六章・空と海と大樹

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六章・空と海と大樹

 歩いて、歩いて、歩いて、歩く。時々座って休憩して、そしてまた歩く。その繰り返し。  あれからどのくらい経っただろうか? 二人とも時計を持っておらず時間経過が体感でしか計れない。  とりあえず彼方に見える大樹を目指すことにした。どの方向を見てもそれ以外には空と海しか無いので仕方が無い。それぞれの世界へ戻る方法を探すためにも、今は落ち着いて休める場所と食料が必要だ。  先行する雨音(あまね)。少し遅れてついていく雨楽(うがく)。二人ともしばらく前からしきりに腹の虫を鳴かせている。けれど食料は見つからない。水面下には魚一匹見当たらず、空を飛び回る鳥の姿も皆無。今のところ生物は自分達二人とあの木だけ。  水だけは豊富にある。便宜上“海”と呼んではいるものの、足元に広がるそれを試しに飲んでみたら塩辛くなかった。真水らしい。しかも不思議なほど無味無臭。喉が渇くたび手の平で汲み上げて飲んでいるものの、味を感じないため空気を口に含んだような錯覚に陥る。水温は若干温い。  不思議なことは他にもあった。空のどこを見ても太陽が無い。こんなに明るいのに光源が見当たらない。 「あの木の向こうに……太陽が、あるのかな……」 「それなら影がこっちに伸びていないと、おかしいですよ……」 「そ、それも、そうか……」  あれだけの巨木だ。裏に太陽が隠れているなら、たしかにこのあたりも影になっていなければおかしい。  では自分達の影はどうなのか? 確認しようにも、水面に光が反射しているせいでよくわからなかった。  ふと思いついた雨音は左手を持ち上げる。立ち止まって水平にしたそれを観察してみると影もまた水平になっていた。つまり真上から照らされている。  ところが頭上を見上げても、やはり太陽の姿は無い。  まさか空そのものが光源だとでも? 「もしかして、液晶ディスプレイみたいに映像を映してるだけなんじゃ……?」  ここが巨大な人工施設の中だとすると、とてつもなく高度な文明の産物だろう。自分達の知る地球の技術力でこれほど広大な建築物を生み出せるとは思えない。  ただ、もしそうだとしたら希望もある。果ての無い広さに見えているだけで、どこかで必ず“壁”に行き当たるだろうから、探せば出口が見つかるはずだ。人間がいれば帰還に必要な情報も得られるかもしれない。  とはいえ闇雲に探してどうにかなる可能性は低い。やはり、まずあの大樹まで辿り着くことが先決。  彼女が冷静に脱出の糸口を探る間、雨楽の方はと言えば妙に落ち着いている自分の心に戸惑っていた。 (どうしてかな……)  ここで一生を終えるのかもしれない。なのに焦りが無い。でもそれは別にいいやと自暴自棄になったからでもないと思う。 (死んでも元の世界に戻れるから……?)  ネットワークの力を借りた跳躍では異世界に仮の肉体を造って行動する。だから自分は死んだら元の世界に戻るだけ。そのはず。  でも、そしたらこの世界に雨音を置き去りにしてしまう。それは嫌だ。むしろ彼女だけでも元いた世界に帰してあげたい。少し乱暴だけれど、お父さんのため頑張っている健気な子だ。とても別の世界の自分とは思えない。  どうして、こんなに落ち着いている?  ここで死ねば、これ以上父と母に迷惑をかけずに済むから?  違う。  ここにいたら、もう雨音以外の誰とも触れ合わずに済むから?  違う。  ここから出られると思っているから?  わからない。  雨楽は再び彼方の木を見上げる。少しずつ距離は縮まりつつあった。さらに視線を持ち上げ、霞んで見えない幹の上部に向かって目を凝らす。  あそこへ行こうと言ったのは彼だ。雨音も食料や休める場所を確保するにはそれがいいだろうと同意してくれた。だが、彼が提案した理由は実のところ異なる。  