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ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ、ピピッ
「んー、あー……おはよ」
「んん」
「みきー、…………あぁ、おきなきゃ!」
共に迎える朝は、いったい何度目だろう。
寝ぼけ眼の彼女の頬に自身の唇を押し当てると、まったくそれを離せないまま、体全部で彼女を抱き込んで再びベッドに沈み込んだ。日曜日の朝とも昼ともいえないぼんやりとした時が過ぎる。
今日の十五時には、あの両親と会わなくてはならない。その予定が入っていた。……会いたくなかったのだ。つきたいわけじゃない嘘を強要されている。そんな呪縛に脳みそは捕らわれて、自分で自分の首を絞めている気がしてならなかった。
「ごめんね」
「……?」
「今日一緒に居れなくて」
「……」
なんとも言えない顔をして、彼女は私を短くギュッと抱きしめた。
簡単な食事を済ませ、身支度を整え、少しの間気の抜けた談笑をしていると、時計は十四時を回っていた。せっかくの休みを彼女と離れて過ごさなければならない、そのことが惜しくてたまらなかった。
窓の外の空には、ダークグレーの雨雲がひしめき、ぽつりぽつりと涙のように落ちる雨粒が、世界を虚しさで包んでいた。
「雨だ……傘持ってる?」玄関で彼女を見送りながら聞いた。
「うん。折りたたみ、持ってるよ」
「そっか。あっ、そういえばさ、これ、持って帰んなくていいの?結局随分置いたままだけど……」
そう言うと玄関の片隅の傘立てに佇む紺色の女性ものの傘を指した。
「んー……今日は傘、持ってるし……もう少し置いといていい?」
彼女は口角を上げて笑ったが、その顔は愛想笑いだと、その時ふと気が付いた。
「わかった。じゃぁ夜また、連絡するね」
「……ねぇやっぱり、挨拶するだけしちゃだめ?」
「未希……」
「付き合ってる、とかじゃなくて、同僚としてでもいいし……」
「…………ごめん」
玄関先で彼女の悲し気な顔を見ることほど、辛いものはない。……彼女なら、理解して、微笑みを向けてくれるだろう。きっと……!
「じゃぁ……またね」
彼女はゾッとするほどフラットな瞳で私を見た。
急に不安が私の中に現れた。この自己保身が、いつか私自身を不幸に陥れるんじゃないか。慌てて彼女に好かれようと、玄関を開けて外に一歩出たところでこちらを向いている彼女に、片手だけ追いついて、体を引き合わせ、胸に抱いた。彼女の先の湿潤な空は、綿のような粗さの雨を降らせ、カンカンとアパートに打ち付けていた。
パンプスの片方を踏みつけて、取り繕うように彼女の唇へ、キスをした。
「あんた、何してるの」
その声は、轟音の稲妻でかき消された。
「…………おかあさん」
「……優衣!はっ、離れなさい。なんで、なんてこと……!」
血の気が引く。彼女の体を引っ張って強く胸に寄せた。早く扉を閉めて恐怖の現実をなかったことにしたい。母親は外階段を登り切ったその場所から、ずんずんとこちらに向かってきては、閉まる前の扉を手で制した。
雷が光ってどこかに落ちた。それも何度も何度も。
締め付けた腕の中の彼女は、不安そうに私の顔を眺めてから、母親にそっと瞳を寄せた。
「……あの」彼女は私から優しくそっと体を離すと、遠慮がちにつづけた。「初めまして。上乃と申します」
「っ、今日は、縁談をもってきたのよ。あなたに。ほらこれーー」
「お母さん!」そう言った時、母親の後ろにこんな時でも無表情な父親がいることに気が付いた。「あのね、……っ」
「…………ほら見なさい。」
「優衣さん」心配そうに彼女が声をかける。
「優衣、だなんてっ!」その声に彼女は驚きおののいた。
彼女に触れる腕にギュッと力を入れる。
「……許されないわ。レズビアンなんて、そうよ、ねぇ、ねぇ!後生だから!だって、ありえないわ。……自分が何をしているかわかっているの?あなたはちゃんとした人と、ちゃんと結婚して、子供を産むの。そうでしょ?……今までどうして育ててきたと思ってるのよ……同性愛なんて欠陥なのよ!」
――何それ
彼女を家の中に入れるようにしながら小さく、首を振った。
「何それ……なんでそんなこと言えるの。今までずっと、お母さんが望むように生きてこようと頑張ったよ。理不尽な……哀れな……私たちは生きていくなってこと!?でも。そう、それなら、もういい。そんな家族なら……ぃ、いらない。帰って。帰ってよ!」
雷の音が合図のように強い雨を降らせ、この家の外を満たしていた。
扉を強引に閉じ、自分と彼女を自室の内側に避難させると、しばらくは抵抗していた両親もじきに去った。
雨音と抱きしめた彼女の吐息だけしか聞こえはしなかった。
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