息子のセフレ

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息子のセフレ

  「ん、んぅ、んっ……てん、がい」 「文彰さんっ、キスしよっ、ねぇ、キス」  くちゅくちゅと卑猥な水音が、章太郎の鼓膜をなぞる。衣擦れの音に混じって、ベッドのスプリングが揺れる音がした。 「んっう、んぐぅ、あっ」 「ふぅ、ねぇ、文彰さん、自分でおっぱい弄ってよ、好きでしょ」  章太郎は嵌めていたイヤホンをぐりぐりと耳穴に押しつけた。掠れた声に荒い息遣いは、天外が「恋人」だと言った男のものか。 「てん、がぃ……あっ」 「俺、下扱いてるから。ほらぁ、おっぱい触って、文彰さん、そこ弄られるの好きじゃんっ、ほら」 「あっ」  抑えつけた息遣いに、声が洩れる。恥らうような吐息を感じ、章太郎の咽喉仏が上下した。 「あ、んぅ、あ、てんがっ、いっ、い、いくっから」 「俺も、イくっ、一緒に、」  章太郎は深呼吸をして、イヤホンを卓上に置いた。微かに漏れ出す音声に慌てて、ボリュームを下げた。 「会長……?」 「……一人に、一人にしてくれ」  ドアが開き、秘書の吉野がノートPC片手に入って来る。絞り出した声が、酷くしゃがれていた。章太郎は両肘を付き、頭を抱えた。 「二時間後の定例会について――」 「わかってる……一人にしてくれ」 「……はい」  諦めた秘書が、足音を立てずにそっと出て行く。二時間後、千代田区の商工青年会議所会館で、定例会が予定されていた。あと少し、時間はある。震える指で、再生ボタンを押した。 「んっ、ぅん、ん……」 「文彰さんっ、気持ちいいよ、いい、ねっ、文彰さんもそうでしょ?!」 「あっ、あぁ……う…んっ」 「文彰さんっ」  違う。ここじゃない。30秒後、早送りして……行き過ぎたか……いや、最初から。カチカチとマウスを動かす音が、会長室に響く。イヤホンから聞こえる声に息を潜め、章太郎は音量を上げた。  天外が「恋人」だと言った男の、乱れた声がリピートされる。荒い息遣いを押さえようと、時々、掠れた声が聞こえる。息子の興奮した声に、掻き消されるのが惜しかった。  調査会社に提出されたUSBに収められた、3分間の音声。ほとんどが天外の声だった。恋人がいるなどと言ったが、実際は「セフレ」「気楽に」「楽だよ」等々、男を丸め込むような――馬鹿にした口調で、肉体関係に持ち込んだようだった。  ガタガタと乱雑な音がして、ピタリと音が止んだ。耳を凝らすと、衣擦れの音がする。どっちが、脱いでるんだ。思わず章太郎は息を止めて、耳に全神経を集中させた。  天外は、セフレに自分で胸を弄らせるのが好きなようで、何度も「触って」と指示する声が、収められていた。恥ずかしそうに上を脱いで、乳首をいじる男を想像して――秘めた吐息に、章太郎は生唾を飲み込んだ。  3分間はあっという間で、何度も何度も、再生ボタンを押す。  できるだけ、息子の声が被っていない時間。セフレの――文彰の声が聞きたい。20回ほど再生したところで、1分45秒辺りがベストな音声だと発見した。  提出されたUSBは、これが初めてではなかった。以前から、定期的に提出されたUSBは計3本。これが決定的な場面だと言いたげに、意気揚々と、調査会社は3本目のUSBを出してきた。  今まで提出された音声には、天外の機嫌を取るように「ごめん」と繰り返す謝罪。天外に詰 なじられ「うん、うん」と弱々しい声が収められていた。情けない中年の声……普段のぼそぼそとした暗い声とは、正反対だった。  ベッドで体を弄られて、快楽に蕩けた声。喘ぎ声を押し殺した息遣いで、果てていた。一体どんな表情をしているのか……章太郎は提出された写真を、袖机から引っ張り出した。  沖倉 文彰  43  どこにでもいそうな、中年だった。元はソノザキに寄生していた、卸売事業会社に90年代に入社。章太郎のグループ改革により、ソノザキ食品に組み込まれた一社員だった。  典型的な中年太りはないらしく、腹は出ていないが、とにかく猫背で姿勢が悪い。天外と連れ立って歩く写真のせいか、なおさら不格好に見えた。  表情も暗く、天外の美貌に隠れるような男である。ソノザキ食品でも、肩たたき要員らしく、社内の鼻つまみもの。こんな平凡より下の、同性として魅力のかけらもない男に、天外はどうして。  よりにもよって、こんなしょぼくれた男に、天外は執着している。  信じられなかったのは、関係に拘っているのは息子の方だったことである。押しかけ女房よろしく、中年のアパートを訪れて、「セフレ」に持ち込んだのは、息子の方であった。  