正しくは理由なんて言えないような、よくわからない予感があるだけ。あの場所へ行くべきなのだと、強くそう感じる。 「はぁ……」  汗が滴った。気温は高くない、むしろ快適な温度。けれど風一つ吹かないので運動量に応じ肉体が熱を持つ。また味のしない水をひとすくい口に含み、飲み込んで、足で蹴立てながら雨音の背中を追う。  自分達以外誰も見当たらない世界で、二人はひたすら歩き続けた。  それが落ちて来たのは、近付きすぎて幹が視界の全部を塞いでしまった頃だった。突然ものすごい水音がして、何事かと思った二人がその方向を見ると、水面にプカリと木の実らしき物体が浮かんでいたのだ。  大きさはヤシの実くらい。けれど見た目は、どちらかと言えばクルミに近い。 「これ……食べられるかな?」 「わかりません……とりあえず開けてみましょう」 「でも道具が何も」  無いよと言おうとした雨楽の眼前で雨音は殻の隙間に指を差し込み、あっさり力づくで開いてしまった。 「すごい……」 「いや、ほら、私“星憑(ほしつ)き”だって言ったじゃないですか」  唖然としている彼に、そう言い訳する彼女。  直後、何かを察して眉をひそめる。 「もしかして、雨楽さんの世界にはいないんですか……? 星憑き……」 「聞いたことない……僕が知らないだけかもしれないけど……」 「なんだ、そうだったんだ」  並行世界だから彼の世界でも当たり前の知識だろうと思い込んでいた雨音は、ようやく認識の差異に気付いて説明する。 「私の世界には“マガツボシ”……えーと、珪素生命体という宇宙から来た生き物に寄生されてしまった人間が三億人ほどいるんです」 「えっ」  いきなりとんでもない話を聞かされ、雨楽の方は目を見開く。 「そ、それって、宇宙人?」 「人ではないですね……なんというか、寄生虫の一種みたいなものかな。知性も有るのか無いのか未だによくわかってなくて。ただ、マガツボシに寄生された人間は超人的な身体能力と身を守るための武器を獲得するんです」 「武器?」 「私の場合は嗚角(おづの)……あの日本刀ですね。あれは私が寄生された直後に体内から排出した刀に近い形状の“武器”を扱いやすいよう加工したものなんです。まあ、つまりは動物の爪とか角みたいなものだと思ってください」  個々によってその形状は違う。どうやら宿主の持つ“身を守るもの”のイメージが反映されてしまうらしく、日本では古来から“刀”に似た形になることが多かった。そのため、そういった武器を持つ者達を“妖刀使い”とも呼ぶ。 「そういえば嗚角って、雨楽さんの世界にありますか……?」 「えっと、あの刀なら倒れていた場所に落ちてたはず……多分、後から警察が回収したんじゃないかな……?」  確認はしていないけれど、救急車の後にパトカーが現場へ駆けつけて来たところは見た。誰も住んでいない屋敷で血まみれの少女が見つかったのだから当然の話である。  その説明を聞いた雨音は頭を抱える。 「あああ、やっぱり。もう一回行って回収しないと……」  嘆きつつも、彼女は二つに割った木の実を持ち上げてみせた。 「まあ、そんなわけで私は普通の人間より力が強いし、頑丈だし、傷の治りも早いんです。もっと詳しい説明も出来ますけど、それは後にして今はこっちを調べてみましょう」 「そうだね」  同意する雨楽。彼女の世界の話にも興味はある。でも今は食料の方が重要。なにせ二人とも空腹なのだ。 「なんかこう……チョコみたいな匂いがしますね」 「うん……美味しそう」  殻の中には白い綿のような果肉が詰まっていた。匂いだけならチョコレートに似ていて食欲をそそる。しかし味までそうだとは限らない。毒を持っている可能性だってある。  食べられるかどうかわからないものを口にする場合、まず手首や手の甲にそれを乗せて毒性が無いかを試す可食性テストという方法がある。皮膚に触れさせてしばらく経っても腫れなければ次の段階に進み、今度は唇に当てて反応を確かめる。