黄昏どき

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黄昏どき

 深い眠りから目覚めて、アイマスクを耳栓を取りながら、カーテンを開けた。 「今日もいい天気だったんだな」  窓を網戸ごと開け放ち、新鮮な外気が入ってくる。さすがに秋の終わりだから、かなり寒い。それでも完全に意識を叩き起こすため、タバコを吹かしながら窓辺に腰かけ、自販機で当たった缶コーヒーを流し込み、風を受ける。  沈みかけの夕陽。空は鮮やかに赤く、昼間の青空だった名残りの青と、闇夜に染まりつつある藍などが、形容しがたい色を作り出している。  白い雲は何色にでも染まり、彩(いろどり)を添えているようである。この昼から夜になっていく時間が、たまらなく好きだ。  世間一般だと夕陽は、「今日がんばった自分をお天道様が称えている」なんて言っているらしい。だいたいの人間が日勤仕事だから、当てはまる。  オレは夕陽が朝陽代わりだから、当てはまらないけど。 「さて、そろそろ仕事に取りかかるか」  何本目かのタバコを消して、缶コーヒーを飲み干し、窓を閉めた。晴れた日は、沈み切るまで見送ることにしている。それもキッチリ欠かさず。  アシスタントはもう出勤しているだろうか。隣の305号室から人の気配がする。オレの生活リズム付き合わされてかわいそうだとは少し思う。ただ、望んで入ってきた奴らばかりだから、ある意味自業自得でもある。  自室から外に出て、隣の部屋のドアを開ける。気の抜けたあいさつをしながら、まっすぐリビング兼仕事場には行かず、洗面所で顔を洗って歯を磨いていると、後ろから怒鳴り声がした。 「先生! 下描きもですけど、ネームすら出来てないのはどうしてなんですか!!」  後ろを見ると、黒くて長い三つ編みに真ん丸眼鏡の文学少女的な女が、怒りを露わにしている。 「ネタ切れでさ、映画を観てなんか思いつくかなーと思って観てたら、寝ちまってさ。あっはっは」 「何笑ってんですか! 原稿を落としたらシャレにもなんにもなりませんよ! 月刊誌で週刊誌より余裕があるのに、二ヶ月連続で落とすなんてことがあったら……下手したら土下座ですよ! ど・げ・ざ!!」 「土下座はしたくないなー」 「じゃあ、描いてください! 今すぐ、ナウナウナウッ!」 「チーフ――アシスタント――さ、なんで寝起きでそんなにテンション高いの」 「正午から起きてます!」 「あ、だからか。寝起きから三時間経つと、人間は――」 「いいから描きなさいっ!」  チーフが履いていたスリッパを脱いで、オレの尻をぶっ叩いた。悲鳴を上げて廊下に飛び出す。視線を感じて玄関を見れば、アシスタントたちが三者三様の表情で突っ立っていた。 「おはよ、今日もよろしくな!」  笑いながら親指を立ててみる。みんな苦笑したり、呆れたり、無表情でスリッパに履き替え、オレの横をすり抜けていく。  あーあ、とんだ黄昏どきだぜ。  そうそう、黄昏というワードを出したからには宣伝しておこう。 『黄昏バッドロマンス』は、月刊誌の月刊ミスクでまあまあ好評で連載中! 現代の青少年の甘酸っぱい恋の話から、中性ヨーロッパの空想的な話まで、幅広く描いているぜ! 説明なく現代と中世が行き来しまくることがあって、自由に描き過ぎて担当にもたまにブチギレられるんだぜ! もうやってらんない――  スパーン!  スリッパが顔面に振り下ろされた。コイツマジで容赦ねぇ……。 「真上見てどうしたんですか? 天井の模様でも眺めてましたか?」  「……あのなぁ、一応オレだって女なんだから、フェイスはダメだって。ボディーにしてくれないと」 「それじゃ、お言葉に甘えて……」  スリッパを両手で持ち、つま先部分をこちらに向けてくる。ドスで突進を仕掛けてくるヤのつく人かな? 明らかにみぞおちを狙っているし。 「いや、ゴメンゴメンゴメンゴメン。マジでゴメン。今から爆速でマジマッハでやりますんで」 「最初からそうしてください」  こうしてオレの労働時間は始まり、天国と地獄が入り乱れる狂乱の夜が幕を開けたのだった。 「余計なことを考えないで、ストーリーを考えてください!」 「お願いだから、人の思考を読み取らないでくれるか」
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