毛色でした。生れたばかりの子羊は、羊水にぬれているため白毛であっても灰色に見えるのですが、メグの子供は2頭とも黒かったのです。牧童たちは、この牧場には白系の羊しかいないのに、なぜ黒い毛の子が生れたのだろうといぶかりました。しかし、更に皆を驚かせたのは、2頭のぬれた毛をメグがなめて乾いてくると、なんとその毛は金色だったことでした。2頭とも黄金の毛を持って生まれてきたのです。それ以外は、普通より顔としっぽが少し長いようでしたが、それは目立つほどではありませんでした。牧童たちは、メグの肩をポンポンとたたいて、
「おいおい、たいした子供じゃないか。おまえはどうやってこんな子をつくったんだ?」
と、冗談めいて言うと、さっそく一人が牧場主のところへ報告にいきました。牧場主は、ちょうど来ていた獣医と一緒にメグのところへやって来ました。完全に乾ききった子羊の毛は、混じり気のない金色で、ちょうど窓から差し込んできた太陽の光にキラキラと輝いていました。二人とも金色の毛の子羊に驚きました。獣医も、こんな色の羊は初めて見たと言い、牧場主はこれは吉兆だと大喜びです。獣医は、
「たぶん、何代か前の先祖の中に金色の羊がいて、それが世代を超えて出てきたのではないか」
と、わかったような話しをしました。なんであれ、牧場主にとっては良いことなので、メグのオッパイがよく出て子羊がうまく育つよう、メグに栄養のある牧草をたっぷり与えるよう指示しました。
メグはやさしく幸せな気分でした。ロジャーに、いまも変わらない愛と子供をメグに残してくれた感謝の気持ちを、心の中で伝えていました。ロジャーが生きていてくれれば最高の幸せでしたが、こうやってロジャーの血を受けた可愛い2頭の子羊と一緒にいられるだけで、ロジャーも自分のそばにいると感じることができました。
メグの子供のことは、羊たちの間にすぐに広まりました。彼らの中には生まれる前のような悪口を言うものもいましたが、むしろ驚きやすごいことだと喜んでくれる声の方が多く聞かれました。但し、子羊の父親はいったい誰だろうという疑問は残ったままでしたが。メグの父と母も皆から良い孫ができたことをめでたがられ、かつ羨ましがられました。父と母や群れの羊たちも、メグの子供たちの面倒をよくみてくれました。メグは、多くの皆の思いやりに感謝をし、かつ子供たちを立派に成長させることが自分の責任だと肝に命じていました。
6.エピローグ
その後メグにとって、良いことと悪いことがありました。
良いこととは、ロジャーがはく製となって牧場主の家の居間に飾られたことです。もちろんロジャーが亡くなったことはメグにとって辛く悲しいことでしたが、そのロジャーの雄姿が残されたことは嬉しいことでした。メグは、時々牧場主の家の近くまで行って、窓ガラス越にロジャーの姿を眺めていました。ロジャーが、自分と子供たちをそこで見守ってくれている思うと、励みになったのです。
悪いことは、その翌年と翌々年に、牧場主がまた黄金の毛を持つ子羊をメグに産ませようと、無理やり雄羊と交配させられたことでした。しかし結果はうまくいくはずがありません。2年続けてそのような恥辱を受けましたが、メグはロジャーへの気持ちを胸に秘めてそれに耐えました。3年目はさすがに牧場主もあきらめたようです。
黄金の毛を持った子羊2頭は、その後立派に成長してきりりとしまった身体つきの勇敢で優しい心を持った雄羊になりました。そしてその2頭の羊の子たちつまりメグの孫たちは、その後30頭にもなりました。牧場主は、メグの子供を多くの雌羊と交配させて、やはり黄金の毛の羊を得ようとしました。その孫たちの毛色は白系が主でしたが、たまに金色や少し灰色がかった黄褐色の羊も生まれました。30頭目の孫が生れた時には、メグはもう10歳のおばあさんになっていました。
最後に、ロジャーが銃で撃たれて亡くなったときを状況は、メグが聞き取った断片的な話しをつなぎ合わせると、次のようなことになりました。
ある日、ロジャーは牧場と森の間の野原を歩いているのを牧童に見つかってしまったようです。その日は、ロジャーがメグに一緒になってほしいと申し込み、二頭で相談をした日のようです。たぶん、ロジャーはメグと別れて森に帰る途中で、そのことについて考えながら歩いていたために野原で注意をおこたり、牧童に姿を見られてしまったのではないかと、メグは想像しました。そうでなければ、ロジャーはやすやすと人間に見つかるような歩き方はしないはずだからです。狼の姿を見た牧童は、牧場に帰ってさっそくそのことを報告し、羊が狼にやられるのを防ぐためにその狼を退治することにしました。そして、ロジャーが狩りをするために野原に出てきたところを、待ち伏せしていた牧童たちが銃を撃ちかけ、さすがのロジャーも逃げきれずに撃たれてしまったのです。メグは、あの日にロジャーが注意を欠いた状態になったのは自分のせいでもあったのだと考え、ずいぶん陰で泣きました。しかし、その分2頭のロジャーの忘れ形見を大切に育てねばならないと、決意を新たにしたのでした。
おわり
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