それもクリアできたら舌に乗せてみて、最後にほんの少しだけ実際に食べて様子を見る。  しかし、この二人にそんな知識は無かった。空腹の度合いもすでに限界に近い。雨音は育ち盛りだし雨楽もまだ二十歳。食欲は旺盛。  そこで雨音が提案する。 「私が先に食べてみます」 「ど、どうして? 試すなら僕の方が」  何かあった時に頼りになるのは雨音の方。そう思ったのだが、彼女は「いやいや」と顔の前で手を振る。 「雨楽さんが無事なら解毒してもらえるじゃないですか」 「あ……」  そうだった、今の自分にはそういう力があるんだった。 「しっかりしてください、自分のことでしょ」 「まだ使えるようになったばかりだから……ごめん」 「あ、そうなんですか。なら仕方ないですね。私も星憑きになったばかりの頃は力加減を間違えて色んな物を壊してましたし」  喋りつつ綿のような果肉を毟り取り、口に放り込む雨音。止める間も無い。  直後、彼女の顔は思いっきりしかめられた。 「どうしたの!?」 「す……すっぱ……苦い……」  心配した雨楽にそう答える彼女。どうやら味は良くないらしい。 「こ、これしか食料が無いんだとしたら最悪ですよ、この世界……って、あれ?」  雨音は何かに気付き、さらに白い果肉を毟り取る。するとその下から茶褐色の種らしき球体が出て来た。 「これは……」 「見た目もチョコレートみたいだね……」 「……いきます」  言うなり、またしても口に入れる雨音。すると今度は大きく目を開き、恍惚とした表情で天を仰ぐ。 「美味し~! こっちは甘酸っぱい!!」 「本当?」  じゃあ自分もと伸ばした彼の手を、ピシャリと叩き落とす彼女。 「雨楽さんはまだ駄目です。毒があったら治してもらわないと」 「そんな……」  こっちもお腹が空いているのに。情けない顔で肩を落とす彼の目の前で、同じ顔の少女は幸せそうに次々と種を口に放り込んでいった。  結局、雨楽が食事をとれたのは一時間ほど後のことである。可食性テストでは食後八時間は様子を見た方がいいと言われているが、そんなには待てないし知識も無いため雨音の許可が下りるなり、すぐに自分の取り分に手をつけた。 「あ、本当だ。チョコレートとは違う味だけど、甘くて美味しい。触感はグミみたい」 「ですよね。天然でこんな濃厚な甘味が出せるなんて驚きですよ。持ち帰って栽培しようかな」  雨音がそんなことを言うので、雨楽は「やめたほうが……」と忠告する。  以前レインから受けた説明を思い出したのだ。レインボウ・ネットワークの跳躍機能が精神だけを現地に飛ばしてアバターを動かす方式なのは、別の世界から未知のウイルスや細菌を持ち込まないためでもあるのだと。もちろん自分の世界から跳躍先に危険な生物を運んでしまう可能性もある。  説明を受けた雨音は、何故か激しく動揺した。 「そ、そんな……じゃあ、まさか……」 「どうしたの?」  問いかけても返事が無い。何か酷くショックを受けてしまったようだ。  彼女が黙り込んでしまったので、その後の食事は雨楽一人で黙々と続けることになった。自分だけでなく母にも瓜二つの顔立ちなので、いつもの朝食の風景とその気まずさを思い出す。  彼が食事を終えると、ようやく雨音の口が開いた。 「私のせいかも……」 「え?」 「お父さんの病気……私のせいだったのかも……」 「あっ……」  そうか、彼女の父は原因も治療法も不明な病気だと言っていた。もしも発症した時期が彼女が異界渡りを身に着けた後だとすると……。 「わ、私のせいで、お父さん……」  自責の念で泣き出してしまった彼女に、してやれることが思いつかない。君のせいじゃないなんて、何の根拠も無く言ったって意味が無いから。  だから雨楽は、ただ近くに座っていた。彼女が泣き止むまで、ずっとその場から離れず見守っていた。
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