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夜は色とりどりの光であふれていた。きらきらと楽し気に、動いたり瞬いたり、上や下や斜めに、繁華街のネオンは、そうやって各々が無関心に輝いていた。
彼女の歓迎会の帰り道。入社して二週間ばかり経った金曜日の夜だった。
この日の天気は良好で、夜空は美しい透明感のある空気で満ちていた。
彼女はあまり自分を語ろうとはしなかったが、聞かれたことを濁すようなことはしなかった。今年二十五歳になること、十月生まれのB型で、地元は東京の立川市、大学は文学部で、四つ上の姉がいる。そんな上辺のデータはそろった。
彼女は明るく、微笑みを絶やすことはなかった。それでいて窮屈そうなこともないようだった。居酒屋の無礼なライトの下でも、夜空のように澄んでいた。
みな散り散りになった後、私と彼女は二人になってゆっくり歩みを進めていた。アルコールの程よい陽気に満たされ、どうでもいいようなことに笑いあった。
私はどうやら、二人の間の空気感に気を取られすぎていたようだった。
「上乃さん、地下鉄?JR?」
「へっ?……忘れたなんてショックです。わたし高田さんと最後まで一緒ですよ?」
「あっそうだよね……そうだよね!忘れてたわけじゃないの。そういえばちゃんとあの時の、駅で会った時のこと聞いてなかったし……うん。ごめん、考えなしに、話してた」
「知ってて、だからずっと隣にいてくださってるんだと思ってました。心配して。……本当のところはわたしが二人っきりになりたかったんですけどね」
「えっ!?」
「ふふ。……はぁ。あっ!ほらっ、赤なっちゃう!」
彼女は声を上げて、私の顔を勢いよく見つめた。目の前の横断歩道の信号が点灯から一転、点滅を始めたところだった。辺りの通行人も速足を始めだした。彼女のその豊かな表情は、いったいどこから生まれてくるのか、どうして、出会って間もない私に対して、そんな真っ直ぐでいられるのか、不思議でたまらなかった。
そうして、彼女は危険に駆け出した。
「えっ!」思わず漏れたその声が消えないうちに、追いかけるしかなかった。
白と黒の横縞の少し先に、ネオンに包まれて走る彼女がいる。その背中に追いついて、横目で顔を合わせ笑いながら、小気味よい足取りで一緒に駆ける。関係のない周りの人がいくらいようと、同じ速度を保っているから彼女だけは離れない。世界がその時だけ、私と彼女、二人きりになった気持ちがした。
横断歩道がついに終わりを迎える時、私がほっと安心したと同時に、彼女の「ひゃっ」という小さな悲鳴が聞こえた。
バランスを崩した彼女は不安定な形をしていた。脱げた靴の片方が白線の上に転がっている。驚きと恐怖で強ばった彼女の表情を見つけると、私の右手は知らぬ間に彼女へと向けられていた。自分の靴が脱げたことに気付いた彼女は、足元を見返して脱げた靴を履きなおしながら、私の胸に飛び込むようにして舞い込んだ。私より小さな華奢な体。彼女の勢いもあって、強く抱きしめる形となった。両手にぎゅっと力を入れた。その一瞬、頭は真っ白だった。彼女の後ろで、止まっていた車がゆっくりと動き始めていた。信号は赤に変わっている。「はっ……はぁ」と、二人で二回呼吸をすると、ゆっくり体を離して顔を見合わせた。彼女の上目遣いの瞳は、豊富な意味を持ち合わせ、潤んでいた。少し乱れた彼女の髪の毛が、そよ風を受けて揺れると、かすかな香りが鼻腔をくすぐった。
「もう!何してるのよ!心臓止まるかと――」
こんな感情的に声を出したのは何時ぶりだろう。叱責よりも笑いが込み上げた。
肩で息をしながら見上げた空は、繁華街のビルを越えて、遠くに広がっていた。
彼女は申し訳なさそうな顔をしたが、私が笑うものだから、つられて少し安心した風に「ごめんなさい、本当に」と話した。
それから私たちは、ゆっくりと歩いて、地下鉄に乗って帰った。
彼女は少し神妙な雰囲気をして、口数は少なかった。電車を待つホームドアの前で、彼女は、小さくそれでいてはっきりした声色で、私に尋ねた。
「彼氏いますか?高田さん、今」
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