(6)離れた手★

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 院内に併設されたカフェは二階にある。  あの大きな窓のある待合室のちょうど上にあたる場所だ。圭介が見ていたあの月は、若干高い位置になるがこの喫茶店から眺めることができる。  窓際の席に朋美を誘った。  今夜は月が見えない。白い円テーブルに椅子が四脚あり、他の客からもほどよい距離があった。奥の席を朋美に勧め、手前に陣取った。コーヒーを二つ注文する。 「で、話って?」  今日の彼女は、ベロア地のキャラメル色のジャケットに黒いセーターを合わせている。細身のジーンズにベロア地のパンプス。  茶色のふわふわの柔らかい髪は、いつのもようにハーフアップにしている。普段どおりの彼女のはずなのだが……。  雰囲気が違った。 「あのさ、率直に聞くけど。近衛くん、圭くんになにかした?」  彼女の言葉は一言目から本当に直球だった。いきなりの本題に、思わず息をのむ。 「なにか、って?」 「分からない。でも、圭くんの様子が変なのよ」  どう答えていいものか、と近衛は困惑する。圭介の異変であれば、おそらく原因は自分である。ただ、それを朋美にすべて素直に打ち明けるわけにはいかない。  答えあぐねていると、タイミング良くウエイトレスによってコーヒーが提供された。  ひとまず話が中断される。朋美はコーヒーに砂糖をミルクを入れてスプーンでかき混ぜる。そういえば彼女はブラックコーヒーが苦手だったなと思い出す。  近衛に提供されたスティックシュガーとコーヒーフレッシュも渡すと、いつもの朋美の表情に戻り、嬉しそうに二つ目を投入した。    近衛も落ち着くために、とりあえずコーヒーを一口含んだ。少し気持ちが落ち着いて体勢を立て直す。 「それで。圭介の様子が変って?」  近衛が口火を切る。朋美が具体的な話を出してくるまでは下手に語るのは止めておこうと思う。  日向からは、圭介が眠れていないから睡眠導入剤を処方したと聞いている。それだけでも十分異変であることは分かっている。  朋美は視線を落とし、口を開いた。 「……圭くん、何でもないようなフリをしてるよ。毎日普通に過ごしてる。試験勉強が大変で、寝不足って言ってるけど……」 「今は試験期間だろう?」  近衛はそう応じる。試験勉強で寝不足なんて、高校生にはよくあることだろうと言外に含ませる。  しかし、朋美は首を傾げて同意しかねる反応を見せる。 「確かにそうなんだけど。でも、見ていると、眠る時間がないわけじゃなくて、寝たいけど眠れないのかなって」 「なんでそう思うの?」 「……試験勉強って言ってるわりには、あまり勉強に身が入ってなさそうだから」 「手厳しいね」  近衛が笑うと、朋美は圭くんにもそう言われたと笑った。  朋美は、近衛が思っていた以上に圭介をよく見ていた。これでどうして圭介の気持ちに気がつかないのかと思うが、こと自分に関する部分は見えないものなのだろう。  彼女は時として想定外の行動を取る。これはどんな言葉が飛び出してくるのだろうかと、近衛は密かに気を引き締めた。 「はっきり言うとね、圭くんの寝不足は近衛くんが原因じゃないかって思ってるんだ。だからここに来たの」  来た、と思った。鋭い。 「それはまた。どうして?」  朋美は近衛の問いかけに即答した。 「一度、圭くんが近衛くんの名前にすごく動揺してたから。あー最近仲いいけど、喧嘩でもしたのかなって思ったの」  それだけ、と言いつつも声に力がある。彼女にはある種の確信があるのかもしれない。  近衛はこれまで、朋美との付き合いは尋生を通してのみで、彼を含めて三人の関係しか持ってこなかった。親友の彼女であるのだから当然で、このように一対一で話したことは、長い付き合いの中でもあまりない。  これまで近衛は朋美に対して天真爛漫というイメージを抱いていた。このような鋭い視点も覗かせるのだと、初めて知った。  朋美は圭介を本当に思っている。だからふとした仕草で、朋美は圭介の心の傷に気がついたのだろう。 「圭介には直接聞いてみたんだ?」 「うん。でも、なんとなくはぐらかされてしまったわ」  好きな人に、そのような心配をされるという立場は、圭介にとっても複雑だろう。余計なストレスを与えてしまっていると改めて思う。  圭介はそこまで踏み込んできた朋美にも何も語らず、何事もないように毎日を送っているらしい。それならば、こちらが言うべきことではない。 「……そうだったんだ。でも、俺には心当たりがないな。役に立てなくてごめん」  近衛が簡潔にそう締めると、朋美は溜息を吐いた。 「なんだ。近衛くんもわからないのか」  本当に意外だったようだ。その反応に少し興味が湧いたので、逆に聞いてみた。 「俺が知ってるって、そんなに自信があったんだ?」    朋美は砂糖とミルクをたっぷりいれたコーヒーカップを両手で包み込んだ。少し考えている様子。言葉を選んでいるようだ。 「……あのね。  近衛くん、圭くんのこと、好きでしょ?」  その言葉に「うん」と即答する。これは特別な感情を指しているわけではないと判断した。従兄として身近な大人として、圭介は可愛いし好きだ。 「圭介は可愛い従弟だ。好きだよ」  その返事はなぜか朋美の納得が得られないようで、僅かに頭を左右に振って、言葉を重ねる。 「んー。というかね、そういう意味じゃなくて……。  えっと、もし違ったら勘違いだから気にしないでね。近衛くん。圭くんを見る目つきが違うの」  は?  何を言い出すのだろうか。  近衛は本気で驚く。 「目つき?」  朋美は頷いた。 「そう。なんていうか、色気が入ってるの」  内心ぎくりとした。心臓を捕まれたような衝撃。読まれていたのだろうか、彼女に。
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