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映画の最中、ずっと胸が苦しかった。押しつぶされたように、胃の辺りが痛んだ。土曜日の映画館は人であふれていたが、一人ぼっちの心地がしていた。
暗闇の中で大画面は不健康そうな光を放っている。音も動きも全て作られた嘘っぱちだ。それなのに、私たちはこれに感謝をして、笑う。
今日の服装は、大ぶりのニットに細かいプリーツの入ったスカートだった。スカートを手に取った時、雨の中の彼女の姿が蘇った。私は本音を偽っているのだと、心の中でそんな感情が絶望のように湧きあがってきた。
待ち合わせの午後二時、空の風が雲を引き寄せ、世界の彩度は失せていった。
彼の姿は既にあった。歩調を変えることなく彼のもとへと近づく時、横切った家電量販店のテレビが、聞いたこともない政治家の不倫騒動を伝えていた。気持ちがぐらぐらと揺さぶられ、出会い頭に不愛想な笑顔をしてしまっている、そのことを自分でも自覚するくらいだった。
だがどうしても、模範的に笑うことは難しすぎた。
和馬とは付き合い始めて三年が経つ。同僚だった。彼はほとんど予想通りの人だった。取引先に愛想笑いをし、上司の言う事は素直に聞き、三十歳を前に将来を見据えて転職した。適齢期になれば祝福される結婚をし、子供は二人、ベッドタウンに家を買い、基本は優しく、時にわがままに、ささやかでありふれた人生を送る。その人生設計に危機感は感じられない。このまま笑顔を絶やさなければ、私の目の前にはまっすぐ伸びた美しいレールがあるはずなのだと思った。
「ねぇ和馬?」
そうやって話を切り出すと、彼はすべてを悟っているかのような顔をあげた。
映画館を後にし、のどを潤すため訪れた全国チェーンのありふれたカフェで、オレンジ色の温かな照明は、上から下へ規則正しく役割を果たしていた。彼の少しだけ鋭い左目は、私をまっすぐに見据えて離す気はないようだった。白目に照明が入って、潤んでいるかのように反射した。気まずさに耐え切れなくなって私は、視線を落としてしまった。テーブルの表面には、綺麗な木目がはしっている。私は何となしにその流れを、上から下へと目でなぞって、次の言葉を繋げた。
「ごめん、別れたい」
口から出た言葉はもう戻らない。すぐに心臓がバクバク脈を打ち、浮遊感が私を支配した。血潮が駆けずり回っているようで、手先指先は氷のように冷たくなってしまっているのを感じた。
「………………ちなみに、なんで?」
「なんで……」
「……好きな人でもできた?」
「ちがう」
「じゃぁ、なんで」
「ごめん……」私は必死で考えていた。「……自信がなくなっちゃったの。自信が。和馬は、何でも自分で考えて行動できるし。優しくて、私にすごく優しくしてくれて……だけど、そんな和馬、私にはもったいないと思う」
そう告げると、想像に反して、彼は引き留めはしなかった。
これで良かったのか悪かったのか、わからなかった。けれど、この自由に対して、弾む気持ちを隠せはしないのだと、天にも昇る気持ちだった。
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