どうしてこんな男に?――「決定的な」音声が届く前は、息子の趣味の悪さを嘆いていた。  1分45秒に戻る。何十回目かの再生ボタンを押したところで、体が熱くなっていた。熱の原因である下腹部に、視線を落とす。股間が張りつめ、スラックスを押し上げていた。  引き出しを漁り、ティッシュケースを出した。時計を確認すると、定例会まで1時間を切っていた。  今頃、吉野の元に電話やメールが大量に来ているはず。秘書を呼びつけようとして――あと少しだけだ。章太郎は震える指で、ベルトを外した。  妻に先立たれて十年。存命中も愛人がいなかったというのは、嘘になる。ソノザキグループ系列の、新商品CMに、宣伝に――これを使ってやって下さいな。  片手で掴める程の小さな顔に、濡れたような瞳。ピンク色の唇を結んだ、可愛らしい女をあてがわれてきた。  接待に用意された女を抱かなければ、気取っていると馬鹿にされるか、不能だと陰口を叩かれるだけ。見栄と義務感から、若い女を抱いてきた。  鬱陶しい気持ちが勝り、長く続いた愛人はいなかった。多忙な毎日の中で、わざわざマンションを買って、住まわせようと思うほど、入れ込むこともなかった。  手が震えて、ベルトを外すのに、時間がかかった。股間が張り詰めたせいで、チャックを降ろすのに手間取ってしまった。  勃起して痛みを覚えるなんて、何年ぶりだろうか――50を過ぎると、めっきり欲が減少した。所属する商工青年会の同期には、愛人を何人も侍らせる漁食家もいるが、皆、一様に声を揃えて言う。「精神的なつながりが欲しい」  若い、目標に向かって頑張っている若者を支援した。勇気付けたい……言葉通り、若者に小遣いをやるメンバーもちらほらいた。  性欲は激減したが、「精神的なつながり」とやらを若者に求めたことがない章太郎は、冷めた目で見ていた。富も権力も、ある程度の地位に昇り詰めて、満足した同期達。  まだた、まだ。自分には、経団連会長の椅子が残っている。  性欲よりも、権力欲に憑りつかれた男は、会長室でスラックスをずり下げていた。イヤホンから漏れる、喘ぎ声に集中する。  天外に押し倒された中年は、どんな顔をしているんだ。音だけでは、限界がある。  下着を降ろすと、勃起したペニスを勢いよく扱き出した。 「……ふ、ぅん、ふぅ」 「あ……あぁ、んっ、んぅ、てん、がいぃ」 「……んっ」  文彰さん、文彰さんと、興奮した息子の声がうるさい。片手で静止ボタンを押す。扱きながら、1分45秒前に巻き戻した。 「んぁ、あっ……も、もうイく、イくからぁっ」 「ふみあ――」 「ふ、ふみあきっ」  しんとした室内に、章太郎の声が響いた。手元を見ると、べったりとした白濁液で、汚れていた。独特の臭いが鼻につき、章太郎は虚しくなった。  出していたケースから、乱暴にティッシュを取り出す。ベタベタした精液を拭うと、虚しさに拍車がかかった。  息子の下で、組み敷かれた文彰の表情が見たい。  服装を整えると、PCからUSBを引き抜いた。一応、これは証拠として、バックアップを取っておくことにした――機械はいつ何時、故障するかわからない。  章太郎は自ら、調査会社にメールを出した。  調査内容には概ね、満足している。しかし音声だけでは、確固たる証拠として、いささか欠けるのではと、不安があること。より明確な、相手が、言い逃れができない証拠が欲しい。ここまで書いたところで、補足として付け加えた。  引き続き、調査は交際相手の家も含むこと。  オプションで、追加料金があるのなら、いくらでも金は払うと――偉そうな文言にならないよう、章太郎はメールを打った。  ここまで書けば、調査会社も察して、画像を提出してくるだろう。  章太郎は久々に、胸のときめきを覚えていた。  文彰のセックスが見たい。抑えた声も色っぽいが、ベッドで我を忘れたような、痴態が見たい。あの陰鬱な顔が、どんな変化をするのか。  男のペニスを突っ込まれた文彰の声、表情、体、全部が見たかった。天外と腕を組んで歩く、文彰の写真を舐めるように見つめる。  息子に犯されて、ぐちゃぐちゃになった男を一目、見たい。泣いているのか、快楽でだらしのない顔をしているのか、苦痛に顔を歪めているのか。  章太郎の中の「文彰」は、表情がころころ変わっていく。射精して、幾分か収まった熱も、また痛みと共に伝えてくる。  写真の「文彰」を視姦しながら、章太郎は股間をまさぐっていた。
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